21世紀の森林・林業政策の課題と展望

古橋源六郎 (財団法人森と村の会副会長、財団法人ソルト・サイエンス研究財団理事長)

〜平成11年2月4日 岩手県一関市における第7回森林交付税フォーラムより〜

 ただいまご紹介をいただきました、古橋源六郎でございます。平成3年に和歌山県本宮町で、中山町長さんのご発想のもとで生まれましたこの森林交付税構想が、その後、森林交付税創設促進連盟による運動といたしまして全国的に広まり、昨日伺いますと、822の市町村にまで広がっておるということは、誠に同慶の至りでございます。

 私もかねてから、国土保全の見地から、そして地球規模におきます人類の安定の見地から、この山村振興という在り方について、何か見直しをしなければならないということでいろいろ考えておりました。そういうことでこの皆様方の運動に大変興味を持ち、かつ心強く見守ってきたところでございます。また、運動は平成5年には本宮町で第1回のフォーラムを開催され、その後平成7年、私もいろいろとご指導をいただきました黒澤群馬県上野村村長さんをヘッドとした調査研究専門委員会によります森林交付税の理論的な裏付けもございまして、フォーラムは回を重ねる毎に盛大を極め、本日に至っておりますことは誠に喜ばしく、心からお祝いを申しあげたいと存じ上げます。それと同時に、このようなところまで発展をさせてこられました森林交付税促進連盟の関係者の皆様方に、心から敬意を払うものでございます。そして、このように発展しつつある森林交付税フォーラムの第7回の大会におきまして、一昨年、林政審議会で答申をいたしましたけれども、その答申を踏まえまして、常日頃私が考えております森林政策、林業政策の一端を申し述べる機会をいただきましたことにつきまして、心から感謝を申しあげたいと思います。

 本日はレジメといたしまして資料、参考1、2というのをお配りしていると思います。その資料の参考1「わが故郷と明治の米」という所に書きましたように、私は東京生まれではございますけれども、終戦の年の昭和20年の12月、中学1年生の時でございましたけれども、私の伯父であります先代が死にまして、子供がありませんでしたので、私がその跡を継いだのであります。継いだ場所は愛知県の東北端にございます、奥三河の稲武町というところでございまして、本日は町長さんはじめ、町会議長さん、あるいは隣村の方々もお出でになっておられます。北は岐阜県、東は長野県に接しまして、南は木曽山脈に属します段戸山系に連なり林野率は90%を超えている典型的な山村であります。相続して以来、先祖祭りであるとか、あるいは夏休みに故郷に帰りまして、山村の生活の実態を見たり、山村振興に努めてきた先祖の話を聞いたり、山村振興を事業内容の一つとしております財団法人古橋会の仕事にタッチするようになりまして、小さいながらも、この先祖の名を辱めないように、私も山村振興に力を尽くさなければならないというふうに考えた次第であります。

 その後、大蔵省で6年間農林関係予算の編成に関係したり、あるいは石川県で総務部長を務めまして、山村の実情というものをいろいろ見せていただきました。さらに退官後は、高木文雄元国鉄総裁が会長をしておられまして、本日のパネルディスカッションのコーディネーターであります森巌夫教授もその役員をしております財団法人「森とむらの会」の役員とならせていただきましたおかげで、山村問題につきまして多くの有識者の方々や、あるいは現地で大変苦労しておられる方々といろいろお話し合いをし、議論する機会がありまして、私なりにも山村についての考え方、山村振興についての考え方をまとめることができたのであります。


私が「森とむらの会」で、条件不利地域の農林業政策、あるいは国土保全奨励制度というものを座長として研究、発表いたしました。まさにそういう時に、この森林交付税促進連盟の運動が始まり、そしてその運動の進展が重なっているのでございまして、私の考え方は、この森林交付税に関する調査研究委員会の報告と基本的に相通ずるものでございます。

 条件不利地域農林業政策研究は、農林省からの委託に基づきまして、3年間の研究成果を踏まえまして、平成5年3月に発表したものであります。その考え方の大筋は、お手元にございますように平成3年、農林公庫月報に寄稿いたしました参考2の、「山の幸の再認識」で述べたところでございます。その中で、森林の公益的機能の発揮のため、新しい観点からの山村振興が必要であるということ、特に山村住民の所得の総合的確保、及び生活基盤の整備のための定住条件の整備などの総合的施策が必要であるということ、また、その施策の一つとして、市町村の権限、財源の強化、特に中山間地域の特色を考慮した地方交付税の配分方式を検討すべきであるということを指摘したところであります。

 国土保全奨励制度の調査・研究は、宮崎県の松形知事からの委託に基づきまして、森巌夫教授にも直接参加をしていただき、私が座長となりまして、平成6年3月、報告書を提出したものであります。これは宮崎県の県北5カ町村の、いわゆるフォレステピア構想の実情にかんがみまして、国土保全という見地から新しい政策や、その担い手である山村の人たち、とりわけ若者の定住を促進するため、「人」あるいは「地域集団」に焦点を合わせまして政策を検討したものでございます。主な内容といたしましては、林業労働者の就労条件を向上するため、全国1200の過疎山村に夫々一つの基金を作って、林業従事者の通年雇用を確保する。そのために公的年金制度、あるいは医療保険制度を国民年金から厚生年金に移す、あるいは国保から健保に移す。雇用主負担が発生することから、通年雇用するためにかかる雇用主の負担増というものをその基金を通じて負担をして、通年雇用をしてもらいたい。それから森林の公有化を含む、新たな森林の管理システムというものを考えるべきだという内容を提言したところであります。

 以上の2つの報告の考え方は、平成9年12月18日の林政の基本方向と国有林野事業の抜本的改革に関する林政審議会の答申の中に多く取り込んだところであります。


1. 森林・林業にとっての20世紀と今後の課題


 さて、本日の議題であります21世紀の森林・林業政策の課題。大きな話を出してしまったのでありますけれども、まずこのことを考えるにあたりましては、20世紀は一般的にどういう特色を持った世紀であったか、そしてそれは21世紀にどうなるのであろうかということを考え、次にそのような特徴を持った20世紀は、森林・林業政策の見地から見て、どのような世紀であったか、そして21世紀は森林・林業政策の見地から見てどうなるだろうか、いや、どうあるべきであろうかということを考えてみたいと思います。


(1)20世紀に対する一般的評価と21世紀の展望

 今年は1999年でありまして、20世紀はあと2年。20世紀に対します評価、あるいはそれに対する展望も、各有識者の間で、新聞、テレビ等でいろいろ報告、発表されているところであります。これらの意見を参考としながら、この21世紀の展望につきまして、私の願望を含めまして、若干お話をいたしたいと思います。

イ. 国際政治面

 20世紀につきましては、ある人は破壊の世紀と言っております。2つの世界大戦、多くの紛争、特に民族運動による紛争や独立がありました。ナチズム、スターリニズムによる大量殺戮、原爆投下等、従来とは質の異なった破壊が行われました。戦争に勝つために各国は工業化を競い、そのために環境は破壊されました。またある人は、共産主義国家が誕生し、そして崩壊をした世紀。資本主義の共産主義に対する勝利の世紀と言います。それは19世紀がビクトリア朝のイギリスの世紀であったように、アメリカの世紀であったという人もあります。さらに別の観点から、20世紀はイデオロギーの世紀である。ファシズム、共産主義、自由主義といった政治的イデオロギーによって、国民や国家というものが大変な影響を受けたと。そしてその結論は、それらの対立のなかで自由主義、個人主義が勝利をした世紀であると言う人もおります。

 21世紀の政治的な面においてはどうなっていくであろうか。2つの大きなベクトルが今動いているというふうに感じます。1つは、世界全体が一つの統一の方向に向かおうというベクトル。そしてそれに対してもう1つ、宗教であるとか民族という動きによる統一の妨害になるベクトル。この2つが、今いろいろな形でその兆しが出てきておりますけれども、21世紀はそういうものが大きく動いてくると思われます。

 まず最初に、その統一の考え方はどういうことに依存するかと申しますと、国連であるとかOECD、その他の国家間協力体制が、大きな世界政治構造へ、統合ということに有効に機能するかどうかということにかかっております。アメリカは確かに21世紀に覇権国家として入っていくでありましょう。しかし25年後、中国、EC、そしてまた日本がそれに対してどういう位置付けになっているであろうか。あるいは、南北問題というものはどういうふうにそれらの問題に影響していくであろうかというようなことについて、われわれは考えていかなければなりません。

