世界遺産における文化的景観の保護
稲葉信子(イクロム・居住遺産プログラム・プロジェクトマネージャー) (現(独)東京文化財研究所国際文化財保存修復研究センター情報企画研究室長)
日本では、世界遺産の保護の現場で使われている「カルチュラル・ランドスケープ(cultural landscape)」という言葉を「文化的景観」と訳しています。この文化的景観という言葉の意味を、この月報の読者の皆様はどのように解釈されているでしょうか。
つい数か月前、私の勤めているイクロム(文化財保存修復研究国際センター)という国際機関で、この文化的景観の保護に関する専門家研修のカリキュラムについて話し合う準備会議がありました。そのとき会議の参加者の一人から、この言葉が示す概念の定義にまだ慣れていない人々は、この「カルチュラル・ランドスケープ」という言葉を「ナチュラル・ランドスケープ(natural landscape)」、すなわち自然景観に相対する人工的な景観のことと狭い意味に解釈してしまうかもしれないとの指摘がありました。すなわち景観を自然の景観と人工的な景観の二つに分ける、その一方のみを示す言葉という訳です。確かにほぼ同じ内容を示す遺産の概念を単に景観(ランドスケープ)と称している場合もあり、例えば二〇〇〇年一〇月に欧州会議で採択された「欧州景観条約」はそうした例の一つです。
イクロムの専門家研修は、参加者を世界遺産関係者だけでなく広く多分野から募ります。またこの研修は自然遺産の保護の分野にも参加者を募りたいと思っています。ですから、研修の表題が一般の人々にどのような印象を与えるかには気を使います。私は、この文化的景観という言葉が示す概念を、それが育ってきた世界遺産の場で学びました。つまり概念を言葉より先に学びましたから、こうしたことには思いが及びませんでしたが、しかし言葉が示す内容をはっきりさせておくことは重要なことかもしれません。詳しくは後に述べますが、結論から申し上げますと、文化的景観は自然景観と人工景観の両方を含む、そして自然遺産と文化遺産の境界に位置する遺産の定義です。
世界遺産関係の会議を含め国際会議は、英語を主たる言語として開かれる例が圧倒的に多いのが事実です。そしてどうしても議論はその時に用いられている言語の制約を受けてしまいますから、つまりは英語そしてその語源となるラテン語が持つ先天的な意味に引きずられ、ともするとこれらの言語圏での言語論・歴史論に陥り、遺産の保護を現時点で公平に論ずるという本来の主旨からはずれてしまうことが多くあります。私はこのことを、例えば文化遺産のオーセンティシティ(真実性)に関する会議、モダーンあるいはモダニズム建築(近現代建築)の保護に関する会議などいくつかの国際会議で痛感してきました。文化の多様性を大切に考えなくてはならない立場からは、こうしたことにならないよう会議の主催者・参加者ともども十分に注意しなくてはならないことです。
幸いなことに実態が先行する文化的景観については、先に述べたような概念の知名度の問題を除き、余りそうした問題が生じることはないのかもしれません。しかし非英語圏・非ラテン語圏の我々が受身になってしまうことがないよう、議論の内容をきちんと自らの言葉で消化し、国内の身近な遺産の保護に役立て、また世界に向けて発信していくことは重要なことと思います。このことは最近特に気になっている事柄ですので、少し本題からはずれることになりましたが、まず初めに述べさせていただきました。
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さて世界遺産と文化的景観の問題に戻りたいと思います。文化的景観の保存は世界遺産条約の専売特許では決してありません。例えば日本の名勝の保存にみるように、主だった国々は、もちろんすべてではありませんが、それぞれに内容の差はあれ何らかの形で景観の保存の制度を持っています。しかし自然遺産と文化遺産の両方を同時に扱うことのできる世界遺産条約の場において、文化的景観は、単なる美しい景色という概念を超えてその特色を最も効果的に発揮し、保存の世界に積極的に働きかけてきたように思います。
