会報

第1号 2003年5月13日発行

文化遺産を未来につなぐ森をつくろう

 日本はもとより世界文化遺産の保存に長年関わられた立場から、木造文化財を後世に残すために必要な木材の種類、大きさや品質についての不安を訴え、その方策を呼びかける。

 われわれの「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」は、発足以来まだ日が浅く、全体としての活動目標をどこに置くか、まだ隅々まで決まっているわけではないが、文化遺産を維持保存するための木材確保が中心的目標の一つとなることは間違いない。中でも国宝・重要文化財に指定されている建造物の修理に際して必要となる取替材の確保は、量的に見ても最重要である。そこで、この点から話を進めたい。

修理に使う新材には「同樹種」、 「同品質」、「同技術」の原則がある  
 日本は、世界有数の木造建造物の国である。その長い歴史の跡は、現在三千棟以上にものぼる国宝・重要文化財建造物に示されている。日本人は、これに大きな文化的価値を認め、これを大切に保存してきた。しかるに世界では、木造はマイナーな建築として軽視されてきた。それが、ようやく近年、特に日本が世界遺産条約に加盟して以来、とみに木造建造物の価値が注目されるようになり、イコモス(国際記念物遺跡会議=ユネスコのNGOは1999年「歴史的木造建造物保存のための原則」を採択した。その中で修理の時に必要となる新材は、取り替えられる材と「同樹種」、「同品質」、「同技術」でなければならないとしている。この規定を日本に当てはめて考えてみることとする。

 まず「同樹種」について。日本の歴史的建造物の材料は圧倒的にヒノキであり、マツ、スギ等がこれに次ぐ。即ち針葉樹が主である。日本の国土は太古の昔から針葉樹で覆われていたが、次第に広葉樹、照葉樹の繁茂が始まり、針葉樹はそこかしこに残るに過ぎなくなったという。歴史時代になると、日本人は針葉樹の良好に残存する場所を「杣」(そま)と名付け、ここから集中的に用材を伐採し、切り尽くしていった。一方広葉樹の代表はケヤキであった。ケヤキは、古代から強度を必要とする部材に使用され、また近世では見た目の美しさも喜ばれた。しかし広葉樹が広く建築材の主力となることはなかった。

 ここで、日本の歴史的建造物が、終始国産材で造られてきたという事実を強調したい。例外は長崎に中国材で建てられた寺院と唐木趣味の装飾材だけであった。これは、海が天然の国境になっていたという地理的状況と密接に関連するが、これがまた日本の歴史的事実と文化的伝統を形成したのであった。この日本特有な歴史、伝統を尊び、取替材にも国産材を用いるべきである。

 次に「同品質」について考えたい。 

 文化財建造物には天然林産の良材が使用されている。法隆寺では金堂や中門、回廊に見事な柾目や杢目の柱が立ち並ぶ。これは人目に付きやすい場所に木目が真っ直ぐ通り、年輪がよく詰んだ材が選択的に使われた結果に違いない。では法隆寺ではすべて美材で建てられたかというと必ずしもそうではない。五重塔の人目につきにくい場所の材は金堂に及ばない。東大寺の転害門は天平の名建築に数えられるが、意外にもその柱は節だらけである。これは大伽藍では周辺部建物にまで良材が及ばなかった歴史を示すものといえよう。鎌倉時代の東大寺再建事業では状況はもっと厳しかったらしく、正面の南大門ですら、柱は、無節ながら、捻れ育った材が使われている。

 ここであわせて寸法の問題も加えてみると、伽藍の巨大な柱、塔の心柱、建物を貫く桁、大空間を亘る梁、一枚板からなる厚い板扉等々には、現在の通常の流通にはなじまない大径長大材が使われている。以上の良材、大径長大材は得難くなっている。

  最後の「同技術」とは何を指すか。古代から中世までは、材は丸太にクサビを打ち込んで割る「打割法」により大割りし、チョウナで形を整え、ヤリガンナで仕上げをした。しかし近世になると、オガ(縦挽き鋸)で製材し、ダイガンナで仕上げるようになった。残念ながら明治以降、古代、中世の建造物の修理にも補足材を近世以来の技術で工作した。これは大きな誤りであった。戦後ヤリガンナは復原的に使われるようになり、打割 法も復原の研究が 最近なされている から、今後は古代、 中世的技術が修理 に適用されねばな らない。そのため にも、目が真っ直 ぐ通った新材が得 られるようにしな ければならない。

大修理が集中するのは二百年先
 以上で、今日では入手が困難になりつつある特殊な寸法、品質の新材が取替材用として必要なことがわかった。では、量的にどれだけの材が必要なのか。国宝・重要文化財は三千棟もあるが、大径長大材或いは高品質材は、主として古代、中世の寺院建築や塔、城郭なの大規模建造物に限られるから、該当する建造物は恐らく数百棟であろう。これを詳細に調べれば、特殊材の総量、即ち潜在的な需要量が判明するはずである。今日では詳細な修理報告書が千冊近くも刊行されているから、データの蒐集は困難ではあるまい。勿論この潜在的需要が全部必要なわけではない。将来の取替率と時期とを勘案すれば、一時期に必要となる量は、それほど多量でないかもしれない。

 では需要が集中する時期はあるか。

 私は約二百年後を最も心配する。

 なぜならば、日本の大規模建造物の修理は、19世紀末に始まり、1950年代にほぼ終わっている。だから当面は取替材の需要は少ないが、二百年後、即ち前回修理から三百年を過ぎた頃になると、木造建築の特性からみて、再び大修理の時期が到来し、かなりの量の補足材が必要となろう。勿論修理技術が近年進歩しているから、これまでの様な量は要しないであろうが。

木の文化発展継承に寄与する 「日本文化涵養林」を、そしてそれは、長期択伐型の森である
  以上国宝・重要文化財建造物の保存に必要な木材の将来的展望を述べた。しかし大径長大、高品質木材の需要はこれに止まらない。戦後盛んとなってきた史跡地上に復元される建物、ことに古代の大規模官衙や寺院復元の場合には多量の大径長大材を必要とする。更にいえば、新築建築に良好な木造が好まれ、普及すれば、高品質材の需要も増大しよう。こうなれば、森は単に「文化遺産保存林」であるだけでなく、将来の木の文化発展継承に寄与する「木の文化涵養林」となろう。森林が日本の精神的風土の重要な一部を形成し、日本人が木に関わって独特の文化を形成してきたことに思いを馳せれば、この森は、広く「日本文化涵養林」の一角をなすともいえよう。

 この目的を達成するためには、育種から始まって、植林、管理、伐採、運搬、流通等、様々な局面や、価格に関する諸問題など、沢山の難問を片づけなければならない。また森林の育成には、かなりのロスが避けられないことも忘れてはならない。幸いこの有識者会議には各方面の代表者が居られるので、問題の解決は逐次進むであろう。

 最後にもう一度考えてみよう。

 日本にはすでに数百年にわたる植林の歴史が 短い期間に育成することに力点が置かれ、数十年ごとに伐採を繰り返してきた。自然品質的にも高度とはいえなかった。だから大径長大材、高品質材はたまたま残存していた天然林から搬出されてきた。これでは、略奪農業ならぬ略奪林業であったといわれても仕方あるまい。必要とされる森は、これまでのような"短期皆伐型"でもなければ、風倒木、枯損木以外伐採を許さない"永久保存林"でもなく、必要なとき必要な材の供給ができる"長期択伐型"林業に支えられた森である。