事務局日記(4)(2005年1月〜3月)

2005/03/30
-No.245-

◆ホームページがお引っ越し

早い早い、もう3月もあと二日となりました。
毎日の仕事は単調で、ついつい休日のことをお話ししたく なりますが、おつきあいください。

 26〜27日は、また喜連川の里山保全に行ってきました。丁度春休みということで、やっと高校受験の終 ったS君、そのおねぇちゃんのMさん、(4月で高2)弟のT君(同じく中2)の3兄弟の参加もあって、がくんと平均年齢が下がり、皆さん嫌でも張り切っち ゃいました。
 小学生の頃からよく参加してくれた兄弟です。ご両親に関係なく、自分たちで参加申込のメールをよこしました。もちろん立派な家 族会員。
 
 作業としては、5月にこども向けのアスレチック、また植物観賞会や名札付け、バーベキューなども計画していますので、その 為の最終整備。
 2年半前の作業では、山を覆っていたササを刈取ったのですが、その細い切株がツンツンとしていて小さなこどもたちを遊ば せるにはちょっと怖い。そこでスコップでササの根を掘り起こす抜根作戦。(といっても山の一部分だけですが)あれから延べ日数にして20日以上も やっているのですから、さすがに斜面のササは少なくなりました。
 行く度にすっきりしてくる山を見てやっぱりみんな大満足。

 家の 周りでは、コブシの花が、思い思いに咲いています。
 白梅、沈丁花、コデマリ、ユキヤナギ、ハクモクレンももうすぐ。
 白い清楚な春が 静かにあたりを清めると、さくらいろの優しさが追いかける様にやってくる。
 でも開花予想日を裏切って、さくらのつぼみはまだ固い。春は時に 寒く意地悪でもありますね。

 このホームページも4月1日を目標に、はやりのブログも取り入れてリニューアルの予定です。ずっと準備を 進めてきました。
 ご覧になったらびっくりなさるかもしれませんね。ではではお楽しみに。
 (あし)


2005/03/23
-No.244-

すこし湿っぽくなったので気分転換に。
◆ 500円玉

 少し前、500円の偽造硬貨が出たと言って騒がれましたが、もっと以前におきた 私の失敗談を聞いてください。
 もう大部前になりますが、駅の売店で買い物をした時のこと、600円とあと10円玉を何枚か出したのですが、売 店のおねぇさんが黙って500円玉を突っ返してくるのですよ。どうして?とおねぇさんを見ると、違う!と一言。

 なんで?と不思議に思い込 んでよくよく見ると、なんとそこには中国の1元硬貨が、、、
ヒャーッと慌てて千円札を出しておつりをもらいましたが、なんともかんとも恥じ入る のみ。それにしても売店のおねぇさんは凄い!
 我ながら信じられない大間違いで、今だったら警察呼ばれちゃうかもねぇ。
 あぁ良かっ た、と思ったのはほんの一瞬で、、

ん?
まてよ。
 丁度その少し前に中国に行って、その間、小銭入れに500円玉が入っていた ことは知っていたのですが、まさか間違えることはないわよねぇ、と500円玉を一枚入れたまま、買い物に中国の小銭を入れて使っていたのですよ。

 それで、帰国の日、上海空港で最後にありったけの小銭を使いきろうとせっせと買い物したのですが、、、と言うことは、その時500円玉 と1元玉を間違って使ってしまったってこと?
 でもとがめられなかったのですよ。
 ざらざらと出したからねぇ。

 しかし、よくよ く考えてみたら、中国の1元って、日本円では15円!
 あぁなんという大失敗。
 500円の偽造硬貨のニュースが流れる度に、ぐやじい!と 我が500円玉を思い出すあしでした。
 皆様もご注意下さいませ。(なんて、こんな失敗する人いない?)
 ではでは
◆ 法隆寺文化 講演会のお知らせを情報交換欄に掲載しました。
  (あし)


2005/03/22
-No.243-

◆ 五十嵐道夫先生が亡くなられた

 五十嵐道夫先生と言ってもすぐにはお分かりにならないでしょうが、当会の会報の表紙はこの五十 嵐先生の描かれた絵で毎回飾られておりました。

 東京芸術大学日本画科卒業後、教職につかれましたが、50才になって退職され、後 は創作活動に専念されました。3年前小淵沢に、八ヶ岳の見える地に家を建てられ、お好きな山の絵を描かれる充実した毎日をお過ごしでございま した。ですが雄大な山の四季折々の美しさをもっともっと描きたい、まことにこれからという時に発病、半年の闘病生活の後 3月15日夜中、帰らぬ方 となりました。
 享年69才でございました。

 昨年手術後、また今年のお正月明けにも、友人たちと長野の富士見高原病院までお見 舞いに伺い、お元気なご様子にすっかり安心しておりましたのに、15日夕方、突然に、あと二三日しか持たないかもしれないとの連絡。何が何でも行 かなくちゃ、と翌朝早く家を出てUさんと二人で病院に駆けつけた時には、既に亡くなられたあとでございました。
 どうしてこんなにショックなこ とがおきるのでしょうか。

19日は甲府の先の韮崎というところにて告別式でした。
 五十嵐先生は、教職最後の3年間を、私のこども が通っていた小学校で過ごされました。図工室に手作りおもちゃをたくさん作ってこどもたちを受け入れて下さる大変人気のある先生でしたし、PTA の活動をいろいろ助けてくださる気さくな先生でもありました。そんなことから、学校を辞められてからも、市のP連(PTA連合会)OBでつくる「PTAを楽 しむ会」という会にも参加してくださり、まことにいい関係を作ってきました。

 そんな訳で、私たちの会からもUさんご夫妻や我が夫を始め 、10人が韮崎まで駆けつけたのです。
 行きも帰りも富士山や八ヶ岳など雪を頂く山々が真っ青な空を背景に凛とそびえておりました。山が大 好きだった五十嵐先生が最後のお別れをして下さっている様な気がいたしました。

 そんなこんなで、先週からずっとショックを引きずっ ております。
 とりあえずの近況報告でございました。
 (あし)


2005/03/15
-No.242-

◆委員会後の事務局

 昨日、無事に第7回合同委員会も終りました。 
 今まで議論を重ねてきたことのまとめ作業に入っています 。
 皆様、ほんとうにどこから手をつけたらいいのだろう、問題が大きすぎるよねぇ、とおっしゃりながら、です

 委員のお一人が凄ま じいエネルギーを注ぎ込んで素案を作って下さいました。感謝以外に言葉はありません。
 事前に配布したその素案を基に討議。木造文化遺 産の補修用材を将来の為に確保するには、関わる様々な分野においてこんな問題がありますよ、とだいたいの問題提起ができてきました。そしてこ れからもその問題をどうやって解決したらいいのか、という議論を今まで以上に積み重ねていく訳ですが、一言で皆様にお伝えすることは難しい。
 たった一行の提言にも、どれだけ膨大な議論があったのか、何十倍もの説明文が必要になるのではないかしら。
 
