文化財たる自然や建物を支える背景としての宗教や文化

吉野金峯山寺執行長 田中利典

◎修験道と森林

 今、修験道は大変注目を浴びようとしています。昨年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、私ども金峯山寺をはじめ、修験道を育んできた吉野・熊野地方が、日本で12例目のユネスコ世界遺産に登録され、修験道が注目を浴びるひとつのきっかけとなりました。

 ところで、修験道は森林と深いつながりがあります。修験道はいわゆる山伏の宗教のことで、神仏習合を基盤に、神道や仏教、道教などが混淆して発展・成立した日本固有の山岳宗教であり、開祖の役行者以来1300年の歴史を持っています。また日本の森林はほとんどが山にあり、山川草木そのものである森林は修験道と切っても切れない関係がありました。その修験道は明治初年の神仏分離政策によって一時は解体される時代があり、そのため、今日もその法脈を伝えているとはいえ、庶民生活に根付いていた往時のような勢力はなく、一般の方々には縁の遠いものとなってしまいました。そしてここにいう修験道の解体とは、まさに森林の聖域としての地位の喪失と同時に、近代化以前の日本の精神的風土の解体をも意味していたのです。

◎ 明治の宗教政策・日本古来の宗教心がどう変えられたか

 森林をめぐる多神教と一神教  修験道(多神教)は近代日本の生け贄

 明治期に『神仏分離令(註:1868(明治元)年3月、成立したばかりの維新政府の神祇官により出された通達。長年続いてきた神仏習合の慣習を廃し、神道と仏教の境をはっきりさせた)』が発令され、あろうことか、明治5年には『修験道廃止令』まで布告となって修験道は禁止となりましたが、その『修験道廃止令』により職を失った修験者(山伏)の数が、なんと17万人だったそうです。これは、すごい数字です。現在の日本において、伝統仏教諸教団および新興の仏教系の教団を含めて、僧籍を持った者(僧侶)の数は22万人と言われています。なんだ、当時の修験者の総数である17万人よりも、現在の僧侶の数のほうが多いじゃないかと思われるかもしれませんが、現在の日本の人口が1億2600万人なのに対し、明治初期の総人口はたった3300万人。つまり、現在の約4分の1の人口の時代に、17万人もの山伏がいたかと思うと、その数が並々ならぬ数であったことが容易に想像できるでしょう(現在の人口に換算すると、60数万人も山伏がいることになります)。この修験道禁止に関して言えば、私ども金峯山寺も明治7年に廃寺とされ、仏寺として復興する明治19年まで13年間にわたり金峯神社の末社として復飾神勤するところとなりました。またこれにより所有していた境内地や造営山をほとんど失うことになります。

 衆知のとおり、明治という時代は、明治維新から始まり、「欧米列強諸国からの侵略に対抗しうる近代国家としての日本を創ろう」という大きな力が動いた時でした。「文明開化」というのは、すなわち「欧米化を図る」ということであり、その欧米が世界の他の地域に先駆けての近代化を進めることができたのは、その背景にキリスト教的価値観、いわゆる「一神教の価値観」があったと思われます。

 そこで明治政府は、「日本を列強諸国のように欧米化(=近代化)するには、一神教のような価値観で強固な国づくりをしなければならない」と考えました。そのために、まず最初に神仏分離政策を行い、仏教伝来以来1300年間培われた神仏習合という日本の精神風土の根幹を葬り去り、神仏習合の代表たる修験道は旧陋なものとして解体するために、『修験道廃止令』という法令まで出したのでした。そうまでして、日本が欧米化、あるいは近代化への転換を図るために職を奪われた17万人もの修験者というのは、近代化のある種の生け贄だったのではないか?と私は思っています。 

 変容させられた日本人の宗教観

 明治政府の政策による神仏分離、廃仏毀釈運動は修験道だけでなく、仏教もまた打撃を受け、日本古来の神道にも大打撃を与え、合祀や、鎮守の森が破壊されるなどの悲惨な歴史を生みました.そうして神と仏はむりやり引き裂かれ、日本古来の神と仏を基にした精神文化は大きく変容させられたのです。

