歴史的建造物の保存に、今なにが必要か

近藤 光雄 (財団法人 文化財建造物保存技術協会企画室長)

 このところ、我国の森林についての議論が盛んである。シンポジュームやセミナー等があちらこちらで開催されているし、それに関する記事を、新聞、雑誌、テレビ等々でよく耳にし、目にもする。

 それは外国産木材に圧され、国産材が売れなくなっていることが根本的な原因のようである。伐採しても採算がとれない間伐採、価値を失った山での労働、都市文明への知識の偏向。つまり今、日本の森は放置される危機にあるという。檜と杉の単一木を一斉に植林し、四十年で一斉に代採する、経済市場原理に基づく山づくりのつけが今問われているのであろう。

 これからの「森の再生」が模索される今、我々が携わっている文化財建造物保護の世界に目が向けられている。二百年、三百年先の文化財修理用資材を供給する森。つまり超長伐期の森づくりの象徴として引き合いにだされるのである。

 一方、その文化財建造物の世界も大きな課題を抱えている。それは修理用資材が不足していることである。現在指定されている三千八百余棟の国宝・重要文化財の九割は木造であり、それらは風雨にさらされ、また地震、台風等の災害や虫害の被害を受ける宿命を持っている。

 従って、歴史的建造物を長く維持保存していくためには、どうしても、必要な時期における、適正な修理が欠かせないのである。だから我々修理技術者の存在もまた必要とされている。

 ところで、我々は文化財修理における基本的な理念を持っている。それは、建造物の形、用いられている材料、工法、そして環境をオリジナルと違ったものに変えないことである。この四つの要素のうち、特に、形と環境については、現状変更という厳しい手続きを経なければならないが、その他についても監視の目を厳しく、これらは厳格に守られているといって良い。

 明治三十年発布の「古社寺保存法」以来、これまで永々と保存修理が続けられてきた。古代、中世の社寺建築に始まり、近世、明治建築と移ってきたが、古建築に使われている木材をみると、鎌倉時代までは檜が圧倒的に多く、その後は文化財建造物の対象の拡大とともに、工具の発達と相まって、地産地消が顕著となった。その土地の良質な資材が使われるようになったのである。欅づくり、ヒバづくり、栂づくり等がそれである。

 さらに近世になると、長押・天井板・床柱は杉、鴨居・小屋梁は松、あるいは敷居を桜に等、木材は適材適所に使われるようになった。現在の修理は近世社寺建築中心から、近代和風建築、近代化遺産に変わろうとしている時期にある。以上のことで解るように、最近の文化財修理には多種多様な木材が最も必要とされているのである。ところが今の我国の森や里山に、応える能力はないようだ。

 文化財建造物の課題は修理用資材の不足にあると述べた。この代表として檜皮がよく取りあげられる。確かに昭和三十四年の伊勢湾台風、同三十七年の第二室戸台風で被害を受けた建物の屋根の修理が現に待たされているのである。このことのシンポジュームや危機を訴えた記事もよく見かける。

 また、大径材についても、品質の低下、納期の遅れ、乾燥の問題等。特に、松の大径材については危機的状況にある。入手が困難なため、しかたなく他の材種に、あるいは外国産に変更したりする例があった。修理の基本理念を脅かすまでにきていると言えよう。檜皮や大径材等の資材は不足していると言ってもいいかも知れない。

 他の資材はどうであろうか。国産漆は価格の面から外国産に淘汰され青息吐息であることは広く知られている。茅は地元の良く管理された茅場から供給されることがなくなり、品質が大きな問題となっている。

 こうしてひとつひとつの資材の現状を精査すると、すべての資材が供給不足として統括することはできないようだ。むしろ、資材それぞれに固有の課題をかかえていると整理したほうがいいかも知れない。しかし、さらにじっくり追求すると、共通したものが見えてくる。結論を急ぐため詳しい説明は避け、課題を整理してみよう。

一、 資材の品質が近年著しく劣化していること。
二、 修理用資材の生産、流通に関する情報が滞っていること。
三、 施工に要するコストが高くなってきたこと。
四、 生産、施工に競争原理が働かず、技術の低下が見られること。

 共通点はこの四つにまとめることができる。さらに課題を探っていくと、行き場を失って、文化財に収斂するしかない伝統技術の姿が見えてくるのである。

対策はあるのだろうか。茅を例にとってみよう。昭和四十年ぐらいまでは、地域の人々によって良く管理された茅場があり、そこから良質なものだけが供給された。つまり、二、三年に一度は火入れされ、毎年共同で刈り取られる。虫のいない、均質のものができる茅場のことである。施工も「結」の制度があって、地域住民による相互扶助があった。つまり、労働は地域のなかで共有と交換が行われていたのである。

 だから施工に要する費用は安価であったし、また用いられる資材は良質なものであった。さらに茅を葺く職人にとっては適当な競争があり、技術を怠ることはできなかったのである。

 このことから茅を取り巻く課題解決の鍵がボランティアや地域共同体が参加する、地域社会のシステムの再構築にあるのではないかと気づく。もちろんそれは、伝統文化が重んじられる共同体であらねばならない。人々は歴史を軽視したことで限りなく傲慢になった四十年代以降の自分を知っているはずであるから。他の資材もそれぞれ解決の道はあるだろう。それは多分どれだけ裾野を広げられるかにかかっているように思う。

 我国の国土は世界では群を抜く森林率である。先進国では特異な存在だという。日本人のアイデンティティの一つは、何万年も育まれてきた森にあるに違いない。それにもかかわらず、植物性資材とそれを採取、加工、施工する伝統技術に危機がある。このことは昭和五十年頃からずっと議論されてきたが、今、漸く森と、木の文化を代表する文化財建造物との関係が関連して語られはじめている。

 現代の人類における最大の課題は“いかに持続可能な社会をつくっていくか”にあると言われている。日本の森と文化財のもつ課題がそれぞれ解決された時は、歴史と文化に価値を見い出し、そして環境保全に優れた、資源循環型社会システムの先駆的モデルが構築されたことになるのではないかと思うのだが。

      社寺建造物美術協議会編集 H16.6.30発行「すいかずら」第12号より