設立趣意書

  『日本書紀』のなかに、森の起源と木の用途に言及している箇所がある。それには、スギとクスは舟材として、ヒノキは宮殿建築用材、マキ(コウヤマキ)は墓の棺材に使うようにと書かれている。舟材としてクスが出てくるのは、当時丸木舟が多くつくられていたからであろうが、この記述は、古代の日本人が木の特性を良く知っていたことを示している。 日本は今でも国土の三分の二を森林が占める森の国であり、縄文の昔から、木は日本の文化や生活を支えてきた。『日本書紀』には、出雲に巨大な木造の神殿がつくられたと記されているが、最近ではその神殿のものと思われる三本の材を束ねた巨大な柱も発掘されている。法隆寺は現存する世界最古の木造建築物であり、森とともに育くまれた木の匠たちの技は、数多くの木造の建物を残してきた。匠たちは奈良や京都の寺社建築を生み出しただけでなく、広く全国にひろがり、町や村々にもすぐれた寺社や住居が残されている。こうして、森に育つ大木とそれを使う匠の技が、日本の木の文化をつくりだした。

 ところが、日本にはこれほどまでの森林があるのに、その森林のなかに大木がなくなっている。その結果、奈良や京都の大型木造文化財を修理復元するときにも、必要な大径材を国内で調達できない現実をしばしば生みだしてきた。木造建造物は、定期的に補修することによって長期間守られるにもかかわらず、今日では、そのために必要な木材が国内で調達できないのである。

 実際、有名な文化財建造物の復元にも、台湾産ヒノキが用いられたことはよく知られている。その輸入材のなかには、森林の持続性を考慮せずに伐られる材が多くあることも指摘されている。例え、やむをえず大径材を輸入する場合でも、持続的な森林管理を保証していない森林からの輸入は、これからの文化を考える上では好ましくない。

 ところで、文化財である日本の木造建築には、さまざまな木が用いられている。奈良や京都の寺社建築には、『日本書紀』にも記されていたように、ヒノキを柱材として使うことが多いが、スギやケヤキもよく用いられ、屋根は檜皮、ごく稀にスギ皮で葺かれることもある。町や村々の文化財は、その地域の材が使われていることもあって、マツ、ツガ、カツラ、クリなど多様な木が用いられる。

 現在では、そのすべての木が足りない。その結果、有名文化財ばかりでなく地域の文化財の補修も困難になり、そのことが、大径木を用いた伝統的な建築技術の伝承をも危機に陥れている。

 日本の木造文化財は、森林で大木が育ち、それを伐って運ぶ技術と建築物にしていく技術があり、さらに木の文化を守っていこうとする人々がいて、はじめて維持されるのである。それが木とともに展開する日本の伝統的な精神文化をも維持させてきた。 とすると、大木を育て維持することができない現実は、木造文化財の危機を招いているばかりでなく、自然とともに暮らしてきた日本の精神文化の危機をも生みだしてしまうのではなかろうか。日本の精神文化は、木を多用した造形文化の歴史と不可分の関係にあったのである。私たちは、木造文化財を守るための大木、大木の育つ森を維持していく必要性を痛感する。

 森の歴史を振り返ってみると、かつては木の搬出の困難さから、奥山の森林はほとんど手つかずで残されていた。木の重さが長距離輸送を困難にしていたのである。ちなみに日本の林業地は、伐採した木を筏に組むなどして、搬出が容易な河川があるところから形成されている。ところが日本の近代化とともに、架線=ケーブルによる搬出や、森林軌道の整備、その後の林道=トラック輸送が可能になり、次第に奥山の森の伐採も実現できるようになっていった。

 さらに、とりわけ戦中、戦後初期の大伐採と戦後にすすめられた拡大造林は、森林の年齢構成をいっきに幼齢林化させた。今日の日本の森林は、半分弱が人工林であり、その大半は戦後造林された幼齢林である。また広葉樹を主体にした天然林も、この過程で伐採され人工林化されたばかりでなく、戦後にはチップ=パルプ用に大量伐採されている。 大木が日本の森にない現実は、このような過程をへて生じたが、もうひとつ重要な要因としては、相続税の問題があった。仮りに樹齢三百年の木を育てようとすれば、森林所有者が「当主」である期間は、一代でほぼ三十年程度であることから、十回ほどの相続が繰り返されることになる。そのとき、大径木は単価が高いこともあって、そのままでは相続税が払えず、森林所有者は伐採して売却し、相続税を払うしかなくなる。 このように考えていくと、文化財を維持していくために大木を守ろうとするなら、意識的に大木を残していける仕組みをつくる必要性のあることがわかる。

 日本の木造文化財を守るためには、どのような方法を創造すればよいのか、私たちは新しい有識者会議の設置を呼びかける。寺社関係者をはじめとする今日木造文化財を守っている人々、木造建築の匠、森林所有者、森林行政にかかわる人々、日本の木造文化財と森林を守ろうとする人々。私たちはさまざまな立場の人々の知恵を結集し、関係する人々、諸団体に働きかけながら、森に大径木を残し、木造文化財を守る仕組みづくりに着手したいと考える。

 長い時間をへた木造建築物は、みているだけで日本に育くまれた木の文化と歴史を感じさせる。自然の育てた木を人間の世界にとり込む伝統的な叡智のなかに、太古の昔からの自然と人間のかかわりを感じとることができる。木造文化財等の文化遺産を守ることは、単なる建築物の保存ではなく、日本的な自然と人間の文化を守ることでもあり、自然と人間の歴史を感じとりながら暮らす社会をつくることでもある。

 以上のような立場にたって、私たちはここに、文化遺産を守る森づくりの方法を考える『有識者会議』を設置する。

 「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」 設立 2002年5月9日