 できる限り世界の統一という方向に進んでもらいたいのでありますけれども、しかし民族の自立とか、宗教活動の活性化によります紛争が発生をいたします。旧東欧の社会主義国を中心といたしまして、民族問題が再燃をいたしております。また経済のグローバル化が進みますと、国家という意識というものが非常に薄れてまいりますし、それに伴いまして紛争が発生しやすい環境になってまいります。民族が、今までの一定地域内に限定して閉じこめられた時代ではございませんで、民族問題は各国のいろんな所に広まっております。また宗教は、社会の近代化に伴って人々の宗教離れを来すというふうに考えられていたのでありますけれども、近代社会の欠落部分を埋めるために、この宗教というものが再び人々の心を捕らえております。宗教間の対立であるとか、あるいは宗教派内の対立というものが、これから起こってくる可能性がございます。そういうふうになりますと、20世紀が難民の世紀だったというふうに今言われておりますけれども、この難民という問題、そしてまた移民問題というものは、今後21世紀においても深刻化するというふうに考えなければならないと思うのであります。

 そうした時に、われわれは、いろいろな紛争が予想されているという時のために、まず食糧の問題をどうするか、エネルギーの問題をどうするか、そういう問題について常に国民として考えなければならない。食糧の問題を考える時に、この森の問題を離れて考えるというのはおかしいというのが私の持論であります。


ロ.国際経済面

次に、国際経済面におきます経済と情報のグローバル化の進展した20世紀と今後の展望であります。経済の面におきまして世界は緊密に一体化し、国の国境線であるとか、あるいは地勢的な地形を越えた形で結びつけができました。貿易の自由化による、そしてそれはGATであるとか、今はWTO、そういうものの動きによりまして、商品は全世界に流通をいたしました。資本主義はその独自のイデオロギーとして、市場原理主義を内在しております。そして、物の流れと同じく、お金の流れはIMF体制と為替金融の自由化、それによって貿易の自由化のもとに資金的な裏付けがなされると同時に、資金自身が投資資金として、どんどん世界を動いております。インターネットでわかるように、世界的に広がる情報のネットワークによって、瞬時に情報が伝わります。テレビの衛星放送によりまして、政治的意向によって情報を鎖国化する、情報を閉じ込めるということはなかなか困難な時代になってまいりました。

 21世紀はこれがどうなるでありましょうか。経済と情報のグローバル化は、今後一層進展するものと考えられます。完全に摩擦のない市場を前提とする限り、いわゆる経済問題も、この市場メカニズムによって、市場原理によって効率的に解決されると思います。

 しかし、摩擦のない完全な市場というのは理論的にあり得ても、現実には存在しないのであります。最近新聞で読んだところでありますけれども、巨額な投機資金を扱って、今回の東南アジアにおきます一連の経済危機をもたらしたとも言われておりますけれども、その大手ヘッジファンドのジョージ・ソロスは次のように言っております。「市場とは、ある個人が他人と物などを交換することを単に映し出しているものにすぎない。市場は環境とか平和の維持といったような、人類共通の価値観を代表するものでも、内包するものでもない。そうした環境とか平和の維持といった事柄は市場価値の外におかれているが、こうした価値観は人類にとって不可欠なものである。マーケットメカニズムは大変効率的なシステムで、市場は万能であるという考え方もあるが、市場は人類不変の価値観を持たないという点で不完全である。市場原理主義は、多くの点で非人道的な残酷なシステムを内蔵している。」そういうことを、あのソロスが言っているのであります。私も、市場の力が弱者に対する暴力となることもあり得るというふうに考えます。人口が増大し、異常気象によって食糧危機が起きる。そうした時に市場メカニズムによれば、市場価格がどんどん高騰して、その結果、需要と供給は安定するかもしれません。しかし、その時に食料を買えない人たちは結局死なねばいけない。こういうことになるわけでありまして、その市場均衡というものは、貧者の飢えということになるわけであります。

 秩序無き木材の貿易が進めば、環境問題が発生して、輸出国における森林資源が枯渇をする。そしてそれを受け取った輸入国におきましても、環境が国土保全自体が侵されるようになれば、非常にゆゆしいことであります。

 市場の力が、一国の伝統であるとか、文化であるとか、社会的システムというものを急速に崩壊させるとき、これも問題であると思います。このような場合におきましては、市場経済、いわゆる効率性と、市民社会、そこには自ずとその社会における社会的正義というものがありますけれども、それとの調整の問題が発生いたします。


20世紀は効率性重視に振り子が振れたと私は考えておりますけれども、21世紀には公正性というものをある程度重視し、それをもう少し考えた、そしてその方向に振り子を戻す、このようなものがあってほしいというふうに思います。そういうようなことを考えている方もおりますので、21世紀というものはイデオロギー闘争が終焉をしたということではなくて、社会的正義か効率か、あるいは市場か国家かというようなことを巡りまして、多くのイデオロギーの対立というものが起きる可能性がございます。

 この問題は、国家による市場に対する規制の問題というものに発展をいたしまして、国際的枠組みのなかで、市場と国家との関係をいろいろと試行錯誤し、改革を繰り返しながら、その間の妥協点を見いだしていくことになると思います。木材であるとか、あるいは食糧の貿易問題に関しましてもこの問題があるわけでございます。この点については後ほど申しあげたいと思います。


ハ、科学技術面

 次に、20世紀の評価の第3は、科学技術面における評価であります。20世紀は科学的に飛躍的発展を遂げました。そしてそれは科学の統一が進んだ世紀とも言われております。20世紀の始めにおいては、物理学者、化学学者、生物学者、それぞれあまり相互の関係を考えておりませんでした。しかし現在、原子の力によっていろいろな化学現象が分析されておりますけれども、その原子の力関係を証明するのは物理の法則であります。あるいは、生命のいろいろな過程は遺伝子(DNA)によって理解され、その遺伝子、DNAという化学の力によって今証明されようとしております。こういうように、科学の統一が進んだ世紀、そして原子物理学、素粒子理論、遺伝子工学、情報工学、宇宙科学等が発達をいたしました。さらに技術の面におきましても、通信では無線電信ができ、交通の面では自動車、飛行機、最近では宇宙まで行くロケット、宇宙船ができました。情報の面におきましても、20世紀にはテレビ、映画ができ、そしてエネルギーにおきましても原子力発電ができ、また物質におきましてはナイロンができました。そして半導体ができてコンピューター、ロボットというような大変な技術の進歩が行われました。21世紀は、それがさらに一層進展するものと期待されるところであります。

 今後期待しておりますことは、核融合であるとか、あるいはエネルギー問題の解決のための超伝導物質の発見であります。そういうような科学技術の進歩というものを、林業の面におきましても、品種改良であるとか森林管理、流域管理に適応する可能性が出てまいります。後ほど申しあげますけれども、通信技術の進歩によって過疎地域におきます医療において、画像診断等の飛躍的な進歩というものが図られる可能性があります。

 わが国の場合では特に科学技術の進歩を考えると、創造力のある人間を養成する必要があると思います。20世紀というものは規格大量生産の時代でありました。そしてそれと同じように、人間につきましてもある程度質が高く、しかし統率のとれた、そういう画一的な教育を、明治から130年経っておりますけれども、そういう教育というものを重んじてまいりました。しかし今、1990年代になり情報化が進み、知識集約化が進み、サービス化が進み、多元性重視の社会になってまいりました。そしてその時に日本は、メガコンペティションと言われるように、大競争時代に遭遇したわけであります。そういう時に付加価値の高いものを生産していく、そうしなければ、われわれの生活水準を下げないで、活力ある福祉社会を建設していくことはできないのであります。そういうような意味において、これから申しあげます、個人の個性というものを尊重し、そして個性を活かすという男女共同参画社会と、森林環境というものが非常に重要であるというふうに私は考えております。

 森林という所は創造力の源泉であるということが言われております。外国に行きましても、ベートーヴェンが歩いたウィーンの森、あるいはグリークが作曲をしたベルゲンの森の家、みんな緑に囲まれております。そういう所の中で、新たな創造力が生まれてくるというふうに私は考えております。


ニ、社会面

 次に、男女共同参画社会形成の世界的運動が高まった20世紀ということについて、社会面からの20世紀の考え方であります。18世紀の後半から産業革命が進展をいたしました。そして、新たな商工業階級が発達をしてくると同時に、女性の政治への参加権の要望が強くなってまいりました。しかし、最初にその要求が出てきたフランス革命の時には、それを主張した女性は処刑をされておるわけであります。19世紀になって、その運動というものがいろいろ行われましたけれども、不幸のうちに実を結びませんでした。しかし20世紀前半になりまして、各国で婦人参政権が確立をしてまいりました。戦後まで遅れたのは、ラテン諸国の、イタリアとかフランス、そしてわが国でありましたけれども、わが国も1945年4月10日に、婦人の日でありますけれども、総選挙で婦人が選挙権を行使いたしました。20世紀後半になりますと、実質的な男女平等を求め、社会的、文化的に形成された性別、これをジェンダーと言っておりますけれども、そのジェンダーに偏りのあるいろんな社会的システム、男は仕事、女は家庭と、いった考え方、そういうものを是正していく必要があるという考え方が国際的にも高まってまいりました。1975年、国際婦人年世界会議で、世界行動計画、1985年、国連婦人の10年ナイロビ世界会議におきます、婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略、1995年、北京世界女性会議におきます北京宣言及び行動綱領というようなものがあります。このような動きというものは私は21世紀にますます広がっていくというふうに考えます。

