会報

第3号

熊野古道センターと森林・木材

1 私が歩いた石畳
私の所有する山に昔から「馬越背の石畳」と言われたしっかりとした石畳があります。私の住まいする海山町から南の尾鷲市に向かう昔からの峠道です。峠から東に向かって石畳から逸れて急な坂道を登ると天倉山という頂上に巨石がむき出しになった山があります。子どもの頃はこの山に登るために良く歩いた道で、苔むしていて滑りやすいので大変疲れる道だった記憶があります。
自分の山の中を通っていることもあり、木材の搬出に使っていた道でした。それが近年急速に注目されて、県内各地に同じような峠道があることが判り、それが1000年の昔から伊勢と熊野速玉大社や熊野本宮大社を結ぶ道として多くの人々が歩いた道だと言うことで、県のもあり、観光バスで歩きに来られる方々が急速に増加し、次第に知名度も高くなり、道周辺も整備されるようになりました。

2 世界遺産の登録
そして紀伊半島南部の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)のある熊野の地と伊勢神宮の伊勢や大阪・和歌山、高野山真言宗総本山金剛峯寺のある高野山及び吉野・大峯とを結ぶ古い街道(※1図)で、「熊野古道・熊野街道」と呼ばれている参詣道を霊場と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産の登録準備段階の暫定リストに加えられる事となりました。子どもの頃に何気なく歩いていた石畳が、あれよあれよという間に世界遺産になると言われて驚いています。

三重県側にはツヅラト峠、始神峠、八鬼山越え、曽根次郎坂・太郎坂、大吹峠、横垣峠、通り峠、荷坂峠、馬越峠、三木峠・羽後峠、二木島峠・逢神坂峠、松本峠、風伝峠と多くの峠道(※2図)があり、これらの道は以前から山道として使われていた道もあれば、熊野古道が注目されてから、昔の道を探し出した道もあります。

3 森林と熊野古道
三重県側の熊野古道は伊勢路から熊野三山への参詣道として、8世紀から盛んに利用され始めた道です。しかし近世になり、人々の往来が荷馬車から鉄道や自動輸送に変わっていくとき、集落を結ぶ峠が厳しい坂道になる熊野古道の峠道は、次第に利用されなくなり人々の意識から消えていきました。

最近、急速に熊野古道が注目されたきっかけは、ごく一部の人々が古道の石畳のすばらしさや、その歴史的価値に注目し、消えていた各地の峠道を歩き、整備し始めたことが、世界遺産登録への動きに繋がりました。

千年の昔を語ることは、専門家でない私にははばかれますが、あえて想像を豊かにすれば、針広混交の林や里近くにはすでに植えられていた杉や檜の林の中を歩く参詣者は、三山に向う古道を歩くこと自体が修行であり、その周辺の森林を感じ取り、三山へ参詣する心の準備を整えていったと考えます。

4 Sustainable Forest Management〜持続的森林経営の原点
私の住む尾鷲地域は吉野と並ぶ、長い歴史を持った人工林地帯で、その管理された森林は植林の習慣を持たない全国の人々に、日本人がもっている民族的習慣と言われている“木を伐れば植える”という事が、この熊野古道で学ばれたと考えることもできます。

現在、世界的に叫ばれているSustainable Forest Managemen(持続的森林経営)の基本を吉野や尾鷲では、すでに長い歴史を持って実行しており、その後の日本列島が緑の列島と言われる原点がこの熊野古道の森林にあるのではないかと思っています。

5 熊野古道センター
これらの古道ブームで三重県は尾鷲市に熊野 古道センター建築を計画しました。私はこの建築にボランティア的な三重県の委員と言う立場でハードからソフトまでかかわっています。

なかなか難産の建物でして、改革で有名な前北川三重県知事の就任前に話が出ていた三重県の紀伊半島南部振興策の一環で都市と地域との交流拠点構想と言う観光がらみの考えから始まった物でした。最初の調査が1994年に行われ、そのときに委員として参加したことがかかわりの始めで、途中で北川知事の民活構想でPFI事業(民間資金等活用事業)で実行しようとして調査しましたが、結局は人口の少ない当地で民間企業が採算の合わせられる事業になりがたいと言うことになり、再び県事業となりました。

そこで建築プランの公募型プロパーザルを実行する事が出来て全国から163案の素晴らしい提案を頂きました。建築家で東大教授の内藤廣氏を委員長にして私も委員の一人として選考させて頂きました。

木造の大型建築物のプロポーザルと言うことで、伝統的な工法から全く新しい木造工法まで多彩なプランの中から、戸尾任宏氏が主宰する株式会社建築研究所アーキヴィジョンの提案が「新しい木構造の在り方を大胆に表現しており、熊野らしさをみごとに建築の中にまとめ上げたことが高く評価された。平面構成の堅さ、外部に曝される部分の木の処理などいくつかの問題指摘もあったが、いずれも改善可能であり、架構により出来上がる空間は、この案の欠点を補って余りあるものとされた。」と評価され採択されました。

6 森の展示
そこで次のような提案をしています。

『今まで木材は単に建築材料としか見ていません。しかし熊野古道と森林は切っても切れない強い関連を持っています。そしてそこに使われる木材は、必ず持続的森林経営の森林から伐られた物でなければなりません。

なぜならば、熊野川の広大な中州に建てられ、千年の時を重ねた熊野本宮が明治時代に熊野川の大水によって大破し、現在の場所に三分の一の規模で再建されたことは、上流域での森林の荒廃が原因といわれます。一時期、持続的森林経営が実行されていなかった事によって千年の歴史が流されたのです。この熊野古道センターの木材が持続性のない森林管理からの木材で建てられたとしたら、熊野本宮を流した原因を古道センターが作ることになるのです。』

そこで古道センターに使われる木材は、完全な時系列的トレーサビリティーに裏付けられた木材を利用してみてはと考えています。 

@どの森林で伐られたか?
A誰が伐ったか
Bどこで製材したか
C伐られた森林は再び植えられたか
Dその後どのような手入れをされているか

『これらを証明でき、将来までも説明できる木材であれば、これによって今まで単に建築材料であった木材は突然立派な展示物となり、森林を展示することとなります。』と提案しています。

7 文化財と森林
この有識者会議は、文化遺産を維持するために必要な木材の確保が重要な目的です。この熊野古道センターは全く新しい建物ですから文化財とは全く関係がありませんが、その建築の要因は熊野古道の世界遺産登録です。

現代の文化遺産は世界遺産だけでなく、自然と環境との調和の中に文化遺産があると言えます。そう思うと有識者会議は木材を確保するだけでなく、使う側に持続的森林管理からの木材を選択的に使うという強い意志を持って頂くような運動も今後必要だと考えています。