 それにしても 凄いなぁと思います。委員会の皆様には、大体二ヶ月に一度、お集りいただいて討議を続けていただいていますが、毎回充実した話し合いに事務局 は感動しています。

 どなたも仕事や原稿を山ほど抱えていたり、全国飛び回っていらしたり。そんな方々がちゃんと集まって下さること 自体、「あし」には感嘆すべきことですが、「議論がおもしろいんですよ。」と古橋様が一言おっしゃった。
 
 事務局としてはまたテープ起こ しのプレッシャーがドッカーンとのしかかりますが、またまた頑張らなければと思います。
 いつも会議中にしっかりメモを取れば、と思うのです が、ついついその場の議論を理解しようと入り込んでしまうので、メモを取るのも忘れてる。
 録音のでき不出来があとのテープ起こしに響くの ですよねぇ。今回はなんとか拾えていて一安心。
 次回は、5月12日です。

 今日は、今まで忙しさの余りほっておいた別件のテープ 起こしに一日費やしているうちに、はや夕方。
 と言う訳で、皆様ごめん下さいませ。・・・事務局の一日でした。
 (あし)


2005/03/13
-No.241-

◆人知れず

■お知らせ発送しました。
 一つ一つ仕事が片付いて行くのは嬉しいことです。
 昨日会員の皆様に事務局通信 NO5を、理事の方々には理事会報告を発送しました。
 来年度の総会及び見学会の案内も含めて。
 
 宅急便のお兄さんに、メー ル便まだ作成中なので一番最後でいいから取りに来て、と連絡した後も必死で封筒詰め。
 だから夕方、集荷に来てくれた時点で時間切れ。
 ピッピッピッピッピッピッピッピッと例の小さな機械で延々とシールのバーコードを読み取って行くけれどなかなか終らない。
 うわぁぴっ たり100通だ! すごい〜。
 なんだか嬉しくなってお兄さんと二人で大喜び。あと少し残ったけれど、それでもちょっと一段落した夜でした。

■人知れず
 今日は、地域の仲間たちと公園整備。
 朝から小平市にある中央公園に行ってきました。
 先日喜連川作 業で間伐した木の枝で作った杭を土留めにして、また一つ花壇ができました。
「Wさん用だよ」とNさん。Wさんが、「わぁ嬉しい〜」と笑顔で歓声 。ふかふかの腐葉土も入っています。
 ところで花壇の水仙が元気です。Wさんが植えたとばかり思っていたら違っていて、誰が植えたかわか らないんですって。なんだか秘かに楽しんで下さる方がいらして嬉しい。

 最近ベンチの汚れが少なくなった、と皆で話していたら、そりゃ そうさ、とNさん。(以前は、泥だらけの時がよくあって靴や犬の足跡がこびりついていくら拭いてもなかなか落ちなかったのですけれど。)
 綺麗 になったその訳は、みなさんが土日のお休みに来た時に気持ちよく使えたほうがいいだろう、とNさんが毎週金曜日に拭いて下さっていたというので す。

 早朝、丁度その頃は、犬の散歩でたくさん人が行き交うらしいけど。
 Nさんが黙々と拭いているのを見て感じて下さるのでしょ うか。今はすっきりと綺麗です。
 ほんとうにこういう方が会を支えて下さっているのですよね。ありがたいと思います。

■鳥瞰図って いうけれど
 作業が終った後で、来年度の活動希望等を皆で相談。
 Uさんが買って来て下さった大判焼きを、テーブルを真ん中にしてみ なで大喜びで食べ始めたら、いつのまにか鳩や他の鳥たちが何十羽も集まって来て、頭上の枝に止まったり、ベンチの近くまできて、じっとこちらを 見ているのですよ。ほんとにびっくり。試しにかけらを空に投げたら二三羽が素早く飛んできてパクッ。ヒャァ〜。
 たくさんの鳥の目を感じなが らも、両手で大事に持って下向いて、みんなが食べ終った途端、あっという間にいなくなってしまったのです。
 
 あのベンチで何度も食事 会したことあるのですけれどこんなこと初めて。
 まるで大判焼き屋のおばさんと通じてるみたいじゃないか、と夫が一言。
 なにしろずっ と見ていたみたいに鳥たちが集まって来たのですから不思議というか凄いというか。・・・私たちって・・・実はいつも空の上から見られているのかも。

 明日は、第7回合同委員会。まとめもいよいよ大詰めに入りました。
 また後ほどご報告させていただきます。ではまた
 (あ し)


2005/03/09
-No.240-

◆ 仏像のひみつ

 なんだか忙しい忙しいといいながらあちこちに行っていて恥ずかしいのですが、日曜日は上野の東京国立博物館に出 かけてきました。

 なにしろ唐招提寺展の最終日、解体修理中の金堂のご本尊がお堂からお出ましになるのは次の解体まで、100年先か 200年先か、と言うので何が何でもと朝9:30を目指して出かけたのですが、着いたのが9:40。
 既に盧舎那仏の部屋はいっぱいの人。仕方がな いのでどんどん先に行って、鑑真さんのところまで行ってやっとゆっくりご挨拶ができました。
 それからまた最初に戻って仏様にご挨拶。(こ んな見方したらいけないのかしら)

 先日東京藝術大学大学美術館で開催された興福寺国宝展でも感じたのですが、最近の陳列方法が ものすごく変わってきましたね。まるでお堂の中にいる様なイメージで仏様が配置されて。

 ですが何しろ最終日のおびただしい拝観者の 数。特に開館前から並んでいた熱心な方々ですもの。明るい照明の中、後にまで廻れちゃう仏様の、前から横から背後から観察する様子はホントに 熱心。

 いつも薄暗いお堂の中でぼうっとしながら、なんだかむにゃむにゃ一人ごちてるのが好きな自分には、どこ見ていいかわからずに 結局人の波に押し出され。
でも鑑真様にゆっくりご挨拶できたからまぁいぃか。

 平成館一階で、親と子のギャラリー「仏像のひみつ 」という展示をしていました。
 みなさんが熱心に見ているので並んでみたら、それが大変面白かったのです。
 東京藝術大学大学院文化 財保存学彫刻研究室の大学院生製作の盧舎那仏像の製作工程を示す模型が展示されていて、ふ〜んなるほど。学生さんたちがボランティアで説 明してくれるのもいい感じ。

 続いて「仏像4つのひみつ」コーナーでは、仏様が見本としてケースの中に納まっていて。
 例えば、飛 鳥時代の仏像はやせているけれど、平安時代初期になるとこんなに太目になるのよ、と胸の厚い如来様が見本におかれ、平安後期になるとまたや せてくるのよ、と今度はその時代の如来様、と言う具合。
 