 男女平等という憲法第14条の考え方、そして、個人の尊厳と能力を尊重し、男性も女性もその個人の特性に従っていろんな選択の自由を持つという憲法第13条の考え方であります。そして女性が、政策方針過程へ平等に参加をするということは、いろんな人の意見をできるだけ多く政策に反映させることで、バランスのとれた社会をつくっていくために必要なことであります。

 これはわが国の場合、特に重要であります。私は男女共同参画審議会の関係の仕事を6年以上やっております。今度この審議会は男女共同参画社会基本法の内容について答申をいたしました。私はこの審議会の基本法検討小委員長でありましたが、この通常国会にその法案が提出される予定であります。特にわが国の場合におきましては、少子高齢化が進んでくる、あるいは国内経済の成熟化によって、高度経済成長は望めなくなる。そして男性もいろんな新しいライフスタイルというものを求めなければならないし、国際化が進展して競争が激しくなる、家族形態が多様化する、地域社会にわれわれ男性もいろいろ関わらなければいけない。こういうふうになってまいりますと、わが国の場合この男女共同参画社会の形成は特に重要であります。

 これは、森林整備の考え方からいえば、農業も同様でありますけれども、森林整備の担い手として女性というものにどんどん参加をしていただかなければならない。その条件はいろいろとこれから整っていくというふうに思います。あるいは山村計画の場合に、私が外国に行きました時には大変多くの女性が、ドイツにおいてもアメリカにおいても山村計画に積極的に参加をして意見を述べておりました。山村生活の各方面で女性の活動が期待されるわけであります。


(2)森林・林業の見地からみた20世紀と21世紀の展望


イ、 自然環境と人間との調和

 それでは20世紀というものを、もう一回森林・林業という見地から見るとどういうものであっただろうか、そして21世紀はどういうふうに展望したらいいかということを考えてみたいと思います。4つの視点から申しあげたいと思います。

 まず第1は、自然環境と人間の調和であります。20世紀は自然環境と人間との対立が深まり、種々の弊害が発生し、世紀末に至って地球規模での両者の調和のための努力が始まった世紀というふうに将来位置付けられるかもしれません。20世紀の特色は、規格大量生産の非循環型工業化社会であります。そこにおける経済システムは大量生産、大量消費であり、大量廃棄であります。そこにおきます価値観は集中であり、画一であり、量であります。その結果、再生不可能な天然資源を消費し、そしてCO2 などの温暖化ガスが大量発生をいたしました。

 20世紀というものは、木材が他の資源で代替された時代、そして弊害が出た時代というふうに考えられるかもしれません。弊害といたしましては地球温暖化、大気汚染、酸性雨、景観の喪失等、いろいろであります。地球温暖化は、海面の上昇によって陸地が減っていく、それによって高潮が起きたり、いろいろな水害が発生をいたします。あるいは温度が高くなることによってマラリアであるとか黄熱病であるとか、そういうようなものがわれわれの社会においても現実のものとなる可能性があります。異常気象が発生いたします。

 そしてまた、温度が2度上がりますと、地球の植生の3分の2が変わってしまうというふうに言われておりますが、それが非常に急激になりますと、植生の変化というものが温度の気象に対応できなくなり、世界の森林はますますおかしくなり、そしてさらに異常気象が増加をするということであります。

 そして食糧の危機というものが出てまいります。熱帯、亜熱帯地域におきまして異常な害虫が発生をする。そういうことによって食物がとれなくなり食糧危機が発生する。こういうことを国連の機関が発表しているところであります。 そういうような危機を回避するための対応策として、クリーンエネルギーの利用であるとか、リサイクルであるとか、人口抑制であるとか、省エネであるとか、製品寿命の長期化であるとか、いろんなことが言われております。1992年5月、地球サミットの直前、気候変動枠組み条約が採択をされました。これは、先進国は2000年までにCO2 などの温暖化ガスというものを1990年レベルまで抑制をしようという、これは政策努力目標でございました。これに対して1997年12月の京都会議におきましては、今までが2000年までを政策努力で、かつ先進国ということで決めていたものを、2000年以降の法的拘束力を持つ削減目標というものを設定したのであります。2008年から2012年までの5年間平均で、1990年レベルに対して少なくとも5%以上削減をすると。日本は6%ということになります。その場合植林をしたり、あるいは再植林をしたり、また追加的人為活動(森林経営等)ということがカウントされることになっております。

 21世紀は、経済資源ではあるが環境に優しい木材の利用を高める資源循環型社会が形成され、環境財としての森林の機能が重視される世紀となることを私は期待をいたしております。そうしなければ人類に将来はないと思っております。そしてそれは、木材を他のもので代替することが困難となり、そして木材への依存が高まる世紀であろうと思います。21世紀における経済システムは適量生産、適正消費、極小廃棄であり、そこにおける価値判断は、集中に対して分散であり、画一に対して多様であり、量より質ということになるのであります。その結果、炭素が循環する地球に優しい資源循環型社会が形成され、また経済的資源である木材を生産する森林の持続的経営の必要性とともに、森林の公益性、特に環境財としての機能が重視されるであろう、あるいはされなければならないというふうに考えるのであります。


 わが国の森林・林業政策にとって、20世紀はどういう意味はどういう意味を持っていたのか、そして21世紀の展望を申しあげたいと思います。20世紀はわが国の地勢気象条件に適応した、森林との共生という長い歴史のなかで、持続可能な森林経営を放棄した一時期がございました。しかし、それを世紀末に反省したという世紀であったと思うのであります。わが国における森林と人との共生の歴史というものを、若干申しあげたいと思います。


 縄文時代、わが国は落葉、照葉樹林に囲まれておりました。そして、われわれの先祖はそれにぴったりと合った森の文化というものを形成しておりました。青森県の三内丸山遺跡に参りますと、彼らが使った食器はトチノキを使っております。きめの細かいトチノキであります。それから船は、水に浮く、軽くて、しかし水に強い杉の木を使っております。住宅、これは非常に腐りにくい栗の木を使っております。それぞれの用途に適した、木材を利用しております。そして、森林というものを崇める、尊ぶ、拝むという心がございました。西洋でいろいろ話を聞きますと、森林というものは、そこに悪魔がいる、狼がいる、魔女がいる、われわれは人類の力によってそれを征服していくんだ、開拓していくんだ、畑を作るんだ、そういう考え方が強いのであります。しかしわれわれの心の中に森林というものを崇め尊ぶという考え方が脈々として残っていると思います。


 弥生時代に入りまして、お米の文化が定着をいたしました。その時に、水田の畦畔に、矢板として木材を使う、あるいは灌漑用水路にも板を使っております。森林の下草や落ち葉であるとか、そういうようなものを肥料として水田に使っております。森林から流れ出た豊かな川と、そういうものに感謝するために様々な民俗信仰であるとか民俗芸能というものが発展をいたしました。この時代に、西洋での畜産というもの、特に羊というようなものの導入が行われなかったことは、我々の先祖の大変な知恵であるということを学者が言っております。稲作というのは、森の中の栄養分のある水が水田に連なり、そして水田が、普通の畑作でありますと連作障害が起きるのを防いでいます。このあいだのNHKでありましたように、畑作であれば単作   物をつくっていると、どんどん土壌が痩せていって、そして土壌が風で飛んでいってしまう。水田の場合には毎年毎年稲を作れて、そして肥料が森から供給される。そういう何度も使えるというようなことにおきまして、大変土地生産性も高いし、わが国の将来の食糧の安全保障を考えたときに、大変有効なのであります。


 さらに飛鳥時代、遷都がいろいろと行われました。あるいは奈良・平安時代に入ってお寺が造られました。そういう時にどんどん木材が伐り出され、さらに戦国時代になりますと、お城を造るということのために木材が使われました。しかし7世紀末には我が国では世界に先駆けて伐採禁止令というものが出ております。9世紀中頃には造林というものが行われているという資料がございます。このように、森と共生するという考え方は、わが国の中には近代まで一貫して残っていたのであります。江戸時代に入りまして、藩有林というものは木材の供給、藩財政への参考とともに、治山・治水という考え方から管理、経営がされておりました。商品経済が発達いたしましたので、あるいは大火事が何度もあったということから、森林の価値が高まったために、森林資源を消費はいたしましたけれども、しかし、各藩は厳重な伐採禁止令というものを布き、そしてまた植林というものを行っておりました。


