山里紀行 <第134回> 一次産業の未来

内山 節 ( たかし )  (哲学者)

(平成14年6月5日発行の「山林・No1417」より転載)

 上野村の畑では、六月に入ると、いろいろな作物が大きく葉をひろげている。「別に作らなくてもいいのだけれど」と言いながら、誰もがそれなりに畑作をつづけている。

 いまでは、村人の九割以上の人たちが、農業収入を得ていない。ほとんどの人が私と同じような農業をしていて、作物は自家消費用と贈答用に回されている。それに、食生活の変化で昔ほど野菜を食べないから、自分の分くらいなら店で買っても、それほど負担になるものでもない。

 それでも村人は畑を耕しつづけている。村の人間としては、そうしないと何となく村で暮らしている気がしないから。それもあるだろう。だが、それだけが理由でもない。上野村の大多数の人々にとっては、農業は産業ではない、というもう一つの面が。

 私が上野村を訪れるようになった三十年ほど前には、農業で生計を支えている人々がいっぱいいた。どこの家でも、農業はそれなりの収入をもたらしていた。ところが中国から農作物が入りだした頃から、主産物であった蒟蒻などの価格が暴落する。山間地で作られる作物は何もかも価格が下がり、村の農業は深刻な状態にたたされた。

 といっても、その頃村人を苦しめていたのは、収入が減る、という問題だけではなかった。自分の労働が、バカにされているような気がしたのである。誇りをもって作ったものが、子どもの駄賃のような結果しか生まない。それが、自分の労働に対する現代社会の評価だとすれば、自分は何のために労働をしているのか。

 二十年ほど前になると、多くの村人が出荷をやめている。それから数年がたつと、ほとんどの人が出荷に応じなくなった。そのかわり、農業を楽しみ、作物を自分で利用し、作物の価値がわかる人々に、あげてしまうようになる。そのほうが、市場経済の評価にさらされるよりよい。そうやって、村人は、自分の労働の誇りを守ろうとしたのである。

 このことが、誰もが農民である、という雰囲気を維持させたのかもしれない。市場経済の動きに左右されることなく、誰もが畑を耕しつづける村が、こうして生まれた。もちろん、それは、一面では残念な現象である。しかし、それでも、村人はみな農民というかたちが守られた結果、農業と結びついている祭りや習慣も、畑を作っているがゆえに得られる農民たちの共有された世界も維持されている。多くの人々が市場経済に影響される農業から離脱した結果、守られている村の世界もある。

 もしかすると、それは、これからの一次産業のひとつのあり方を示しているのかもしれない。なぜなら、一次産業は、産業として成り立つことも重要だけれど、産業として成り立つ、成り立たないにかかわらず維持されることは、もっと重要だからである。なぜなら、一次産業を誰もがしなくかってしまったら、村に暮らす人間としての誇りも、一次産業があるからこそつくられる村の雰囲気も、村の文化や行事、祭りも失われてしまうだろう。それは村という地域の衰退につながる。

 そして、もっと積極的に述べれば、地域社会と深く結ばれた一次産業は、どのようなかたちであれ、非市場経済的な部分に包まれていなければ、これからは存続しえないのではないか、という気が私にはするのである。市場経済の論理だけで一次産業をおこなおうとすれば、国際競争にも巻き込まれるし、価格競争にもさらされる。それは、多くの農家の敗退をもたらすだろう。この道は、地域とともに歩んできた一次産業を衰退させるだけである。

 むしろ逆に、私たちは、一次産業は非市場経済的な価値や役割をもっているとき、存続しうるのだと考えたほうがよいのではないだろうか。たとえばそれは「産直」などにもいえることで、「産直」は農民と消費者が市場経済の論理を超えた別の価値で結ばれることによって、農民の収入の安定をも実現させていこうとするシステムである。つまり、一次産業は収入を確保するためにも、非市場経済的なものに包まれている必要があるのではないだろうか。私はそこに、グローバル化していく市場経済に対抗するローカル経済の、可能性があるのではないかと考えている。

 おそらく林業でも同じことがいえるだろう。市場経済の論理を超えた価値を提案し、その価値を守ろうとする人々の結びつきが、これからの経営としての林業をも支えていくことになる、と。

 とすると、課題は、この非市場経済的な価値の維持を、どのようなシステムによって保証するか、であろう。もしかすると、その役割をはたせるのが、今日のボランティア、NPO、ネットワークといったものではないだろうか。

 ローカル性に立脚した一次産業は、その外側にNPO的なまといをもつことによって、これからは持続できると私は考えている。



(著者紹介)

■ 内山 節
 ・・・ジャンル・領域は、自然哲学・農(山)村社会学

■主な著書・雑誌記事等

『自然と労働』 農文協
『自然、労働、協同社会の理論』 農文協
『自然と人間の哲学』 岩波書店
『時間についての12章』 岩波書店
『自由論』 岩波書店 他
『山里紀行 山里の釣りから』日本経済評論社
『里の在処』新潮社
『森にかよう道』新潮社
『貨幣の思想史』新潮社 他