 普通は写真で済ませるのにねぇ。重要文化財の仏様までも、その見本として のお出ましで、すごいと思いましたねぇ。びっくりしてしまいました。
 信仰の対象として作られた仏像を、美術品としての一面だけを切り取って 見本に使ってしまうという発想。展示の世界も変わったなぁ、と興味深く眺めてしまいました。

 そういえば昨年4月から、東京芸術大学の 大学院美術研究科文化財保存学保存修復の分野に、清水真一氏と籔内佐斗司氏が教授で入られたのです。
 清水氏は、文化庁出身で奈良 文化財研究所建造物研究室長を務められた後、今度は人材育成が重要ということで大学へ。
 籔内氏は、著名な彫刻家。「木の文化と造形フ ォーラム」でも力強い活動をされています。(リンク集にHP有り)
 文化財修復の為に、何をどう改善していけばいいのだろうか。様々な分野で 新しい動きが起きている様に感じた一日でした。ではまた、、
 (あし)


2005/03/08
-No.239-

◆ 雪対策は長いほうきで

 先週末の4日5日は、別団体の会議で各地からみえた方々とお話しすることができました。
 4日の金曜 日は朝起きたら、一面の銀世界。
 それが、午後になる前には、やんであっという間に溶けてしまったのですよ。
 富山からいらした方は 利賀村は3mの積雪といい、出張して会津若松から直接帰って来た方は、1.7m積もっていたと、秋田の方も仙台の方も、こんなので大雪なんて言っ てくれるな、皆さんから東京の人はおかしいと笑われてしまいました。

 でもね、97年の大雪の時は、ホントに大変だったのですよ。
 午後から降り始めた雪がどんどん積もった日の夜。仕事帰りで中央線に乗っていたのですけれど、駅に着くたびにホームから長いほうきでパンタ グラフの上に積もった雪を落とすのですよ。東京の電車は頻繁に走っているため、地方のようにパンタグラフを張る圧力を強くすると、架線がすぐ痛 んでしまうのだそうで、張る力をとっても弱く設定してあるのだそうでして。

 だから、一駅走る間に積もる雪の重みでパンタグラフが下がっ てしまうと、電気が供給されなくなっちゃうんですって。(信じられない話!)
 駅までたどり着けばいいけれど、途中で止まったらもう大変。
 長い間ホームで待たされてやっと動いても、次の駅に着くまでいつ止まるかと、はらはらドキドキなのであります。
 その時は、降りるべき駅の 4つも手前の駅までやっとたどり着いたものの、そこでついに運休のアナウンス。
 え〜、どうやって帰るの?
 仕方がないので雪の降る 中、今度は延々と並んでタクシーを待って、普段1時間で帰れるところを4時間かかってやっと家までたどりついたのでありました。

 その 忘れもしない寒かった経験があるものですから、4日も出かける前にテレビをつけてニュースを見ましたが、駅では対策も万全で、とアナウンサーの 声。
 画面を見たら駅員さんがあの長いほうきを持って立っているではありませんか、もうくらくらしちゃった。相変わらずの原始的解決方法!

 幸い雪がやんでホントに良かったですけれど、、、でも雪下ろしでご苦労なさる地域の皆様に比べたら、ほんとに申し訳ないような話で すみません。
 とはいえ、情報交換欄の雪うさぎさんのところでは3mの積雪とか。
 その後大丈夫でしょうか?カマキリが産みつける卵が 下の方だと暖冬というお話、(今年はそれがはずれたそうですが)興味深いですよね。

 天気予報では、やっと暖かくなりそうです。皆様お 元気で。
 (あし)


2005/03/03
-No.238-

◆グランドデザイン

信じられないことにもう三月。
事務局日記もまたまた間が空いてしまいました。

 先日の土日(26.27日 )はいつもの仲間たちといつもの雑木林の手入れに行ってきました。小平から車で3時間。栃木県の喜連川町です。
 今回は、ローソンの方々 が9人参加されるというので、お昼の豚汁も20人分用意して臨みましたが。
 昨年10月9-10日の作業日は大型台風関東直撃との凄まじい台風 情報で中止。
 予約しておいた宿もキャンセルに無料で応じてくれたので実害はなかったと安心しておりましたら、豚汁の材料調達を担当してく ださるWさんから、今度は絶対大丈夫?とおずおずとお伺いメール。

 なんと、前回は大量に買い込んだ材料を消化するため連日豚汁三 昧だったとのこと。まぁごめんなさい、と何ヶ月もたってみんなで大騒ぎしてしまいました。
 そのWさんから、それぞれ持ち帰った道具類、お鍋 や食器も、皆さん後かたづけありがとうとメールがきました。こういう方々に支えられての活動なのですよねぇ。私も改めて皆さんに感謝。

 12月の作業日はお店にとっては一番忙しい時期とのことで不参加、今回初めて地元ローソンの店長さんや関東ローソン支社の方々、そして東京 の総務ステーション環境社会貢献担当の方の参加となったのです。

 と申しますのも小平近辺に在住の仲間たちと作るこの会は、今年 の喜連川での活動に(社)国土緑化推進機構の「緑の募金公募事業」に支援を申請、その活動意義が認められ助成金を頂くことになっているのです 。

 そしてこの国土緑推にたくさんの寄付をしてこの活動を支えているのが(株)ローソン様と言う訳で、最近では地域の活動にこうして参 加もされるのだそうです。林の入り口に、「この活動はローソン各店舗を通じて多くの方々からお寄せいただいた寄付金から成り立っています」という 看板も掲げました。まことにご支援いただきありがとうございます。

 実際、高速道路の通行料やガソリン代、宿泊代、食事代など一人1 万円以上もかかるところが、助成金のお陰で半額になるのは大変助かるのです。それでも毎回5〜6千円が自己負担、その上、山で作業してヘトヘト ドロドロになって何が面白いのかな、と不思議がる人も多いですけれどね。
 30年間手つかずだった林の手入れは相当やりがいがありますよ。

 ローソンの若い方々に当会のベテラン3人が、付きっきりで指導、間伐初体験をして頂きました。中でも直径20cm以上もある木の伐倒に 挑戦した方がいらして、その迫力たるや、夫もチェンソーぶら下げて声がかかったら手伝おうと控えていたらしいのですが、最後まで一人で頑張って 伐っちゃった。のこぎりの使い方を教えた方が一番喜んでいたみたいです。
 その充実感やいかばかりか。切り口部分を輪切りにしたものを記 念にと持って帰られたとか。いい経験をされましたね。応援したみなさんもみんな満足していい笑顔でした。

 具沢山の豚汁はおいしかっ たし、お天気もいいし、まことに充実した一日でした。
 一泊して翌日もお昼まで作業。倒した木から小平の公園整備に使う杭もたくさん作り、車 にどっさり乗せて帰ってきました。