 明治維新になって、わが国は、特にドイツ式の一斉皆伐林業というものを導入いたしました。わが国の一部で行われておりました杉、檜の林業というものが全国的に普及いたしまして、わが国に従来からあったブナ、ナラの広葉樹林に変わって一斉に針葉樹林が植えられたのであります。そして戦時中、森林組合というものは山林所有者が強制加入ということをさせられました。そして伐採を割り当てられました。そして森林が荒廃をいたしました。さらに戦後の復興期、高度成長期にかけまして、森林の需要増に応えるために供給優先という考え方で、特に国有林を中心といたしまして、成長量を上回る伐採というものが、そしてそれも皆伐が行われました。そしてそのあとに、一斉に針葉樹の植林が行われたのであります。 特に国有林につきまして、森林を持続的に維持するためのコストは、われわれの生命、生活を維持するための保険料だという考え方が少なくなって、森林が金の成る木というふうに考えました。それが私は今日におきますいろいろな問題発生の原因であるというふうに考えております。


 そこで、20世紀の反省でありますけれども、われわれは公益的機能の重視という考え方に立ちました。そして、1996年11月29日に資源基本計画によって森林を公益的機能の重視という方にたって分類し、林政審議会の答申においても公益的機能という考え方に切り替えていったのであります。

ただ、国際的に考えられていない森林の保全機能ということについて若干申しあげたいと思います。1992年の6月にリオデジャネイロで地球サミットが行われました。そのあと森林原則声明というものが発表されました。そのときの森林の機能というものの文章を見ておりまして私は感じたのでありますけれども、読んでみますと、「森林資源及び林地は現在及び将来の世代の人々の社会的、経済的、生態学的、文化的、精神的な必要を満たすため、持続的に経営されるべきである。これらの必要は、木材、木製品、水、食糧、飼料、医薬品、燃料、住居、雇用、余暇、野生生物の生息地、景観の多様性、炭素の吸収源、貯蔵源のような森林の財及びサービス、及びその他の林産物に対するものである」。私は森林機能の中でもっとも基本としている森林というものの国土保全機能というものがこの中に抜けているのではないかということに疑問を持っているわけであります。考えてみると、我が国の地勢というものは太平洋プレート、あるいはフィリピンプレートというものが大陸のプレートにぶつかって、地震が起こり、摩擦によって火山が噴火する。そして土壌というものは火山灰質で非常に壊れやすい。そこへモンスーン地帯でありますから梅雨がある、台風が来る。そしてプレートが盛り上がっておりますから非常に急激な山地で、川の水は急いで流れ落ちる。しかし1億2000万人の人が平野地に住んでいる。こういうような所では森林の公益的機能、いわゆる国土保全的機能というものは、まさに我々の生命の安全に関するものであります。

 しかしヨーロッパの場合、それほどの森林勾配、河川の勾配がないからなのか、あるいはもう山の方はすっかり岩になってしまって、山崩れということは問題ではないのか分かりませんけれども、私はそういう国土保全機能に関する考え方を林野庁に聞きますと「いやぁ、例示として挙げていないだけです。」と言っておるんであります。われわれがこれから木材貿易について交渉していく時に、わが国のこの国土の特殊性、森林の持つ重要性というものについて、世界にもっとアピールをしていかなければならないというふうに私は考えております。


ロ、 効率と公正の調和

 その次に第2の視点として、効率と公正の調和という点であります。これは貿易問題であります。20世紀は木材貿易競争の激化に伴う市場経済と、市民生活の安全と、その間で調整問題が発生をいたしました。そういう世紀だったと思います。そしてすでに国際熱帯木材機関というところにおきましては、西暦2000年までに、持続可能な経営が行われている森林から生産された木材のみを貿易の対象としようという動きがございます。さらにまたFSC(森林管理協議会)というところでは、そういうような持続可能な森林から切り出された木材木製品だけにラベルを貼ろうという認証ラベリングシステムの動きが出始めております。

 しかし、この21世紀、そういうものを考える時に、まず21世紀の木材貿易の見通しというものについてわれわれは考えなければいけないと思います。今後の木材貿易につきましては、天然林につきましては、これはいろいろな専門家の意見があると思います。天然林の北米材につきましても、オレゴン州に行きますと向こうは大変な国有林の伐採制限をやっておりました。南洋材につきましても資源が枯渇をしてくる。そしてある程度製品の輸出もそんなに増えてくるわけではないと思います。シベリアの方を見ましても、わが国に安定的に供給できるだけの余力があるかどうか、あるいはシステムができるかどうかという問題がございます。

 そして今後われわれが注意しなければならないのは、外材輸入の圧力は人工林の問題であります。ニュージーランドであるとかチリとかアメリカ南部におきまして、生産条件が良い所で、人工林でつくられた木材及びその製品を輸出してまいります。それで、これは決して地球規模の問題として弊害が無いという主張が出てまいります。これらの問題につきましても、輸送するときに炭素税がかかればある程度の競争条件は弱くなるかもしれませんけれども、しかしそういうところはいろいろな努力をしてくると思います。そしてさらにまた、低品質材をいろいろなボード類であるとか合板であるとか、そういう集成材であるとかパーティクルボードであるとかにして持ってくる、それが非常に安く入ってくるということが考えられます。そういうような意味を含めまして、総合的な木材加工というものについて、われわれはもっともっと今後注意していかなければならないと思います。

 天然林の問題は地球環境問題との関係で、木材貿易の中に出てくる可能性は従来よりは少なくなるかもしれません。21世紀におきましては、森林は地球温暖化防止、国土保全の見地から重要であるという認識が出てくると思います。しかし、新たな木材貿易に関する協定というものを世界貿易で作るべきだというふうに私は思っております。まだこの問題につきましては、アメリカであるとかカナダとか、林産国はこの世界貿易協定を作ることに反対をいたしております。熱帯森林については先ほどのようなITTOというようなところでそういう取り組みが行われておりますけれども、世界的規模における木材の貿易問題について、まだまだ各国の利害が反してできておりません。しかし各国が相互理解をするために、私は国際交流というものが必要であり、そのためにわが国の森林の実情、地勢条件、気象条件というものをもっともっと外国の人たちに理解してもらえるような努力をする必要があると思っております。


 森林というのは先ほど申しあげましたように、同じ水系の中において、上の方に森林があり、その途中で水田がその水を利用して稲を作っております。農林一体の法則、これは私がかねてから言っているものであります。そしてその水田というものはまた、国土保全的な機能を持っております。今、国民が何となく食糧に不安を持っているというのは、わが国において、これから異常気象、あるいは世界の人口が増えたり、あるいは周辺で紛争が起きたときに食糧は本当に安全に確保されるのであろうか、こういうことだと思います。私はもう一回、ひとつは国土保全という見地から、流域毎に、流域に必要な保安林のみならず、もう少し広く保安森林というもののゾーニング(地域指定)を行い、そしてその下における水田のなかで、国土保全の見地から必要な水田というものをもう一回見直しをしていく計画を作るべきだ、指定をするべきだというふうに思います。そしてさらに、国土保全的な水田の他に、その周辺に日本全体として最低限、国民の食糧として必要な水田というものはどの程度あるべきか、そういうふうなものをもう一回流域毎にゾーニングをし直して、水田というものを森林と一体となって維持をしていくという政策が、なければならない、こういうふうに思っております。


 そのためには、何も私は今、食糧自給率の向上というようなことで、お米をどんどん作れといっているのではありません。水田としての機能を維持するようなこと、そしてその水田が機能するためには山の方での森林というものを維持しなければ水ができないのでありますから、一体となって森林を維持し、水田の機能を維持する、そして水田に水を持ってくるいろんな土地改良施設、そういうものの維持管理ということを適正にやるべきである。そういう潜在的食糧自給率にみんなは目を向けて、国民の期待に応えていかなければいけない。それが農林省の重要な仕事であるということを、私は農林省に言っているのであります。


ハ、 高度情報化の進展と技術革新

 第3番目に、高度情報化と進展の技術革新という点について申しあげたいと思います。高度情報化ということは、生産と経営のプロセスの高度情報化であります。これを21世紀において森林管理、流域管理において適用することが必要であります。森林の情報システムとして、GIS、ジオグラフィック・インフォメーション・システムというのを今構築中であります。森林の位置であるとか、あるいは形状という図面、地図情報、それに林齢であるとか樹種であるとか蓄積、そういうような数値や文字情報を一緒に、一元的に管理いたしまして、これらの情報について検索や分析を行いますとともに、様々な地図、情報等を出力することができるようなシステムであります。そういうようなものをどんどん整備していく必要があると思います。そして、製材所が行います流域管理の面では、市場動向の把握であるとか、そこからのマーケットへの情報の発信であるとか、木材加工における複合経営というもののために、この高度情報化が使われなければならないというふうに思います。アメリカにおきますウェア・ハウザーの様な、コンピューター管理の大きな製材所を流域の河口に造るということもひとつかもしれません。しかし最近は、先ほども申しあげましたように、非常にボード類で安いものが入ってきます。そういうことを考えると、山元におきましての木材加工というものはコンピューターを使って製材の他に、低質材を使った集成材であるとか、ボード類を加工する工場を一緒に造る、そしてそれの燃料としては木材のくずであるとか、そういうようなバイオマスを利用して火力発電というものを小規模に造っていく。そういうようなことによって山元における林業の発展を図らなければならないと言う学者もございます。そういうようなことは非常に複雑な事業でございますので、コンピューターを使わなければいけません。私は流域管理におけるコンピューター利用というものをもっともっと進めなければならないというふうに思います。

