森林から生まれた文化

山本博一・東京大学大学院農学生命科学研究科教授(研究科附属演習林千葉演習林長)

 コンピュータネットワークがもたらすグローバリゼーションは経済のみならず、社会の仕組みにも変化をもたらし、現代文明そのものが揺らいでいる。20世紀とは異なる価値観が伝統や家族、信仰に対峙しつつある。「文明」というシステムが揺らいでいるなかで、その基盤をなす土壌ともいうべき「文化」は時間を超越し、その気候、風土、民族にとって普遍的なものとして存在し続ける。グローバリゼーションの荒波の中で人々はそのアイデンティティを求め、自らの基盤となる文化を確認しようとする。日本社会では再生可能な生物資源をふんだんに利用した「木の文化」をその特徴としてあげることができる。西欧文化と本質的に異なる循環型社会を築いてきた日本文化を最も端的に表現しているのが、法隆寺に代表される木造建造物である。こうした木の文化を育んだ背景に豊かな森林があり、この森の恵みを巧みに利用してきた伝統工芸技術があり、その表現形として壮麗な木造建造物がある。しかし、多くの国民にとってこうした木造建造物とこれを支えてきた森林との関係を連想することは困難である。

  近年、森林の多面的機能が評価され、国土保全や水源涵養に加えて「文化的機能」が示されている。森林が現代人に与える精神的影響については健康科学の観点から研究がなされているものの、大きな時間的広がりの中で森林が有する文化的価値については評価されているとは言い難い。すなわち、温暖かつ湿潤な気候の下で形成された日本の森林が優れた材質の樹木を育み、長い年月をかけて文化的建造物の資材となってきたことについて十分な分析がなされていない。奈良・平安時代に建造された建物の資材が一体どのような森林から供給されたのか?こうした森林は日本のどこにどれだけ残されているのか?このような疑問に応えるのに必要な情報を我々は十分に持ってはいない。

  人類の文明が発祥した頃、陸地の多くは森林で覆われていた。現在もおよそ3割を占めている。しかし、森林の最大の産物である木材を用いて大型建造物を築いてきた文化はあまり多くなく、その中で日本の木の文化は世界に類を見ない高い水準を誇っている。この木の文化を理解することは日本という地域とその民族を理解する上で非常に重要である。

 世界の森林は現在も毎年900万haの割合で減少を続けており、その原因は貧困や人口の増加を遠因とする無秩序な用材や薪炭材の伐採、家畜の過放牧や農地への転用などである。今後も食糧,住居、燃料の確保のため森林への圧力が高まるであろう。これに対して、わが国では国土の2/3が森林で覆われており、世界で群を抜く高い森林率を維持している。文明の発達とともに森林の減少が続いてきたが、なぜ、日本だけが高い文化を保ちつつ、豊かな森林を守ることができたのであろうか?そして、高度な木の文化を築くことができたのであろうか?このことは私たち日本人が世界の中でのアイデンティティを見出すために見逃すことのできない重要な点である。わが国の急峻な地形が、他の用途、特に農用地への転用を阻んできたのは事実であるが、森林の再生力の高さにも注目するべきである。東アジア地域の東端に位置し、豊富な降水量と温暖な気候に恵まれ、インド亜大陸から続く暖温帯林とユーラシア大陸の北部から連なる冷温帯林が交じり合った多様な樹種からなる森林は、気候の変動など環境の変化に対応できる柔軟な構造を備えている。こうした森林から、ケヤキ、クリ、クスノキ、ヒノキ、スギ、マツなどの耐久性の高い、優れた構造材を見出したのは日本列島独特のものである。さらに、檜皮のように樹皮の耐水性を利用して屋根を葺くという発想や漆、和紙といった植物性資材の独創的な活用法は日本文化に固有のものである。現在わが国で世界文化遺産として登録された建造物の大部分が木造建造物である。また、国宝・重要文化財に指定されている3600棟強の建造物の約90パーセントが木造であり、また、約23パーセントの屋根が檜皮葺きで、約12パーセントが柿葺葺き、約10パーセントが茅葺きである。したがって、重要文化財建造物のほとんどが木造であり、約半数近くの屋根が植物性資材で葺かれていることになる。