 昨夜、ご飯を食べていたら突然、夫が、「あの山はどんな形にしたいんだ?」と一応代表である 私(頼りないけど)に質問。

 ボウボウと伸びた木が鬱蒼と天を覆い薄暗かった間は、ただ間伐すればいいと夢中で伐ってきましたが、二 年半関わって、手入れも進み、葉が落ちた今の時期、急に山の稜線の向こうに青空が見えるようになったのです。

 光が見える様になる と、ひとって次に何をするべきかって考えるのね。
 「グランドデザインを示せ」と。
 あのローソンの若い人たちにも、何年後かの林の姿を 示し、その為の作業なんだ、と伝えられたら良かったのに、って。手入れ前の写真も持って行けば良かったと。
 「ずっと考えていたの?」
 「いや、今日突然そう思った。」

 どんな活動でもそうだけれど、毎回同じ作業、同じ結果ということはないですよね。少しずつ変わってい る。対象も関わる人も条件も。
 自分も進歩しなくては、いつも先を考えていないと、と思った夫婦の会話でした。ではまた
 (あし)


2005/02/23
-No.237-

◆ ハイブリッドな

 今日は春一番がすごい勢いで吹き荒れました。いよいよ例年の30倍という花粉が飛んでくるのでしょうか。
 相変 わらずスカッと終らない作業に没頭しておりますが、そんな中での勘違い。

 たまたま見たテレビの番組で今更ひとに聞けないことって、 いろいろクイズ形式で取り上げておりました。そこで私も長い間、疑問に思っていたことを夫に聞いてみました。
「ね、ハイブリッドってどういう意 味?」

 お恥ずかしいことですが、もう何年も前にこの言葉が聞かれる様になってから、何となく頭には残っているものの、そのちゃんとし た意味が分からずにおりましたのです。
 なぜかというと秘かに辞書を調べても、bridって載ってない。

 すると夫が言いました。ハイ って言ってもhyじゃないのか?って。
 つまりhybrid という一つの単語でありまして混成物という意味。
なぁんだぁ、ハイブリッドカーって、 ガソリンと電気と両方を使用するというそのままの意味ではないですか。
今の今まで、高級ななんとか、という意味と思い込んでおりましたので す。

 じゃぁ、ハイブリッドな犬、っていったら単なる雑種ってこと?
すごい血統書付きの高級犬のことかと思っておりましたですよ。

 じゃぁ、ハイオクガソリンのハイは?
・・・それは、オクタン価が高いこと。

 じゃぁ、、、おいおい、、、夫婦の会話がこれで はね。
息子にまで大笑いされてしまいましたよ。

お粗末な話で失礼いたしました。ではまた。
 (あし)


2005/02/21
-No.236-

◆ 頭の中が詰まりすぎ

 随分間が開いてしまいました。11日に当会の理事会、12〜13日太子町の研究集会が無事終わり、14日に帰っ て来てからも頭の中が飽和状態。
 どこを切り取ってもまことに有意義なひとときでございました。
 少しずつ順番に紐解いていかないと こんがらがった糸がほどけない。

 というのも先週戻ってからも、やり残して出発したツケがしっかり山積みされておりましたので、それを 一心不乱に片付けておりまして、なかなか太子町のご報告もできずにおります。
 せっかくのあれこれが、散逸しない様に、頭の一部分に押し 込めておりますが、だんだん固まってしまいそう。困った、、、

 一日中パソコンに向かって疲れてくると、なぜか家にあったサザンのCDを 聞き、ホワァ〜としながらまたパソコンに向かっております。
 こんなときは、誰かに会いたくなるけど・・・

 どうしたの?とメールを下 さる方が増えてきましたので、取り急ぎ近況報告。
 いくらやっても終らない仕事って、自信なくしますよね。ではでは、、
 (あし)


2005/02/10
-No.235-

◆ スギの効能に感動

 またまた事務局日記を中断させてしまいました。
 その間、情報交換欄の雪うさぎさん、やまさん、りすさん の「なぜ木は冬に伐る方がいいのか」は面白かったですね。

 会報3号の速水亨さんの巻頭言に続いて、「語りかける徳島スギ」の第3話 もやっとアップいたしました。現在の徳島県に国有林が少ないわけがやっとわかった、と評判になっています。網田克明さんから第4号の原稿ももう 頂いていながら、発行が遅れております。当HPへのUPももうしばしお待ち下さいませ。

 実は、超忙しい毎日の中、5日の土曜日、京都ま で行ってきました。
 当会理事の宗田好史さん(京都府立大学)が仕掛けられた、公開シンポジウム「京都の森づくりシリーズ パート2  木の 家で森をまもり・そだてる」に参加してきたのです。

 当会では、文化遺産の修復のために、100年、200年先に必要な大径材を伐らないで 、と訴えておりますが、それには今の林業が維持されなければなりませんし、その為には「国産材で家づくりを」の運動にも必然的に協力する関係に ある訳です。

 報告者は、稗田忠弘さん(千葉)、石森良洋さん(石川)、田村宏明さん(京都)、藤田佐枝子さん(大阪)、安田哲也さん(兵 庫)。5人とも、その地域で木材の地産地消に取り組んでおられる建築家です。パネルディスカッションでは、宗田さんがコーディネーターで大変興 味深いディスカッションが展開されました。

 帰りがけに、藤田佐枝子さんとエレベーターで一緒になり、少しお話をさせていただきました。 「家を建てるということは、施主との関わりがとても重要。今日の報告は大変稀な成功例です。」という藤田さんの誠実な受け答えに感じ入っていたも のですから。

 藤田さんは、「人を元気にする家づくり」と言うことで木を使った家づくりの良さをお話されていましたが、建築と言う分野で、 アトピーや化学物質過敏症のお子さんのおられるご家庭のリフォームの実践例を紹介しながら木の良さを語って下さいました。
 立ち話でも、 スギの良さを延々と。
 私ももし息子や娘が結婚してこどもが生まれたら、スギの床板を貼りにいくぞと秘かに思ったのでした。

 や はり、出かけてみるといいことがいっぱいありますね。いろんな情報も仕入れたし、でも、日帰りで帰ってくる覚悟が打合せというか話に夢中になり、 終電車も逃し、結局翌朝帰ってきました。
 車窓の景色を眺めながら明るいうちに新幹線に乗るって楽しい、なんて思ったりしながら帰ってきた ものの、やはり仕事山積。
 
 昨日娘が半日休み、と言って来てくれたので、これ幸いとあれこれ手伝ってもらい、少し気が楽になりました 。
 出発は明日の朝。徹夜しなくていい様に、今日も一日頑張ります!
 (あし)