 技術革新の面においては、研究開発の推進、特に遺伝子工学における品種改良。春になってきますと花粉症がでてまいります。花粉症の少ない杉をいろいろ研究しております。いろんな形での遺伝子改良によって、針葉樹でも椎茸がなるようなものができないかとか、過去において私は林野庁に言って、できたのですけれども、コストが高かったのであります。それから、間伐材の利用による新素材の開発、そういうようなことができないかというふうに考えております。


ニ、 男女共同参画社会の発展と森林整備

第4番目といたしまして、男女共同参画社会の進展と森林整備、及び山村計画への女性の参加があります。今後ますます林業労働における機械化が進展をしていくと思います。あるいはまた、コンピューター化が進んでまいります。女性はそういう方面に適性があります。そういうものにどんどん女性に参加をしていただかなくてはいけない。そして山村計画の段階において、生活の観点からの女性の意見を取り入れる。各地域におけるいろんな活動を見ておりますと、女性がいろいろ食品加工業や林産物の加工業について大変活躍をしておられる所がございます。そういうことでの女性の知恵を拝借するとか、山村地域における景観の維持ということのために女性の力が必要であります。

 そこで、以上のような20世紀の評価、21世紀というものを見たときに、21世紀のわが国の森林・林業政策はどういう目標を考えたらよいのかという点について、3つの目標を考えております。


2. 21世紀の我が国森林・林業政策の3つの目標

(1) 益的機能の発揮


イ、公益的機能の理解と森林の分類

 第1が公益的機能の発揮であります。第2がわが国の森林資源の成熟化への対応、3つ目が少子高齢化の進展に伴う森林整備担い手対策の推進であります。公益的機能の発揮の点につきましては、7つの機能を林政審答申でまとめました。大切なことは、なぜ公益機能が発揮されるのかというメカニズムというものをみんなが理解しなければいけないということだと思います。なぜ日本の森林ににこういうような機能が必要なのかということについて、皆に分かりやすく理解してもらわなければいけないと、そういうことを強く言っておりまして、最近、林野庁も中学校の副読本として、森林は地球環境を守るということで、「森林資源を活用した循環システムの構築を目指して」という中学校の副読本的なものを作りました。大変分かりやすく書いておりますけれども、こういうようなことをもっともっと都市住民の人にも分かってもらわなければならない、それが第1であります。木材の特性についても、みんなに理解してもらう必要があります。

 そこで資源基本計画による森林の分類でありますけれども、資源基本計画におきましては、水土保全というような山地災害防止、水源涵養の機能を50%、森林と人との共生を22%、そういうような意味において、公益的機能を72%認めたわけであります。そして資源の循環利用ということで、木材利用といたしましては28%であります。森林と人との共生というのは、生活環境保全であるとか、健康文化的機能であるとか、生物多様性の保全ということであります。生物多様性の保全ということはどういうことかと言いますと、まず4つありまして、遺伝子の保全であります。それから、それより大きな種の保全であります。種がいろいろ重なった生態系の保全であります。第4番目に、最近はその森林の景観の多様性ということも、この生物多様性の保全の中に入れておるということをちょっと付け加えておきたいと思います。


ロ、国有林の公益的機能の発揮

 そこで、こういう公益機能の発揮のなかで、国有林の公益的機能の発揮はどうあるべきかということであります。国有林の改革につきまして、林政審でまとめましたものとして若干基本的な考え方を申しあげたいと思います。国有林に対しましては、いろんなところでずっとくすぶった批判がございます。私はそういう方々のいろんな批判を耳で聞いたり、あるいは文書で読みました。そしてある時ふと思いつきましたのが、リンカーンのゲティスバーグの演説であります。Government of the people, by the people, for the peopleであります。

 国有林の管理、経営の基本は、国有林を国民の共通財産と考えなければいけないということ。国民の参加によって国有林というものを維持していかなければいけない。それから国民のために管理、運営していかなければならない。こういう考え方が国有林経営者の中に欠けていたのではないか、こういう反省から、私はいろいろな方策の見直しをしたのであります。国民の共通財産ということは、国有林というものは林野庁職員のものでもなければ、林野庁職員労働組合のものでもないし、林野庁から木材を買ったり、林野庁に資材を提供する人たちのものでもない。国民の共通財産であるということであります。しかし、そういう共通財産というものは税金等で賄っていくのであるから、ある程度その範囲を限定しなければなりません。それはいろいろと議論をいたしまして、その結果、公益的機能の発揮が特に要請され、かつその範囲が広域にわたる森林管理というもの、特に複数県にまたがる基幹的な森林や、水源涵養上重要な水系下にある森林については、国民共通の財産として、基本的には国が保有するべきであるということを考えたわけであります。国有林というものを地図で見てまいりますと、特に東北地方に国有林が多いのであります。これは明治政府の時に、土地から税収を取り上げるために、明治6年に地租改正が行われました。その後、明治9年に官民有区分ということが行われまして、国有林と民有林の区別をいたしました。そのときにこちらの方は明治政府に反対した藩が多かったものですから、藩有林がどんどん国有林に編入をされました。従って、東北地方では軒先国有林というように、すぐ民家の隣まで国有林があるという地域がございます。私はそういう過去における事情はありますけれども、本当に国家として管理すべきは、国家として必要な部分に限るべきであって、それ以外の土地で、地元において、その管理運営をきちんとするという所が出てくるならば、そういう所にお任せするべきであるということを主張いたしました。しかし「現実にはそんなものありませんよ。」というのが林野庁の主張でありました。しかし、所によってはそういう所が出てくるというふうに私は思うのであります。

 次に、国民の参加による管理ということであります。国民のものである以上、林野庁だけがそれを運営するのではなくて、国民参加によって国有林野は経営されなければなりません。参加ということであれば、その参加の前提といたしまして、国有林野の情報、経営内容というものが国民に明らかにされなければなりません。いわゆるアカウンタビリティーということであります。従いまして、そういうようなことのためのいろいろな提言もいたしました。さらに、林野庁の今までの職員の態度というものについて、いろいろと私は直接批判をいたしました。アメリカの国有林は、マダラフクローを保護するためどんどん伐採を制限し、向こうの職員はどんどん体質を変えて、林野の職員はその地域住民と環境問題をともに学ぶという態度が非常に強く、広報官というものを設置しております。林野庁職員が地域の方々をパートナーとしてともに学ぶ。そしてある時は知識のある人たちが地域の人たちの相談に応じることが必要です。

そのためには、林野庁職員が1年とか2年でどんどん変わっていくのではなくて、地域の皆さん方や市町村長さんとじっくりお話ができる程度、少なくとも3年以上その地域で勉強し、努力をするということがなければならないと主張したのであります。さらに、国有林野というものをボランティアの方々に開放するということも必要であるということを申しました。今度、平成11年1月1日からスタートいたしました、国有林野の管理経営基本計画におきましては、国民参加の森というものができまして、それの名前は「ふれあいの森」というそうであります。


 次に、国民のための管理ということでありますけれども、世論調査によりますれば、国有林につきまして、これは木材生産機能よりも公益的機能の重視というものを非常に多くの人が希望しておるのであります。その結果、計算をさせまして水土保全、森林と人との共生の機能重視の国有林の割合はかつて46%であったものが、この計画によりまして79%、8割までが公益的機能発揮という方向になりました。そういたしますと、従来のように木を切ってその金によって公益的機能を発揮していくということができなくなりました。従って、従来の独立採算性の特別会計というものを直しまして、一般会計からの税金導入による特別会計制度というものを創設したのであります。さらにまた、国民のための国有林野である以上、簡素効率的な運営をしなければなりません。従いまして、国の行う事業というものは、森林の保全管理、森林計画、治山等の業務に限定いたしまして、伐採、造林等の事業の実施は土地の民間の方々にお任せするというふうにしたところであります。以上の申しあげましたことは、国有林野事業の改革関連法の中で答申の実施を見たところであります。これに基づきます国有林の管理基本計画、中央の管理基本計画は、本年1月1日にスタートいたしました。現在、流域毎の地域管理経営計画というものが、目下市町村長さんたちのご意見を伺うという段階でありまして、この4月1日からスタートをする予定であります。