 このように、明治から現代に至る一神教的な価値観が日本に定着する中、神仏習合の多神教的な、あるいは修験道的な価値観は抹殺される運命にあった訳です。では、一神教的な価値観とは何でしょう。私は、一神教的な価値観は自然とのつきあい方が下手だと思っています。キリスト教以前のギリシャ神話の世界などは、山の聖なる神々がたくさん出てきますが、キリスト教以降は、「山には悪魔が棲んでいる」と言われています。しかし、18世紀から19世紀にかけて、近代自然科学の発達に伴い、今度は、森や山とは「悪魔の住処」ではなくて、「岩と氷の固まり」であることが判ってきました。西洋登山が始まるのはそれ以降です。日本人にとっては驚くべき事ですが、それまで西洋人は、山には登らなかったのです。

 一方、日本人は昔から、比叡山や富士山の絵を描いたりしながら、山に聖なるものを見出してきました。「山には祖霊がおられる」とか「山には磐座(いわくら)があり、そこは神々が降臨する」と…。このように一神教と多神教、この両者の自然観には大きな違いがあります。結局、キリスト教が自然に対して感じていることは、「(創造主である)神と契約を交わした人間にとって、(神によって)与えられた自然は、人間がどのように切り取っても良い」という、自然=モノ(対象物)として見るところから始まっています。それに対し、近代以前の日本的な価値観においては、自然をモノとして見るのではなく、「聖なるものの住処」として仰ぎ見た場所でした。それが、明治の神仏分離、廃仏毀釈によって、その価値観を失ったのだと思います。

 更に一神教に似たものが優等であり、近代化以前の精神文化や宗教心のありようは、修験道にシンボライズされるように旧陋なものとして貶めて扱って来たのです。

 日本人は無宗教ではない

私たちは明治以降、西洋合理主義に少し洗脳されてきたのではないでしょうか?
面白いことに、日本人は生まれたら宮参りを、お盆やお彼岸には墓参りを、そしてお正月には初詣をします。結婚式に至っては、8割方がキリスト教式か、神式です。その上、クリスマスにはキリスト生誕のお祝いをし、死んだらおおかたの人がお坊さんを呼んで葬式を出します。そんなことをしているにも関わらず、「あなたは宗教を信じていますか?」と尋ねられると「いえ、私は無宗教です」とか、「私は無信心です」と日本人は答える…。これは大変おかしいことです。本当に無宗教(無信心)の人ならば、そんな宗教的なことはしないはずなのです。では、何故、皆このように答えるのかというと、それは確かに、一神教を信ずる人たちから見れば、「宮参りをし、クリスマスを祝い、法事をするような」無節操な人々は無信心なわけなのです。けれども、それは一神教を信じる人々の価値観であって、日本人はずっとそういうことを続けてきたのです。

 つまり、どこかで自分たちを卑下しているような価値観にいわば洗脳されているようなもので、近代化以前の精神文化や宗教心のありようを旧陋なものとして扱い、一神教が優等であるとし、明治から150年かけて日本人が宗教心をなくしてきたという、その証左のようなものではないでしょうか。

 日本人が抱き続けた「神・仏」の喪失は、実は、明治以来の、森や自然の急速な破壊に繋がっているのは間違いありません。

◎森との関連で進むべき道とは

 私たち修験道の教義で最も重要なことは、「自然は既に悟っている」という世界観です。難しい教義で申しますと、「本覚」と「始覚」といいますが、もともと自然は悟っているから、修行することによって煩悩を持った始覚山伏(私)が本覚(仏)になれるのです。すなわち、「大自然は既に悟っているから、そこへ分け入って修行することで、人間も悟ることができる」というわけです。ですから、本覚になるための修行の場は大自然ということになるのです。

 一神教というのは、イスラム教でも、ユダヤ教でも、キリスト教でも、人の上に超越(絶縁)した存在としての「神」がいます。それに対し、われわれ日本人の感性においては、「自然の中に神も仏もいる」、あるいは「自然そのものが宇宙神である大日如来(天照大神)」であったりする訳です。そして、人の営みもまた、自然の一部なのです。環境問題を考える時、自然をもの(対象物)として突き放して見ている限りは、本当の意味における環境問題の解決策は生まれてこないと思いますが、これからは「人の営みも、神も仏も自然の一部であって、自然そのものがすでに悟っている大きないのちである」といった視点が必要であり、森林保護や木の文化財保全には欠かせない視点であると思います。逆に、これを妨げる存在は何か?というと、それが明治以来蔓延する、一神教的な価値観が生んだ近代合理主義なのではないでしょうか。