2005/02/04
-No.234-

◆ 疲れたときの息抜きに

 2月12日に大阪府太子町で研究集会「地域で修復のプロを育てるしくみ」が開かれます。主催は「木の建築フ ォラム」「太子町」「当有識者会議」。

 その準備を「木の建築フォラム」の松留氏や「太子町」教育委員会の池田氏と何度もメールでやり 取りしながら煮詰めているのですが、他団体の方々とこうしたイベントをやるのって、とっても勉強になりますね。
 
 例えば、「スタッフの 行動予定表」。だいたいこんなかな?と案を出してみたら、より以上に素晴らしいのが池田さんから戻ってきました。
 う〜〜ん、感服。
  この形式は、今後も使えるぞ、と嬉しくなったりして。

 さてせっかくうちの理事さんたちが太子町に集結して下さいますので、前日に理事 会を開くことにいたしました。よって、その準備でもう毎日パソコンにかじりついております。(疲れてくるとホントにそんな感じ)。
 特に経理報告 が何てったってしんどい。ちゃんとやっている筈なのにねぇ。

 そんな時、このホームページを覗くのですよ。アクセス数を見て、あっ見て 下さる方がいるいる、って一人でウフフ。
 でも他になんの動きもないのがつまらない。事務局日記まで覗いて、そうよねぇ私が変えなきゃねぇ、 とブツブツ。
(事務局日記が何日も更新されない時って皆様もこんな気持ちになられるのでしょうか。)

 そんな訳で、願望をこめて 情報交換欄に、「雪うさぎさんのページ」「小春さんのページ」(知っていました?小春さんと言うのはネコちゃんの名前でした!)「とびさんのページ」 を作ってみました。(まことに勝手ではありますが、、、)

 そして今朝発見したのでありました。
 雪うさぎさんのページに書き込みが !
 と言う訳で、とっても嬉しくなっている「あし」でした。
 皆様も気が向いたら書き込んでくださいね。

 ところで前述の太子町 研究集会。まだ受け付けています。お早めにお申し込み下さい。お待ちしています。ではまた。
 (あし)


2005/02/01
-No.233-

◆ 低カロリーのカリンジャム

 すごいですねぇ。早いですねぇ。もう1月が終ってしまいました。
ちょっと気を抜いている間に、今日か ら2月です。
人がいくら忘れていても時間ってちゃんと過ぎて行く、これもすごい!(←どこが?って突っ込まれそうですが、、)
 それでも 太子町の研究集会の準備、理事会用の資料作成、会計報告、報告書、会報4号も出さなきゃ、研究会のテープ起こし、やらなきゃいけないことばか り、どうしよう。

 日本中、大雪のニュースです。新潟では19年ぶりの大雪だそうで、被災地の方が今度余震がきたら家がつぶれると心配 そうでした。ほんとに大変な状況です。
 東京は、雪こそ降りませんでしたが、冷たい風がピューピュー吹いて寒いのなんの、、
 風邪等 ひかれません様にご注意下さい。

 以前、友だちに、「ヨーグルトにたっぷり乗せて食べたいからお砂糖の量を減らしたカリンジャムを作っ て」と注文を付けたところ、「ジャムを固めるのが難しいから、ヨーグルトを半分にしなさい」、と返事がきたというお話を書いたことがありますが。

 でも、これでめげては、おいしいものは食べられないのですよねぇ。
 そこで食事療法の先生から勧められた天然甘味料(デンプ ンから作られる還元麦芽糖を100%使用しているのだとか)の1.5kg入りを送って、これで作ってみて下さい、と再度お願いしてみました。

 と いう訳で1月半ばにカロリー40%カットのカリンジャムが我が家に届いたのであります。
 普通のお砂糖で作ったカリンジャムは、ヨーグルトに乗 せるとルビーにも似た輝きで美しいけれど、今度のジャムは、夕焼けの端っこの淡い色。
柿色のゼリーにも似た優しいジャムになって我が家に 届いたのですよ。
 お砂糖の違いでジャムの色が変わるなんてちょっと面白い。
 
 でも毎朝、大満足で食べていたら一ビンあっとい う間になくなってしまいました。これって、きっと前より量は倍以上食べているかも。
って言うことは、いくら40%オフでもえ〜っとどうなる訳?
 (あし)


2005/01/28
-No.232-

◆ サンタクロース 続きの続きです。

 戦前と戦後では、世の中の価値観がひっくり返ったようにも見えます。
 その上、この60年の 間に、戦後の復興期や高度成長期そしてバブル期、その後の崩壊期といった様々な時代が経過しました。その間に、人々の暮らしや生き方までも 含めたいろんなものが押し流されてしまったけれど、その中には、捨てられて良かったものもたくさんあると思うけれど、(だから捨てられたのだと思 うけれど)、いいものもたくさん失ってしまった様にも思います。(こんなに一口では言えないことですけれど)
 失ってみてはじめてわかることだ ってありますもの。

 以前徳島の拝宮農村舞台の人形芝居復活公演のことを書かせていただきましたが、あの舞台での公演は50年ぶり 。
 地域の人たちの心の中に大切に残されていたものが復活した喜びはいかばかりか。

 本当に一口では言えないけれど、今の世 に文化財と呼ばれるものには、素材も技術も仕組みも生き方も日本人が大切にしてきたものが数えきれないくらいたくさん含まれているように私には 思えるのです。
 日常のものだって、こんなのいらない!って捨ててしまった後で、他の面から再評価されるものだってあるのでは。
 まし てや文化財。一度失ったらもう取り返しはつかない。時代が変わったからと打ち捨てられ、朽ち果てていいものではないと思うのです。
 
  台風や地震で傾いてしまった山門やお堂を見て、心乱すことってありますよね。
 今のうちに手を打たないと崩壊するのが目に見えているけど 。
 なんとかして、と建物が悲鳴を上げているのに、どうすることもしてあげられない。
  次の人たちに残せるものなら残したい。誰かが声 を上げてくれたら、動いてくれたら、と願うことしかできないのでしょうか。
 でもちょっと待って。

 そんな中でも彦根のスミス記念堂 は、「地元の人じゃない人」が声を上げて運動が始まり、賛同する人たちが大きなうねりを作っていった。
 誰かが最初の一声を発すれば、、、 檀家にそんな力はない、と所有者がためらっていたって根気強く励ましてあげることでひょっとしたら動きが出てくるかもしれない。
 
 だ から、サンタクロース。
 一人一人がサンタクロースになって「古き良きもの」を、私たちはこんないいものを受け継いできたんだよと、伝えること ができるなら。
 案外、他からの、宇宙人の様な人の方が価値を見いだすことだってあるのかも。
 (えっ?これ誰のこと?いぇいぇモデル はいません。たとえば、の話であります。)

 この会を大きな組織にするのは大変だしそんな力はないけれど、でもみんなに、サンタになっ て大切な遺産を、次の世界を担うこどもたちにプレゼントしようよと呼びかけることはできるでしょう?