ハ、民有林の公益的機能の発揮

 次に、民有林に対する公益的機能の発揮であります。民有林政策の基本的な考え方は、まず民有林の特質と地域の実体を踏まえつつ、資源基本計画に示された森林整備の考え方を実施に移していくことであります。私有林というのは、森林所有者の意志に基づいて行われるというのが基本です。従いまして、公共の利益に反しない限りにおいて、それは経済的利益を主に追求するのでありますから、その森林所有者の意識に任せよう。まず林業生産活動の活性化を通じて健全な森林整備を助長するよう政府は努力するべきであります。公益的機能につきましては、強制ではなくて誘導策を通じて行うべきであるというのが基本的な考え方であります。公益的機能発揮のための施業の推進といたしましては、間伐等の施業の推進、複層林施業や里山林整備の推進、あるいは保安林制度の活用、森林の公有化等であります。森林の公有化等につきましては市町村長さんたちにも関係がありますので申しあげておきたいのでありますけれども、保安林というのはまさに公益的機能を高度に発揮をすることが求められる森林についての指定の制度であります。しかし、森林の管理が不十分で森林所有者の自由な意志のみに委ねていては、最低限の公益的機能の発揮すら困難な場合があります。そういう場合の制度として、市町村長さんであるとか都道府県知事による、荒れ果てた森林については整備の勧告、調停という制度が現在ございます。しかし使われた例はございません。しかしこういうものについて私はもっともっと発動されなければいけないというふうに思います。あるいはまた、地方公共団体、林業公社との分収林契約も進めていただかなければなりませんし、あるいは森林所有者と協定を結んで、その森林について助成をするということ。あるいは協定を結んで地方公共団体が植林をしていくことも考えられるでありましょう。以上のようないろいろな努力をしても、どうしても仕様がないという時には、森林公有化ということが必要なのではないかと私は考えております。公有化については、財源対策などいろいろな問題があるかもしれません。


 さらにもうひとつ、森林荒廃の予防的な問題について私は林野庁に言っております。市町村長さんたちが今一番苦労しているのは、不在村地主の存在であります。相続をして都会に出ていった子供たちが森林も均分相続をする。そしていざ、その森林の整備を町村の事業としてやろうという時に、その方々の所在が分からない。分かっても整備に反対する。そういうような時に私は、相続の時に山に残って森林を整備する人たちに、都市に出ていっている人たちは委任をするという契約を結ぶ必要があり、そういうようなひな形の契約を林野庁に作ってほしいと思うのであります。もしそれが荒れておったならば、地元に残っている責任者ならば分かるわけでありまして、そういうようなことについても地道な努力が必要であるというふうに考えております。また農地のような林業を営む後継者への生前贈与の制度も必要です。


(2) 森林資源の成熟化への対応


 その次に、我が国の森林資源の成熟化への対応ということであります。成熟化に対応した森林整備、これは我が国が戦後植えましたものが今後順次伐採期になってきたことにより必要になってまいりました。そして森林の健全な育成、循環という質的な整備が必要になるということでありまして、適切な保育、間伐による森林の活性化、複層林施業の推進、2番目が林業生産活動の活性化、即ち林家等の経営類型に応じた活性化、経営類型といいますのは林業主業の経営、あるいは複合経営、あるいは零細なものたちの森林組合主導型の経営、そういうものに応じた活性化をしなさいということです。さらに林業金融の充実、林業税制の充実、低コスト林業の推進というようなことも活性化のため必要です。低コストについては、我が国は特に地形が急峻であり、亜熱帯に属しますので灌木とか雑草が生える。あるいは所有規模が零細であるというようなことから、外国に比べてコストが高くなりますけれども、低コスト林業の推進ということが必要であります。

 その次に、成熟化への対応として森林資源の有効活用ということが必要であります。国産材の加工、流通の合理化と利用促進、そのためには加工流通の合理化、木材乾燥の促進、特に葉枯らし乾燥から機械乾燥にいたるまで、今、林野庁に強く言っておりますことは、我が国における安い乾燥技術の開発ということであります。国産材の高次加工化、プレカットとか、あるいは集成材。国産材の利用促進対策といたしましては、いわゆる設計家との連携、木造住宅や建造物を造るような設計家というものを養成していく必要があるとか、公的な施設においてもっと木材を使うというような運動を起こすとか、そういうようなことであります。森林空間の総合利用ということは、成熟段階に入った我が国の森林空間というものを有効に利用するために必要です。そのためには森林浴の場、ボランティアが森林づくりに参加する場、都市と農村との交流の場、教育の場、これは宮崎県の五カ瀬村の学びの森学園の例であります。中高一貫教育、皆様ご案内の通りであります。あるいはそういう所に研究施設を設置する必要があるということであります。


(3)担い手対策

 

 第3番目に、少子高齢化の進展に伴う森林整備の担い手対策の推進ということであります。通年雇用、そして専門家の養成、プロ集団というものを作っていく必要があることです。その中のリーダーの要請ということが必要であると。そしてそのための新しい山村対策が必要であるということであります。


3. 3つの目標達成のための4つの推進方策

(1)流域管理システムの形成


 以上の3つの目標の達成のために、4つの推進方策が必要であるということを考えております。第1は、流域森林管理システムの形成であります。森がはぐくむ川の効用ということはどういうことでしょう。レクリエーションの場であり、飲用水を含む生活用水であり、農業用水であり、工業用水であり、発電用水であり、漁業の助けなどです。森林に覆われた水源地である上流域と、その受益地である中・下流地域というものは河川によって縦に結ばれ、古くからそこで流域単位の生活、あるいは文化というものが営まれていたのであります。森林にかかる問題というものは、流域単位で第1次的に解決しなければならない、そしてそこにこそ地方自治の原点があるというのが私の信念であります。

 そして、流域森林管理システムの目的でありますけれども、関係者の利害調整と合意形成が必要であります。国有林と民有林の間、大規模森林所有者と小規模森林所有者との間、川上における素材生産業者と木材の加工業者との関係、公益的機能と経済的利益との問題、あるいは上流地域の住民と下流地域の住民、いろんな流域を巡りまして利害の対立がありますが、それの合意形成を図っていくのが流域森林管理システムであります。そのためには、第1に国有林、民有林一本の図面の作成が必要です。ここまではGISによって行うということで、林野庁と合意したのでありますけれども、まだ1つ林野庁と合意していないものがあります。私は流域のもとの民有林、国有林を包括した一体的な森林計画を作成しろということを強く言ったのでありますけれども、まだこれは可能性について検討するということで、私も今回は降りてしまいましたけれども、これは民有林と国有林というものが将来にわたって、一体的に地域において協調していくならば、そういう森林計画というものを作っていかなければならないと思います。民有林の地域森林計画というものと国有林の地域管理経営計画、こういうものの一体化というものを考えなければいけない。そのために今、色々な両者の連携はやりますということを言っておりますけれども、一本化が最終目的だと私は思っております。第2に下流受益者を含めた流域林業活性化協議会の活性化が必要です。これは今回流域森林・林業活性化協議会という名前に改めました。第3に下流住民への情報の開示、第4に森林整備のための基金の造成、これは森林法の改正によりまして、森林整備協定の中に基金というものが明示されました。第5に高度情報化社会における流域森林管理等の司令塔や加工施設を造ることであります。


(2)市町村の役割の強化


 そして2番目の体制として、森林整備に果たす市町村の役割強化であります。役割強化が必要となったのは、なぜか。それは森林の質的な変化があったのであります。従来は木材に対しまして需要が非常に高かったために、木材の伐採であるとか造林についてある程度の適正化が必要でした。従いまして、都道府県が中心で、国、都道府県、森林組合、所有者という連携が必要だったのであります。しかし、現在においては、木材に対する需要というものは落ち込んできたため、全体としていかに効率的な森林経営を行っていくか、きめ細かな地域に即した指導が必要になってまいりました。個々の森林所有者への指導、監督、そしてもう一つ、流域森林管理システムのもとにおきまして、市町村長さんに重要な役割を演じてもらわなければならないことから、市町村の役割が重用視されてまいりました。市町村とした理由は、すでに間伐、保育等においてそれだけの実績があるということ、そして個々の森林の現況について、地元においてもっともそれを熟知しておられ、そして地元におかれて森林所有者、森林組合、農協、あるいはそれの関係者、そういう方達と常に連携をとっておられるということであります。強化の内容といたしましては、市町村の森林整備計画の計画内容が拡充され、間伐、保育に限らず造林から伐採に至る、森林施業にかかる総合的な計画となったこと。それから計画を立てる主体といたしまして、従来は都道府県知事が指定した市町村に限られたのでありますけれども、今回は民有林が所在する全ての市町村が計画を策定しなければならないことといたしました。さらに権限の委譲といたしまして、都道府県知事から市町村長さんに、森林施業計画の認定、伐採の届け出の受理、伐採計画の変更命令、施業の勧告等というものをお願いしたわけであります。そしてそのためには人的、財源的措置の必要性であります。


