筒井 正夫

スミス記念堂の保存活用をめぐる市民運動とまちおこし

はじめに
 昭和6年(1931)、彦根高商が産声を上げてからまだ日が浅く世界恐慌の嵐が吹き荒れるなか、高商のすぐ近く、彦根城の濠端に日米の善意の人々の手によって美しい和風教会堂が建てられた。それは建設者の名にちなんでスミス記念(礼拝)堂という。だが、やがて戦後高度経済成長を経て平成の世となると、その建物とその周囲にいた愛すべき人々の記憶は忘れ去られ、市の道路拡幅工事の前に、無残にもそれは取り壊され売り払われる運命にあった。

 この小稿は、その小さな建物を破壊から救いだし、保存活用してまちづくりの核にしようと奮闘してきた市民たちのささやかな記録である。それに加わったのは大学人や政治家ばかりではない。近所の主婦も、商店主も中小企業の社長さんや社員達も、お茶やお花の先生や生徒も、お寺の和尚さんも神社の神主さんも、学生も、建築家も、マスコミ・出版関係者も、矢も立てもたまらず、この運動の輪に飛び込んでいった。

 戦前大正末期から昭和初期の彦根には、このスミス記念堂という建物の周辺に、今でも我々を感動させ、これからの進むべき道さえ示唆してくれるどのようなドラマが潜んでいたのだろうか。そしてそれを知った現代に生きる我々は、そこにいかなる価値を見出しどんな思いでこの建物を残そうとしたのか。さらに建物に新たな命を吹き込むことで何を創ろうとしているのか。その過程で市民達は行政とどう対峙し、葛藤し、協力しながら、何を学びつつ曲がりくねった長い道を歩んできたのか。

 これらをひとつひとつ書き記していこう。


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