 と言いたかったのですけれどね、や っぱり飛躍しすぎだったかな??
 なかない人ですみません。百人一首だって、自慢じゃないけどカミの句のアタマとシモの句しか覚えていな い。(なかない→中無い。やっぱり飛躍し過ぎか、、、)
  
 クリスマスとサンタクロースと文化遺産でした。
 お忙しい時間、おつきあ いいただきありがとうございました。ではまた。
 (あし)


2005/01/27
-No.231-

昨日は寒かったですねぇ。新聞の集金に来たお兄さんが、「集金は寒いっす、ずっと走っている分にはいいんすけど」と玄関前で震えていました。ご 苦労様です。

 昨日は、文化財防火デーでした。昭和24年の1月26日は、法隆寺の金堂内陣が焼けた日です。解体作業中の内陣の壁 画を模写している最中のできごとでした。

 その後も文化財の焼損が相次いだことから消防庁と文化庁では、昭和30年に1月26日を「文化 財防火デー」と定め、文化財を火災や震災等から保護するとともに、国民一般の文化財保護思想の普及高揚を図ることを目的として、全国的に文 化財保護運動を展開しているのだそうです。

 法隆寺では収蔵庫に、この焼損内陣の柱と壁をそのままの姿で保存しています。真っ黒く 焦げた柱が立ち並ぶ。それでも炭化した部分は表面3cmか5cmくらい、という柱は、内に1300年前の木の姿を残したまま、また壁画の仏様も、燃えた 筈の壁に薄墨色に御姿をとどめ、既に56年もの間、収蔵庫の暗闇の中に在るのです。
 偶像も絢爛たる装飾もないけれど、その場や気配、そ のものが神聖。

◆クリスマスのサンタクロース 続きです。

 クリスマスになったらサンタクロースと称する人(?)たちが、幼い こどもたちにプレゼントを運びます。もちろんその子の枕元まで。
 でも本当にサンタクロースがいるのか、と聞かれても大人たちはむにゃむに ゃするだけ。
 組織や団体としての実態は?と聞かれても、少なくとも私の周りにはそんな団体はないし、その指令をだす組織がある訳じゃな い。でも、(すべてのとはいかないけれど、)少なからぬこどもたちにはプレゼントが届けられ、送った方も送られた側もしばし幸せな気持ちになるの です。

 ここでほんの少し(?)飛躍してしまいますが、文化遺産を守る為にあたらしく何らかの組織が必要か、と言ったらそうじゃないと思 うのです。
 日本の文化財を守る為には文化庁があり、各都道府県の教育委員会、そして(財)文化財建造物保存技術協会や東京、奈良に( 独)文化財研究所があり、また民間の団体も様々にあってそれぞれに大事な働きをされています。

 でもそれだけじゃ山に大径木の補修 用材が失われていく現実を押しとどめることができないのです。
 「国有林ではどうなのですか」、「民有林で大径材が伐られない為の方策はな にかないのですか。」
 そんなことから発足したのが当有識者会議なのですが、毎回行き着くところは同じこと。
 みんなの意志。
  文化財所有者側の意志、森林所有者側の意志、文化遺産を未来につながなければ、と願う皆さんの意志が動き出さなければ世の中何も動かない。

 ご免なさい、やっぱり長くなるので一度きります。続きはまた明日。

 (あし)


2005/01/26
-No.230-

◆ クリスマスのサンタクロース

昨日は第6回合同委員会がありました。
当会の誇る研究部門。毎回錚々たる方々が意見交換、討論 をなさいます。
昨日は、重鎮のお三方が体調を崩されたり仕事が忙しかったりでお休みされましたので、何となく静かな委員会でございました。
 
 と申しましても内容が低調と言うのではございませんで、迫力が、と申し上げたらよろしいのでしょうか。
 でも内容はいつも同様 、中身の濃い議論ばかり。
 
 そんな中でワタクシメがつい調子にのって、「クリスマスのサンタクロースの様に」、などととてつもない比喩 を持ち出して議論を混乱させてしまいました。
 この事務局日記を読んで下さっているかどうかわかりませんが補足させていただきます。
 
 文化遺産を守るには、やはり当事者同士の意志が大切なのだろう、と話が元に戻ってしまった時、文化財を守る側からの「助けてくれ」、と いう声がなければ山側は動かないし、山側の「とてもこのまま山を維持して行くことはできない。相続が起こればやはり太い材から伐り出すだろう」、 という声は切実。

 このままいったら、確実に100年先には文化財補修用材がなくなっていることは確実。そんなことだけわかってもどうす ることもできないなんて。

 みんなの意志。文化財を守ろうという意志がなければどうしようもないね。
 みんなの心に文化財が大事 なのだと思ってもらう為にはどうしたらいいのだろう。
 クリスマスのサンタクロースみたいにね。(ここでみんな混乱!)
 一人で飛躍しちゃ うのが悪い癖でして、、、、

 でも説明するのって大変。書き出したらとんでもなく長くなってしまいましたので、続きは明日に持ち越します 。
 (あし)


2005/01/23
-No.229-

◆ 久々 電車の中(その12)

 昨日は、月に一度の病院。

 待合室では、いつものごとく高齢のご婦人たちの会話。
「し ばらくお見かけしませんでしたねぇ。」
「えぇ風邪気味だったものですから。」
「何時に見えました?」「9時ちょっと過ぎなんですけれど、38 番でねぇ。まだ20番しか進んでないみたいですよ。」と言うのが11時頃。58番の番号札を持ってる私はもう愕然。
 
 検査でひっかかって 以来、例の中性脂肪だのの数値を下げるべく一日一錠薬を飲まないといけなくて、本人は全く何の自覚症状もないのに薬が無くなるので仕方なく病 院に。
 昨日は心電図とX線の検査もあったのですが、診察では、先生が結果を見ながら「どこも悪くないですねぇ。」
 患者の私は思わ ず「そうですよねぇ、ホントにどこも悪くないんですけど、、、」

 やれやれやっと終ったと、ホームで電車を待っていたら、3才くらいの可愛 い女の子と若いお父さん。可愛い、と思ったのはつかのまで、その子がぴぃぴぃと泣くのです。エレベータのボタン私が押したかったのにぃと言って は泣き、お父さんがベンチに坐ると私がそこに坐りたかったのにぃ、と言っては泣き。

 「わがままいうのならおいていくぞ」とおとうさん、言 うかと思えば、なにも言わず、だっこして、ジュースを買って、と言われるがまま。

 このまま大きくなると、自分用のドライヤー買って、ドレ ッサー買って、自分の部屋が欲しい、とどんどんエスカレートするのにね。

 こういう子は全く苦手なので、やっときた電車では離れて坐っ たら、今度は同じ位の男の子。窓の外を見ながら、夢中でお父さんに話かけるのですが、お父さんはうんうんと気のない返事。