市町村、地方自治のためには3つの「げん」が必要だとよく言われております。権限の「ゲン」であり、人間の「ゲン」であり、財源の「ゲン」であります。人的措置といたしまして、従来市町村の林業関係職員の施行体制の整備につきまして、地方交付税の基準財政需要額の単位費用といたしまして、林業行政にかかる職員数を1名として計算をしておりました。それで林野庁、我々の他にも皆さん方の要求もあり、今回の森林法の改正に伴います市町村森林整備計画の作成作業であるとか、森林施業計画の認定事務の増加もありますので、林野庁はもう1名、2名にしてほしいという要求を自治省にぶつけたわけであります。現在自治省におきましては、平成11年度の地方財政計画におきまして、全国ベースで約500人を増やすということを考えているようであります。これを受けまして、単位費用の算定にいかに反映させるかということを2月の地方交付税法の改定に向けて作業中であるというふうに聞いております。


 次に、財源の関係であります地方財政措置の問題でありますが、この点は先ほども申しあげましたように、だいぶ前から私が指摘しているところであります。皆様方からのご要望もございました。林野庁はこれらの点を自治省に要求いたしております。ひとつは市町村におきます林業行政費につきましては、今はその他の産業経済費ということで、水産業とか、鉱業関係費との合算によって算定されていることから、林業行政費として独立した項目としてほしい、そして測定単位に森林面積を引用してほしいという要求をしていたのであります。


 しかしながら、今回の自治省の回答では、交付税制度の簡素化というものが叫ばれているということのなかで、林野行政費としての独立ということ、あるいは測定単位の変更というものは困難であるということのようであります。しかし、平成10年度に新たに創設されました国土保全対策にかかります経費につきましては、これは普通交付税のなかで600億円、これにつきましては森林面積の採用ということによって措置をしております。平成11年度の600億円もそのように措置されるということでご了承をいただきたいというのが自治省の回答のようであります。 


(3)新しい視点からの山村対策


 次に、新しい視点からの山村対策について申しあげたいと思います。私は従来の山村対策の背景には、平地に比し不利な生産条件、あるいは都市に比べて遅れた生活条件、そういうものは気の毒だ。従って恩恵的に援助をしてあげましょうという考え方があったように思えてならないのであります。従来の都市との均衡というものはそういう考え方だったと思います。

 しかし、森林の面積の6割を抱えている振興山村、そこで国土保全、さらには水資源涵養、地球の温暖化防止という機能を持っている、そういう公益的機能を担っている山村に対して、国民全体が感謝の気持ちで積極的にそれを評価して、「どうかよろしくお願いします。」という気持ちにならなければならないというのが、私の山村対策に対する基本的な考え方であります。従来からのいろんな過疎立法、山村振興法、あるいは辺地法、いろんなものを読んでみますと、そういう考え方がどうも薄れているというふうに思います。


 山村対策の内容といたしましては、所得の安定的、総合的な確保が第1であります。

一つは山村地域における基幹産業である農業と林業、こういうものをまず安定化させる必要があること。そのためには農業、林業一体化で考えなければいけない。そういうことで、林政審議会において私は山村地域においては農業協同組合と森林組合を一本化すべきであると主張しました。それが現在の法律上ではできないなら、できるように改正しろと言ったのでありますけれども、大変強硬な組織団体からの反対がありまして、それができませんでした。しかし私は、そういうことを希望するところがあるならば、そういうところで規模拡大をし、そしてそういうところで若い人たちが通年雇用をできるような事業を行う。それこそがまさに山村の振興のためになるという信念を今も持っております。


 それから第6次産業化ということも必要であります。1次産業は農林業でありますけれども、農林産物の加工業、そしてそれについては、その食品の安全性ということをよく証明して都市に売っていく。そしてその販路をちゃんと確保していくと。ただ作っても販路がなければ失敗をいたします。それから、その他に3次産業としてグリーンツーリズムによりますきれいな民宿というものを整備していく。あるいは自然環境にマッチした試験研究機関であるとか、研修施設であるとか、そういうものを誘致するということも必要でございましょう。

 さらに3番目として、林業就業者の通年雇用化ということが必要であります。そのためには、通年雇用を行う事業体、あるいは第3セクターを含みます林業事業体がいろいろと経営を多角化して、経営基盤を強化していかなければいけない。小さな土地改良事業等もそういうところが請け負って、そして職員を通年雇用化していくことが必要でありましょう。しかし通年雇用化をいたしますと、最初に申しあげましたように、雇用主は国民年金から厚生年金に変わりますので、雇用主負担がかかる。国保から健康保険に変わりますので、また健康保険料がかかる。労災の他にそういうような保険料を負担するのは大変で、そのために事業体の赤字というものが出てまいります。従いまして、私はそのために基金を積んで、金利は少ないのでありますけれども当分の間原資を食ってでも、地元に「あなた方は通年雇用をするんです。そのために基金がここにあります。従って安心して勤めてください」と、こういうような基金というものを働いている人の近くにおくということが私は象徴的に必要であると、こういうふうに考えております。

 今回の森林・山村に係る地方財政措置の中の600億の中の国土保全対策、ソフト事業、これは第3セクターに対する助成というものも含まれているようであります。そういうものを十分ご利用いただきたいと思います。しかしそれを通年雇用に使えるということをおおっぴらに言ってもらっては困るというのが自治省の考え方でありますけれども、しかし使っても文句は言わないと、私はこういうふうに思っております。

 次に、生活環境の整備であります。住宅等の整備、これは、農山村におきます住宅というのは都市と違って、生活の場と生産の場とが一緒になっているものであります。そういうものに対する設計の配慮、そういうものに対する公的な援助をするときの基準というものをもう少し緩和すべきであると思います。

あるいは交通通信網の整備。これは災害対策の時の問題であるとか、あるいは医療のための通信というものを確保すれば、健康診断の時に画面診断ができるわけであります。教育文化の充実ということの中では、子供が高校になっていくと寄宿舎に移らなければいけなくて大変お金がかかる。そのために生活のために親子そろって集落から出るということがございます。そういうことを防ぐためにちゃんと奨学金を作るべきではないかというふうに思います。医療福祉の充実ということも必要であります。(財)古橋会はかつて、山地で病院を経営しておりました。しかし大学の医局が最後には医者を派遣しなくなりましたので、今はやめて懐古館にしておるのでありますけれども、医療福祉の充実ということは大変重要なことであります。(注:現在診療所開設)

 それから、山村住民のニーズの行政への反映ということが、非常にこれから重要になってくると思います。私はオレゴン州へ行きました時に、その地域でいろんな方々とお話をする機会がありました。そこで、オレゴン・ルーラル・ディベロップメント・カウンセル、農山村開発協会という、制度がありました。アメリカで39の州でそれが設けられているようでありますけれども、その州の職員、そういうものが集まりまして、その地域の振興策に地域毎に取り組んでおるのであります。そして、1カ月に1回程度、その会議を州の各々の地域で開きまして、そこでいろいろな方々の意見を聞くという機会を作っております。そして住民のニーズに耳を傾けて、それに応じた対策をとる。特にその当時はマダラフクローというものの禁止がございまして、国有林伐採の制限が非常に急激に行われました。そのために、山で働く人たちの職業が非常に脅かされました。そういう時に対してそういう山の人たちの不満、あるいは需要をどうやってとらえて対策を講じていくか、それに対して国有林当局というものは非常に熱心に活動をしておりました。さらにまた、その下の組織として、地域レベルにおきましては農山漁村改善協会というものがありまして、それは民間の人々も、商工会議所的な方々であるとか、そういうような方も入って、その地域の声というものがそういう行政に反映されるような仕組みを作っておりました。男女共同参画について、男女共同参画オンブズパーソンというものが必要であると同様に、私はその様な山村オンブズパーソン的な人間というものを地域で作っていく。そして地域の不満を吸収していくという制度が必要だろうと思います。


 次に、ホの21世紀の山村であります。今まで、江戸時代、我が国の人口は3000万でありました。それが今1億2000万人になっております。そのうち9000万人の人たちはどこに行ったか。皆、山から離れて、臨海地の方へ行ったのであります。結果として山村は過疎化を生じました。今、人口が日本全体として将来減少していく中で、いろいろな問題が発生をしてきております。最初に申しあげましたように、循環型社会というものを作る、木の文化というものの伝承をしながら、皆が安心して生きる社会というものを作っていくためには、もう1回、森林での居住というものを皆が考えるという時にきたのではないかと思います。

