八世代先見据えた森作りを

内山 節 ( たかし )  (哲学者)

「哲学者」と聞いて、私たちはある種、固定したイメージを抱きがちだ。だが今の時代、人里離れた山村に暮らし、自ら畑を耕作しながら思索する哲学者の姿をイメージするのは難しいかもしれない。内山節(たかし)さんは、東京のほか群馬県の上野村に生活の拠点を置いて、生きる人間の視点から思索を続ける実践的哲学者だ。現在、立教大学大学院教授として教鞭を執るほか「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」の共同代表として、神社仏閣の木造建築を未来に受け継いでいくために不可欠な樹木の育成プロジェクトに取り組んでいる。  (聞き手=山本伸裕記者)

〜 内山 節氏(哲学者・当会共同代表)のインタビュー 〜

(2004年7月10日『中外日報』より転載)

――哲学者でありながら、村での「半定住」生活を続けられているというのはユニークですね。


内山 私が群馬県の上野村にもうひとつの拠点をもつようになったのは七〇年代の前半あたりからで、以来東京と上野村を行ったり来たりする生活を送っています。今は一年のうち、東京と村とその他の場所とでそれぞれ三分の一ずつくらいでしょうか。

――そうした生活を決意するようになった経緯を教えてください。

内山 生まれは戦後の住宅地の一角、東京の世田谷なんです。新興住宅地でしたから周囲には古い言葉でいう「俸給生活者」が非常に多い。特に戦後の高度成長期というのはサラリーマン的価値観で一色に塗りつぶされていったような時代ですね。子供に対しては高学歴志向をもち、いい企業いい職場に就職していくのを理想としていた時代。そうした雰囲気の充満した街の中で暮らしていましたから、戦後社会の中で思考力を失っていく人々の姿がよく見えた。親たちの話っていうのは偏差値がどうだの、どこの高校に入るだのそんな話ばっかりでしたからね。でも、人間にはほかにもたくさん考えるべきことはあるわけで、もっと人間に力があって生き生きしている世界があるはずだ。そういう思いを中学生のころからでしょうか、抱き続けていたんですね。

 私は釣りを趣味にしていましたから、よく山間地域なんかに出かけて行きました。そうすると、そこには実に絵になっている人たちの姿がある。そうした人たちの姿が私にはある種の憧れでもあった。  そんなことを感じているうちにたまたま群馬県の上野村に釣りに行ったんです。そこは見事なまでに「素晴らしき寒村」で、私はこの村に自然の風景と労働の情景が重なり合う情景を見つけだしたんですね。

――当然、今の生活のあり方と内山さんの哲学は密接に結びついているわけですね。

内山 哲学に限ったことではないんですが、学問というのは観察者の目でものを見ることを要求してきます。観察者の高みに立って客観的にものを見るという姿勢を要求してくる。私にはそうした学問のあり方に不満があって、つまり観察されている側の人たちのものの見方とか考え方とか、そこから組み立てられていく学問というものがあって当然だという思いがありました。経験がなければ出発していくことのできない学問、そういった学問のあり方に私は関心があったんです。

――それで身をもって村の生活を経験してみようということに?

内山 本当に経験するということはできないのかもしれないですけど、実際に自分の身をその中に置いてみる。内部からものを見て考えていくということを擬似的にでもいいからやっていかないといけない。そうした気持があったし、今もあるということです。哲学というのは本来そういうものだったはずなんです。

――その言葉の通り、内山さんは思索者であると同時にさまざまな実践的な活動にも携わっていらっしゃいます。

内山 NPO(非営利団体)的な活動などにもいくつかかかわっています。その中のひとつ、これはNPOではないが、「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」というものを約二年前に立ち上げまして、将来の神社仏閣の建築材の供給に必要な森を育てるという取り組みをしています。

――その取り組みについて詳しく教えてください。

内山 木造建築の場合、周期的に補修をしていく必要があります。場合によっては建物すべてを解体して土台から作り直していかなくてはいけない。たとえば法隆寺ですと三百年に一度くらい大改修をやらなくてはならない。法隆寺はそうやって千年以上保たれてきているわけです。だからその背景には森で育ってきた三百年の木があり、千年を超える技術の伝承がある。つまりそこには永遠の時間が形成されているということです。

 昔の人というのは千年くらいの単位、あるいは永遠の世界でものを考えたり行動したりすることが案外できたんですね。ところが現代というのは、永遠どころか十年先もわからない。私たちは今年とかせいぜい来年の計画とかに追われて暮らしているだけで、千年の発想、まして永遠の発想などできなくなってしまった。

 木造建築の文化財を考えていく場合、この先数百年とか千年とかの時間単位でそういったものを支え続けていこうとする精神が失われてしまう。ある程度長持ちする木造建築、それが普通の住宅であっても樹齢百年くらいの木がほしい。文化財に使われているようなものとなると、最低でも樹齢二百五十年くらいの木がほしくなるんです。特に神社仏閣の大きな建築には柱にものすごい重量がかかっているわけで、あれだけの重量を支えるためには充分な強度をもった檜が必要です。

――とすると天然林で育ったような木でないと使いものにならないということでしょうか?

内山 もともとは天然林の木を使ってきたんです。ところが、今は檜を天然で出せる場所というと木曽しかない。その木曽にも大きな木はないというのが現状です。だから、これからは否応なく人工林の木を使わざるを得ない。天然林で育った木の場合、人工林で育った木に比べて非常に木目が詰まっています。昔使っていた文化財の木というのは、一ミリの間に木目が三本くらいある。そういった木をこれから文化財のために安定的に提供していける森は、日本にはもうないと言ってしまっていいでしょう。

 それは人間が木を切ってしまったからという言い方もできますが、もうひとつは人間はもう二百五十年なんていう長い時間とつきあっていくことができなくなっているんですね。もっというと、五十年、百年ですらつきあうことができない。そういう社会に変わってきている。そうした社会の中で二百五十年の木をどうやって残していくか。私たちの課題です。

――二百五十年といえば、約八世代先の仕事ということになりますね。

内山 一般の人々がそのような長い時間を保証することなんてほとんど無理です。では国家にその保証をしてもらうのはどうだという意見は案としてはあるんです。けれど国家でさえこの先二百五十年存続するかというと、そうそう楽観視はできない。そのような長い時間を保証できるところはもはや神社仏閣のような世界にしかないんです。


■ 内山 節 (うちやまたかし)

昭和二十五年東京生まれ。哲学者。立教大学大学院教授。NPO法人「森づくりフォーラム」代表理事。著書に『時間についての十二章』(1993 岩波書店)『貨幣の思想史』(1997 新潮社)『哲学の冒険』(1999 平凡社ライブラリー)『里の在処』(2001 新潮社)など多数。