 でも、電 車が終点について降りる時、その子が大きな声で言ったのですよ。
「あぁ今日は楽しかった。ありがとござました。」「おとうさん、今日は楽しかっ たねぇ。ありがとござました。」
 おばぁちゃんの口癖なのでしょうかね。そんな口調で。
 
 素っ気ないおとうさんとしっかり手をつない で歩いて行く男の子。
 こどもっていろんな風に育つのですね。 (あし)


2005/01/20
-No.228-

◆今日は大寒

 年が明けてはや二十日、年賀状をやり取りする時期もたちまち過ぎて、今は寒中見舞いのハガキをちらほらいただきま す。
 今日は大寒。まだ寒中なのですよねぇ。山の木を伐るには今が一番いい時期です。

 だけど相変わらず東京は暖かい。
 何だか自分の中で季節の感覚がおかしくなっているみたい。ベランダのスミレは冬の真っ最中から咲いていますし、日ざしはまるで春の様にあたた かい。
 新潟の雪のニュースを見る度に、ぬくぬくとした東京での生活を申し訳なく思います。

 今、暖かい分、夏がまた暑いのでしょ うか。それも大変。昨夏の39、5度の街はほんとにきつかったですもの。

 さて先日来、太子町研究集会申込の振込先が違った、との騒ぎ も少し落ち着いて、申し込んで下さった方々には、お詫びと訂正も済んでなんとか一段落。
 時々大失敗をして落ち込みますが、それでも頂い た年賀状の中に、以前取り組んでいたことと今の事務局の仕事に対して「あなたの姿勢は少しも変わられませんね。」という一文があって、ちょっと 嬉しい。

 もう何年も前の話ですが、以前勤めていた会社に新しく採用された方が、「自分を変えたくなかったから職場を変えただけの話 です。」と転職の理由を話していました。そのときはフ〜ンという気持ちで聞いていたのですが、

 自分がやりたいことってなんだろう、と試 行錯誤しながらここまできてしまった訳ですが、今はそれで満足。結局自分の生き方ってあんまり変わっていないのでしょうね。

 でも見 上げる太い梁に毎日励まされる様な木の家に住みたい、という願望もあるのですけどね。
 それは夢のまた夢として大事に取っておくことにい たします。ではまた
 (あし)


2005/01/18
-No.227-

◆透き通った空の青さに染まりたい

 早いもので年が明けてからもう18日目。
 15〜16せっかくの土日に二日続けて雨が降った後 の昨日の空は、まことに綺麗な青色でした。
 はかなげに浮かぶ白い雲は、しゅんしゅんと沸き立つやかんから生まれた湯気の様。不思議な 透明感のある空気は、柔らかで、もうすぐ甘い香りを連れてきそう。まるで冬と春の間にあったカーテンが雨で溶けてなくなったみたい。一雨ごとに春 になる、そんな言葉を思い浮かべました。

 今日も青空。雲一つない快晴です。
 なんだかこうしちゃいられない。春のお支度始めな くっちゃ。
 落ち込んでいた筈なのに、外に出てたちまち元気になった「あし」でした。

 昨日は、阪神大震災追悼の催しがニュースに 映し出されておりました。
 10年前、神戸の街に、焼け出され困窮する学生たちの為の仮設住宅が何ヶ所かに建てられました。建てようとしたの は、大学生協だったのですが、当時、資材が高騰し学生たちの住宅を十分に確保できなかったのです。それをニュースで知った徳島県山城町が、 間伐材を使ったミニハウスを提供しました。
 
 何ヶ所も作られた仮設住宅のうちの一ヶ所ですが、それでも山城町の森林組合や町の人 たちが夜を徹して製品を作り、送られた神戸でもボランティアが大勢集まってそれを組み立てる、という作業を通じて、山側と街側が結ばれ、その縁 は後々までしっかりと残ったのです。

 その後、「農山漁村と都市を結ぶ」という趣旨で『JUON(樹恩) NETWORK』という団体(現在はNPO 法人)が設立されました。
 
 その活動の一つに割り箸の普及があります。山城町森林組合で始められたスギ端材利用の割り箸製造が、 同じ三好郡池田町の福祉施設へと移り、昨年現在全国で67大学の学生食堂でその割り箸が使われているのです。「山には間伐等の手入れが必要 」と学生たちにアピールするのが目的です。

 話が少しそれましたが、神戸のときでもあくどく儲けようとする人たちがいたのですもの。ス マトラ沖巨大地震やインド洋大津波の為に全世界から、とてつもない額の寄付金が寄せられていますが(感動しますよね)、その影で物価が高騰し 儲けようと暗躍する人も出てくるのでしょうね。復興特需などという言葉がちらほら聞こえてくるのも気になります。

 どんな時にも足元を 見るかの様に儲けようとする人がいて、そして助けようとする人も出てくるものですが、人の善意と悪意について考えさせられることの多い今日この 頃。
「今の世の中に大切なのは大義です」と、おっしゃる当会理事、有馬孝禮先生の言葉が新鮮に聞こえます。
 いつも公正でありたいと 願いつつ、、、、ではまた (あし)


2005/01/15
-No.226-

◆ 大失敗とお詫び

 前回のお知らせで太子町の研究集会のご紹介をさせていただきましたが、行事予定欄に掲載した、申込用紙に書 かれた振込先が間違っておりました。
 伏してお詫び申し上げます。

 正しい振込先は、
 口座・通帳記号10380- -番号 93715181 
 加入者名 太子町フォラム 事務局 岡部知子 でございます。
「郵便振替電信振込依頼書」にご記入の上窓口にてお手続 き下さい

 全く事務局の勘違いによる大ミスでまことにお粗末で恥じ入っております。
 本日以前に行事予定欄から申込書をダウン ロードして下さった方は、こちらの口座に訂正してお振込いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 せっかく郵便局に足を運ばれ たのに、口座が閉じられていますと言われ、もう締め切られた、と思い込まれた方もいらっしゃると伺いました。
 まだまだ定員に空きがござい ますので、どうぞもう一度ご足労ではございますが郵便局にお出かけいただきたいと存じます。

 まことに、事務局失格ともいうべき大失 態。
 13日早朝から来年度の見学会の下見に出かけておりまして今夜戻って参りました。まさか振り込めない原因が自分の確認ミスとは思い もよらず、もう落ち込むしかありません。
 どうしようもなくしおれてる「あし」でございます。

 取り急ぎお詫び申し上げます。
 ど うぞご参加頂けますよう、お待ち申し上げております。
 (あし)


2005/01/10
-No.225-

◆ 太子町と竹内街道

 毎年のことながら、年末、年賀状書きに追われているうちに年が明け、おめでとうございます、とご挨拶しているだ けでもう十日もたってしまいました。
 信じられない早さで、時間が滝に注ぎ込む川のように怒濤をたてて流れ落ちて行きます。
 今年も慌 ただしい年になりそうで、何だか落ち着きませんが、皆様におかれましては、良い年明けをお迎えになられたことと存じます。