 そして今、高度情報化社会になっておって、そういう地域との時間的な距離、距離は遠いかもしれませんけれども、都会からの利便との関係において時間的な距離は少なくなってきたというふうに思います。そういうような意味において、もう1回山村を居住の場として見直すということが必要ではないかと思うのであります。


(4)国民参加による森林整備

 

 次に4番目に、国民の理解の上にたった、国民参加による森林整備の推進であります。21世紀の循環型社会形成のためのライフスタイルの変更の必要性について、まず国民の理解が必要であります。量から質、それに伴いまして物質的充足から心の充足、そのために保健文化的な森林の機能が必要でありましょう。簡素な生活ということが必要かもしれません。画一から多様へと、キャッチアップ時代後の創造力ある教育というものが必要であると申しました。そのために、森林空間の利用ということも考え直さなければなりません。集中から分散、今申し上げましたように、都市生活から山村生活というものをもう1回見直しするときがきた。そして、森林の公益的機能の発揮のためには、受益者である国民の参加が必要であります。参加の前提として、森林の機能、木材の特質の理解が必要であります。そのためには、林業基本法と森林法の抜本的改革が必要だと思います。近く、また林野庁長官以下幹部が集るので1回話をしてくれというので行きたいと思っておりますが、今の林業基本法には産業政策的な考え方が非常に入っております。森林法にはある程度環境的な政策が入っております。しかし、これを一本化して国民全体の中において、森林・林業というものを考える法律が私は必要なのではないか。単なる都市と農村と山村との均衡という考え方ではなくて、公益的機能を考えた抜本的な基本法というものをつくるべきである。特に、あまり言いたくはないのですけれども、林業基本法というのは事務官、森林法というのは技官、両者の間がうまくいかなければ、この山村振興はできないのであります。今度、農林省がこの行政改革の中において中山間地域について責任を持つ官庁となりました。もっと総合的な視点に立った政策を立てるようなシステム、法律が必要であると、私は思っております。


 それから、学校教育、社会教育も重要です。実際の体験により森林の機能を理解することが必要です。頭の中で考えたのでは駄目なのであります。経験をする。土砂降りの雨というのはどういうものかということを、実際に上から水を浴びせる。そして、木があるとそれがどういうふうに柔らかく下の地面に伝わるかというような教育であるとか、そういうような教育というものを実際にする必要があります。

 そして、特に言っておりますのは、都市における森林博物館を設置することです。あるいはそれがお金がかかってできないのならば、科学博物館の森林コーナーをもっと充実すべきである。そして、最近、農業土木の方では、水田についてそういうことを、現地において田園博物館構想というのができてきているようでありますけれども、私は都市において、なぜ森林が公益的機能を発揮するのかというメカニズムが子供たちに分かるような模型を作って、ボタンを押せばこうなるからこうなんだと分かるような、そのようなものをつくるべきだと文部省に要求をしたいと思っております。

 それから山村におきまして、現場に即した教育機会の提供であります。山村において、流域単位で、あの山の上に降った雨がどういうふうになって、何年後にこの地下水のここに下りてきている、そして、ここに水田があって、この水田も森林と一緒になって国土保全的な機能があるがゆえに、この流域の下流地域の工場であるとか人々は、どういうふうに利便を受けているのか。そしてまた、漁業の人たちはプランクトンが発生するから、漁業がうまくいっているのだ。そういうようなことが分かるように、現場で教育をする必要があると思います。

 過去において、汚水処理の時に、町村長さんたちの中で、汚い汚水を実際にろ過した後に、その水をとってそこで鯉を泳がせている事例がありました。こうなるのだということを実際に証明することによって、その汚水処理施設がそこにできたという例がございます。

 現地において、そういうことを実際に教育する施設をつくっていく。そういうことを説明する人がいればいいのであります。


 国有林の情報公開。これも必要なことであります。先程も申し上げましたように、国有林を地域とともに学ぶ。そのためにはフォレスター、森林官というものが地域の子供たちにも教える必要があります。実際に「学びの森学園」では、国有林の人たちが子供たちにいろいろな森の機能のことを教え、昆虫を教え、木の種類を教えておりますけれども、そういうようなことが必要なのであります。


 そして3番目に、受益者である国民の森林整備への参加ということが必要であります。それは労働力の提供ということも必要でありましょう。そのためにボランティアによる提供も必要でありましょう。しかし、ここに問題がありまして、ボランティアの中でもいろんな技能程度があります。技能のない方に整備されると経営者はかえって困ってしまうのであります。従いまして、やるべきことは技能の認定。どの程度の技能があるのか、経験があるのかということが分かるようなことを、今、都道府県なり、あるいは地域によって認定をしていただきたいと思います。


 その次に資金的協力であります。上下流の協力、基金の問題は申しました。あるいは下流地域が植栽の資金を提供することです。かつてはいろんな所で、農民が山に木を植え、あるいは漁民が山に木を植えたという例がございます。それから、税を通じた協力でありますが、今回、国有林の公益的機能の発揮にかかる経費について、一般会計繰入を行ったのはその例であります。それから森林交付税というのも、その1つの例でございましょう。森林の公益性というものは、水源涵養だけにとどまらない。一般的な、もっともっと広い、普遍的なものなのであります。従って、交付税という一般財源によって措置すべきであるという皆さん方の考え方というものは、大変説得力があると思います。しかし、なかなかこの運動の実現というものは、私は水源税で2回も関係をしたのでありますけれども、思わぬところに敵が出てきてできなくなったり、その時に腰砕けになる方々も多いのであります。どうぞ、こういう問題も考えていただきたいし、将来、炭素税という問題が必ず地球温暖化の関係で出てくると思います。「反対が多いのでやらない。」と言っておりますけれども、北欧においてはこれは当たり前、この炭素税は我々が生命保険の保険料を払うのと同じものだという考え方でやっております。


おわりに

最後に、若干時間を超過しますけれども、2、3分お話をして終わりにさせていただきたいと思います。


 昨年12月に、私は林政審議会の答申を出しまして、最近、この答申に基づきまして国有林野事業改革関連法、あるいは森林法の改正が成立いたしまして、先祖に対して報告でき何となくほっとした感じでございます。私の曽祖父の源次郎暉兒(テルノリ)、あるいは祖父の源六郎義真がおりましたけれども、山村振興に一生を捧げてまいりました。明治11年に私の曾祖父が濃尾大演習に招かれまして、名古屋の方に出たのであります。途中の峠に伊勢神峠というのがあります。その伊勢神峠に来てこの下流地域を見ますと、そこには水田がいっぱい広がっている。そこで我が曾祖父は、どうして神様はこんなにえこひいきをなさるのだろうか、山の民も里の民も同じ国民でありながら、どうしてこういう幸不幸というものが起こるのだろうか、と反問したのであります。帰りに、またこの伊勢神峠に帰って参りました。そして悟りを開きました。山の民には樹木を神様が与えてくださった。平地の民には農産物を与えてくださった。海辺の民には魚と塩というものがある。それぞれその所に従ってその誠を尽くすと、そういう者に幸福を授け賜うのが神様のお志であるというふうに悟ったのであります。その時に作った歌が「玉幸う(タマチオウ) 神のまにまに仕えなば 貧しき人の世にあらめやも」というものであります。そして、その後、100年計画の植樹を実行をいたしました。さらに農林一体ということで、全国に先駆けて、農談会を開催いたしましたが、それが帝国農会の基礎となりました。そういうものをつくって、自分たちで自立してこの山村を守っていこうということを考えたのであります。

 私も故郷に帰りますと、この曾祖父が植えました100年以上の林の間を歩むのを大変楽しみにしております。その時に木の間からいろんな声が聞こえてまいります。先祖の声でございます。「お前たちは、我々先祖が一生懸命に育てた森を荒らしているのではないか。健全な姿で世の中に引き継いでいきなさいよ。」というふうに聞こえてならないのであります。

 日本の森林を守っていくためには、先程も申し上げましたように、地元の市町村の方々、そういう方々が中心となって、情報を発信しながら、全国民の支持を得て運動として進めていく必要がございます。森林が衰亡した文明というものは、必ず衰退をしていく。それが歴史の教えるところでございます。森林を守るためには「権限、人間、財源」の3つを確保していくことが必要で、そのための基礎条件づくりが重要です。そのためにこの森林交付税特別促進連盟がますます発展されることを心から念願いたしまして、お話を終わらせていただきたいと思います。



(古橋源六郎 プロフィール)
1932年生まれ。愛知県出身。1955年東京大学法学部卒業後大蔵省に入省、農林主 計官、関税局総務課長をはじめ、総務庁長官官房長、総務庁総務事務次官、石油公 団副総裁、国家公務員共済組合連合会理事長等を経て、現在内閣府男女共同参画会 議議員、(財)ソルトサイエンス研究財団理事長、(財)日本交通安全教育普及協 会会長。(財)森とむらの会副会長、文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識 者会議代表を務める。 元林政審議会会長。