世界遺産委員会が文化的景観を世界遺産の対象として正式に導入することを決めたのは一九九二年に米国サンタフェで開かれた第一六回委員会の時です。この時に世界遺産委員会は、世界遺産条約の実行のために自らが定めている運営指針を改訂し、全部で八条からなる文化的景観の認定と保存に関するガイドラインを追加しました。文化的景観は、ここでは、「人間とその自然環境の交流をさまざまに表現するもの」と定義されています。この場合の表現は物理的なもの、精神的なものを問わず、重要なことは交流という無形の部分に遺産の価値を見出していることです。
運営指針は、文化的景観の例を大きく三つのカテゴリーに分けて説明しています。最初のカテゴリーは、最も古典的な景観の定義、人が意図的に作り出したいわゆる庭園や公園などです。このカテゴリーは、文化的景観の定義を新たに導入しなくても十分従来の文化遺産の認識で認識され、また保存されてきた遺産のタイプです。世界遺産委員会が文化的景観の新たな定義を明文化し、広く普及させる必要を認めたのは、むしろ残る二種類の遺産の認定・保存のためです。
人はその長い歴史の間、自然と共生し、自然の恩恵を受けて生きてきました。残る二つのカテゴリーはいずれもこの人と自然の共生の歴史をより積極的に評価する遺産ですが、前者が物質的なものに、後者が精神的なものに重点を置いている差があります。前者、すなわち三つのカテゴリーの二番目は、人が自然に手を加えながら、どのように自然とともに生きてきたかを示す遺産です。自然利用あるいは土地利用のさまざまな形態を対象とするこのカテゴリーの遺産を最も分かりやすく示しているのは、例えば棚田だと思います。重要なのは自然との共生の証拠で、人の一方的な自然破壊を示すような自然利用の例を加えることを想定していません。また自然という枠組みからは少しはずれますが、世界遺産の場での文化的景観は、巡礼道や運河のような文化の交流の証となるような線状の遺産も含めています。フィリピンの棚田やオランダの埋立地に示されるように農業景観はすでに世界遺産リストに登載され始めていますが、まだ漁業、遊牧に関連する文化的景観は登載されていないように思います。
そして最後は、これが文化的景観の中で最も注目を集めているところですが、人と自然との精神的な交流、人が自然とどのように対話してきたかを象徴的に表す遺産です。人の自然への怖れ、あるいは親愛といったものが、宗教、文学、芸術などの形をとってあらわれる、その無形の部分に価値を見出しています。詩歌や絵画などに繰り返し引用され、その民族や文化にとって重要な意味を持つ景観などがこれに含まれます。そしてこのタイプの遺産を最も分かりやすく示すのは、多くの民族が原始時代から共通してもつ聖なる山の概念だと思います。いわゆる既成宗教に限らない、より生活に密着した自然への尊敬です。多様で豊かな文化を背景とした数々のアジアの信仰の山は、このカテゴリーの遺産を代表する役割を期待されています。
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それでは文化的景観は、どのようにして世界遺産の場にとりこまれることになったのでしょうか。そしてどうしてこんなに注目されることになったのでしょうか。少しその背景について文化遺産の側から考えてみたいと思います。世界遺産は、世界遺産でない遺産の保存の世界から隔絶したところに存在している訳ではありません。世界遺産は世界遺産となる前に、そして世界遺産となった後もその遺産が所在する地元の人々の遺産であることに変わりはありません。また保存の専門家も両者を同時に扱っています。世界遺産の場は隔離された世界では決してなく、保存の世界一般での出来事の先端的な部分をすくい上げ、世界遺産からのメッセージとして分かりやすい形で私たちに投げ返すという役割を担っていると私は考えています。