 西欧文化を象徴する構造物が石や煉瓦造りのため再構築を想定しない一回限りの有限のものであるのに対して、わが国の木の文化では植物材料を使用しているため、樹木が再生することにより繰り返し同じ物を構築することができる。伊勢神宮の20年おきの遷宮が最も典型的な事例である。こうしたやり方は構造物も無限のものであるという考えに基づいている。わが国の優れた木造建造物は多様で豊かな森林なくして成り立ち得ないもので、世界の他の地域と大きく異なる土壌を有していると言うことができる。われわれはこの点に注目するべきである。有限な資源の中で21世紀の世界はその進むべき方向を模索しているが、自然と共生することを原点におく日本の木の文化はこれに重要な指針を与えることのできる優れた文化であり、木造建造物はその象徴として評価されるべきである。そして、日本の森林はこうした木造建造物を後方から支援する存在として評価されるべきである。このことは森林の新たな価値の創生に繋がるものである。

  このような日本文化を維持してゆくためにはどれだけの資材が必要であって、どのように森林を維持してゆかねばならないのかを明らかにしておく必要がある。

  例えば、檜皮について述べれば、檜皮葺屋根資材として生木のヒノキから採取した樹皮で、樹齢70〜80年生以上のヒノキから採取する。採取した後、新たな樹皮が生成されるまでに最低8年間を要するため、採取周期は8〜10年である。初回の採取の樹皮は「荒皮(あらかわ)」と称し、檜皮材として使用できる割合は2〜3割であり、2回目以降で初めて本格的に檜皮材が採取できる。現在、国宝と重要文化財に指定されている檜皮葺の建造物は728棟であるが、これを維持するために年間約 3,500平方メ−トルの屋根の葺き替えが必要とされている。このための檜皮材は210トンになる。ヒノキ立木1本から採取できる檜皮材は平均6キログラムであるので、毎年3万5千本の高齢ヒノキを用意しなければならない。これを10年周期で行うためには、10倍の35万本のヒノキ立木が国宝と重要文化財の檜皮葺屋根の維持に必要である。このような文化財に指定されていない檜皮葺も多数存在しており、檜皮材採取に必要なヒノキ立木本数はこの数倍になるものと考えられる。一方、檜皮の材料となる高齢級のヒノキ林は所有者にとって貴重な財産でもある。この高価値なヒノキ林が樹皮採取によってもその価値を損なうことがないことを十分に検証しておく必要がある。

 奈良の法隆寺は日本の木造文化財を代表する建築物である。この法隆寺の主要な構造材はヒノキである。ヒノキ材は年輪が明らかで細かく、特有の芳香と光沢があり、耐久性が高く、かつ長年強度が維持される。加工しやすく、狂いにくいという特徴を併せ持ち、中世以前の木造建造物の大半はヒノキを用いている。現在、我が国のヒノキ人工林は250万ヘクタールにのぼるが、大半は若齢であり、植栽時の林分密度が低いため天然木と比較すると木目や強度の面で懸念が残る。木曽ヒノキは良質な天然木の代表とされるが、こうした天然林を維持するには適度な伐採による更新面の確保が必要である。豊臣秀吉時代の強度な伐採が現在の木曽ヒノキを生み出したが、徳川時代以降の保護政策はアスナロの更新を促進させ、ヒノキの後継樹の確保は十分であるとは言い難い。例えば、木曽谷の赤沢自然休養林は木曽ヒノキ天然林で有名である。ここではそのシンボルである木曽ヒノキは手厚く保護されており伊勢神宮の神木を除いて、伐採の対象にはされていない。しかし、その結果として多くの人々が訪れる自然休養林にはヒノキの後継樹が育っていない。多くの人の目に触れるところから積極的にヒノキを切り出して、著名な木造文化財の修復に使用し、実際に熟練した原皮師により檜皮を採取し、樹木にどのような変化が生じるかを示す必要がある。そして、林床の明るくなった森林でヒノキの稚樹が育つことを見てもらうべきである。適切な森林管理の必要性を広く国民に訴えることが必要であり、こうした一連の動きが広く国民の目に触れる場として「木の文化の森」の設定を提案する。

( 「林木の育種」206号(2003年1月)に掲載)