 もちろんここでいう日本人が認識する多神教としての「神」と、イスラムをはじめ一神教で意識される「神」の概念とは似て否なるもので、同義ではありません。

 例えば「紀伊山地の霊場と参詣道」の意義を、欧米人に説明するのは大変難しいといわれます。何故、難しいのでしょうか?日本人は、玉置神社の神代杉や那智の大滝を見た時に、ごく自然に、杉や滝そのものを拝むのですが、その様子を見た外国人の方々に、「何を拝んでいるのか」を説明するのが非常に難しいそうです。「木の何を拝んでいるのか?」とか「滝の何を拝んでいるのか?滝の流れ落ちる水を拝んでいるのか?…水というのは流れていくとやがて川になって、最後は海に至るけれども、あなたたちはどこまで拝むのか?」とか、問うのだそうです。しかし、日本人は単なる木や水を拝んでいる訳ではない。千年を超えてそこに佇む神代杉の荘厳さに、滝が漠々として流れてくるあの勢いの様に、「聖」なるものを見ているのです。そこに、人間を超えた聖なるものを感じるから、それに対して掌を合わせるのです。それが日本人の感性であり、根底に霊性(スピリチュアル)なものが流れています。もちろん、欧米人にも共通する感性があると思いますが、豊かな自然に囲まれて育まれた、神と仏が同居する日本人の霊性は、近代化以前の価値観を代表していると言えるでしょう。

 欧米的な価値観で自然を見る限り、そして森や木を見ている限り、霊性を呼び覚ますことは出来ないし、祈りの場を守ることは出来ないと思います。

◎世界文化遺産の保持者として

 ユネスコが提唱する世界遺産の精神は、「諸民族が互いの文化や価値観を理解することで偏見を取り除き、心の中に平和のとりでを築こう」とするユネスコ憲章の思想に、根をもっています。故に私ども「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録の意義とは、世界に誇るべき、日本固有の多神教的精神文化の再認識を、何よりも重視すべきだと思っています。

 神仏分離政策は、修験道に致命的な打撃をあたえただけではなく、有史以来、日本列島に絶えることなくはぐくまれてきた多神教的な世界観を、そしてそれを中核とする日本固有の精神文化の崩壊をも招いたのでした。

 日本は全国土の七割が山といわれています。有史以前から日本列島に住み着いて、精神文化を築きつづけてきた私たちの先祖たちは、山や大自然からもたらされる豊かな恵みのなかで、多神教的な風土にもとづく歴史を積み上げてきたのです。

 それゆえに、日本人一般の信仰は、その原点をたどれば、自然のなかで、日本古来の神々も、外国から来た諸仏諸菩薩も、まったく分けへだてなく、敬い拝むという多神教的な風土の大らかさに根ざしていたはずなのです。その精神文化はまぎれもなく森や自然に育まれたものでした。

 ユネスコの世界遺産は、これまで対立するものと考えられてきた「自然」と「文化」を、人類全体の宝物として損傷、破損等の脅威から保護し、関係機関が協力して調査・保全することの大切さをうたった条約のことで、自然と文化は密接な関係にあり、ともに守るべきものであるという新しい考え方がここから始まりました。決して安易な観光開発のための条約ではありません。

 世界遺産に関わるイコモス(国際記念物遺産会議)が定めた『国際文化観光憲章』の中に第一の門番(custodian)という考え方があります。第一の門番(custodian)とは世界遺産の自然と文化を守っていく役目を担う人々のことです。

 世界文化遺産を保持する多くの寺社に関わる者の役目は、まさしくこの第一の門番たるべしだと思っています。世界遺産登録によって、長い伝統によって守られてきた文化財が単なるアミューズメントスポットの建物や、動物園の動物のように見られてしまうのでは何にもなりません。今までの世界遺産登録ではいろいろな問題を生んできましたが、まちがった方向の観光開発や地域振興に進まぬよう、自然と文化を二つながら大切にし、日本人の宗教心を守ってきた本来のあり方を見つめ、世界遺産の第一の門番たるべき自覚がこれからは大変必要になるのではないでしょうか。

 文化財を守るとは単に自然や建物を守るのではなく、その自然や建物を支えてきた背景たる宗教や文化そのものを守っていくことだと思います。


【参考サイト】