 新年早々、 太子町の参加申込名簿を見ながら打ち合わせをいたしましたが、思いのほか、始動が遅れていらっしゃる方も多いようで。
「参加しますよ」と年 賀状に書いて下さった方々、申込書をお送り下さいね。

以下は今現在「参加したいけど」と迷っていらっしゃる方へのお誘いの宣伝です。
「地域で修復のプロを育てるしくみ」
■主 旨
 昨年の景観3法の制定、平成8年の登録文化財制度の導入等によって、地域の歴史 的建築物を残し、それをまちづくりに活かしていこうという動きがますます盛んになってきた。
 歴史的建築物の修復に当たっては、設計監理・ 施工にあたる技術者・技能者が、歴史的な価値を損なわない工事を心がける必要がある。このためには、一定の経験と知識が必要になる。

 一方、地域の歴史的建築物を多数のこしていくためには、保存修復のコストを、国宝・重要文化財の修理工事のような、一般の民間人 や市町村が対応しにくいようなものから、比較的小規模な予算の範囲におさめることが必要である。そのためには、単なる修復の経験・知識だけで なく、工事にあたっての機転もきかせなくてはならない。これらの状況に対応できる修復のプロといえる技術者・技能者が、各地域に存在するだろう か。

 本研究集会で取り上げる、大阪府太子町の登録文化財大道旧山本家住宅における修復は、地域における修復の技術者・技能者 の育成・確保に対する取り組みが成果をあげた例である。
 そこでは、どのような取り組みが功を奏したのだろうか。また、どのような工夫がな されたのだろうか。そうしたことにスポットをあてながら、全国で歴史的建築物の修復に取り組む会員とともに、今後の地域における修復の技術者・ 技能者の育成や確保の望ましい方法について意見を交換したい。

<会 期> 平成17年2月12日(土)
<場 所> 万葉ホール( 太子町役場内)

■プログラム(予定)
12:40 竹内街道に位置する太子町で1軒残った茅葺きで大和棟の民家、山本邸見学会と山本 邸での昼食
万葉ホール(太子町役場内)に移動
14:00 挨拶 太子町長、法隆寺管長
14:15〜17:00  研究集会「地域で修復のプロ を育てるしくみ」
パネラーは石井智子さん(石井智子美建設計事務所)、林義久さん(大阪府教育委員会文化財保護課主査)、西澤英和さん( 京都大学講師)、阪上圭司さん(阪上工務店)、曽野一夫さん(棟梁)
18:00 宿泊先である太子温泉に移動/懇親会(情報交換会)

翌13日は見学を兼ねながら、終点京都駅までのバスを仕立てました。

 太子町には、古く推古天皇の時代より最古の国道である「大道」 が難波より飛鳥京へと通っていましたが、その後、聖徳太子信仰の道から大阪へ通じる経済の道として時代とともに変貌を重ねながら、「竹内街道」 として今へとつながっているのです。

 太子町にある聖徳太子の御廟をお守りする叡福寺を起点として、竹内街道を(ところどころ歩きな がら)、當麻寺や奈良橿原市今井町までの道をバスでたどります。懐かしい暮らしを思い出すような町並み。都会暮らしで忘れてしまった感性がよ みがえるかもしれません。

 寺内町として有名な今井町は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町。伝統的な町並みを保存す ることで、地域がよみがえる。そんな実際も是非ご紹介したいと思っているのです。

 詳細及び申込用紙は、行事予定のWordfileから引っ 張り出して下さい。
 どうしてもうまく行かない方は、太子町フォラム実行委員会事務局までお問い合わせ下さい。
 FAX 0429-77-2491   
 または、E-mail tankoro@japan.email.ne.jp   
 (あし)


2005/01/06
-No.224-

◆買わないと夢も見られないけど

 年末ジャンボを買った夫が、一枚ずつチェックしているそばで「もし当たったら私に5000万円貸して?」 と言ってみました。
 すると夫が「貸すなんて言わないで、やるよ」と笑いながら一言。

 それだけですっごく嬉しくなったひとときでし たよ。
 でも結局、手には入りませんでしたけど、、、(残念、、、)

 情報交換欄に大河内さんから伝言を頂きました。「なかなか飼育 が難しかった固有種の陸産貝類コガネカタマイマイの赤ちゃんが昨日孵化しました。こういうことで祝杯をあげられるのも、研究者のヨロコビですね。 」って。
 明日の世界に希望を持って、研究に励む方々がいらっしゃるのです。なんだか嬉しい。
 (何のことかわからない方は、 2004/10/24 NO.200〜2004/10/27 NO.202の事務局日記を見て下さいね。)

 今日は、橋本まで、伝統工法による木造住宅の新築現場見 学に行ってきました。
 その後、2月の大阪府太子町研究集会に向けての打ち合わせ。
 参加者募集中です。
 申込用紙も取り出せ るようになっていますので行事予定欄をご覧下さい。
 ではまた。

 (あし)


2005/01/01
-No.223-

◆ 新年のご挨拶-今年の干支

 昨年末、スマトラ沖の巨大地震から始まったインド洋大津波で10万人を超える犠牲者がでたとのニュー スに信じられない思いでした。ただただご冥福をお祈りするばかりです。
・・・・気を取り直して事務局日記続けます。

今年の干支は「 とり」
「とり」といえば、随分むかしの思い出話をひとつ。
 結婚するまで、単身赴任中の父の面倒を見るべく大阪府の茨木市という町に一 年ちょっと住んだことがありました。

 それまで、お墓参りもあったし京都にはしょっちゅう行っていたけれど、茨木という町は全く初めて。ま ごつくことが多かったのですよ。
 
 近所のお肉屋さんで、「とり肉下さい」とケースを見ながら注文しているつもりなのに、何の肉?と何度 も聞き返されたことがありました。
 後から母に聞いたら、とり肉と言えば、キジやカモなどを指すのであって、カシワって言わないとダメなのだ そうで。。。
 ニワトリの肉しかないと思い込んでいた人間にはパニックになる程の??状態。もう泣きそう、、、恐るべし関西の食文化!

 そういえば新入社員に、「朱肉買ってきてくれ」と言ったら、その新入社員は肉屋さんに行って朱肉下さいって言ったんだっていうこばな しがありますよねぇ。
 
 肉屋の返事が「今、きらしてます。」と言うのがその話の落ちなのだけど、、多分、その新入社員は、関西文化圏 からきた人に違いない。朱鷺の肉でもあるのかもしれないってわくわくしていたのカモ。(んなことあるわけない?)

ではでは。
本年も どうぞよろしくお願いいたします。
 (あし)