いま文化遺産の保存の世界には大きく二つの動きが認められると思います。一つは文化遺産とは何かということを問い直す動きです。建築や考古遺跡など、文化の多様な表現のうちの物質的な部分のみを個々に遺産として認定してきた過去から脱皮して、文化の多様な表現を総体的にとらえようとする動きです。その背景には、文化の多様性への配慮が存在します。形の美しさや、歴史的影響の大きさに依存すると、どうしても優品主義に陥り、結果として大文明のとりわけ欧州の建築・考古遺産にリストが偏ってしまいます。文化的景観の世界遺産の場への導入に前後して、1990年代初めから世界遺産委員会は、どのようにしたら世界遺産リストの不均衡を是正して、世界の多様な文化の表現をとりこむことができるか考えてきました。世界には、その文化を恒久的な材料で表現しない民族が数多くあります。農耕や狩猟、漁業など自然の利用形態、また口承などで歴史が語り継がれている文化が数多くあります。文化的景観は、こうした形態の遺産をすくい上げるという期待をになって導入されました。無形の価値の認識、自然環境への連携がテーマです。文化遺産の保存の専門家が組織する世界的な団体であるイコモス(世界記念物・遺跡会議)の次回総会のテーマは、遺産の無形の価値で、アフリカ・ジンバブエで開かれる予定です。
そしてもう一つの動きは、遺産の保存を専門家だけの閉じられた技術的な世界から、遺産の保存を支える地元社会を含むより大きな社会の枠組みに連携させ、自立的な遺産の保存のシステムを育てようとする動きです。ここでは開発や観光がキーワードとなります。世界遺産委員会での既存の世界遺産の保存状態についての議論では、遺産そのものの物理的な保存よりも、それを支える地元の伝統的な社会の崩壊、遺産周辺での大規模な道路や橋の建設などインフラ整備、大資本による観光開発が問題になる例が増えています。文化的景観は、人を取り巻く自然環境が対象で、その利用形態であれ象徴としての役割であれ、地元の伝統的な文化との関係を重視しますから、社会のゆるやかで人間的な発展、土地利用の急速な変化の抑制、伝統的土地利用の多様性の維持に貢献することが可能です。この特集の副題である昨年九月に日本で開かれた「アジア・太平洋地域における信仰の山の文化的景観に関する専門家会議」でも、聖なる山は伝統的にその利用が制限されているところから、その環境保全への貢献への期待が議論されました。文化的景観はここでも大きな役割を期待されています。細かいことを申し上げれば、世界遺産条約の上では文化的景観は現状では文化遺産の側に区分されています。しかし実態として、自然環境を媒体として文化遺産と自然遺産の境界領域に位置する文化的景観は、双方の専門家の交流を促し、文化遺産の保存の側にとっては、とかくおきざりにされがちな文化遺産の保存の問題を、環境保全と同列に並べて考えるまたとない機会を私たちに与えてくれています。先に文化的景観は文化遺産と自然遺産を同時に扱う世界遺産条約において最も効果を発揮していると述べた理由です。
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世界遺産が有名になるにつれ、その功罪が専門家の間で議論されることが増えてきたような気がします。多くの人の、それもマスコミや資金を潤沢に持つ援助側の関心が世界遺産に集中することが、とりわけ文化遺産を、世界遺産とそうでない遺産の二つに二分してしまったとするものです。一般の人々の文化遺産に対する認識を、せめて自然遺産と同じ程度にまで高めることができたらと、文化遺産の専門家は考えています。誰にとっても、世界遺産であるグレートバリアリーフの海水の汚染を、子供たちの飲む身近な水の汚染の問題に直結させて考えるのはそれほど難しいことではないのに、また大規模開発の際には環境アセスメントが必須であることは開発者側にも十分周知されているのに、文化遺産の側にはそこまでの認知度はまだありません。例えばアンコールの遺跡を訪れる日本人観光客のどれほどが、遺跡の保存と、周囲のすばらしい自然環境、そしてそこで遊ぶ子供たちの生活を直結させて考えてくれているでしょうか。これも文化的景観の議論の普及が世界遺産の保護の現場で期待されている役割の一つです。
(文化庁月報2002年1月号より転載 )