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2011年11月24日

NO.471 石巻市に行ってきました。

あし です。
 ご無沙汰しておりました。

 11/21-22日に宮城県石巻市に行ってきました。
なんだか被災地に行くことに、もう何ヶ月も経ってしまったのに、その間も何にも出来なかったのに、、、というためらいがあって、行くチャンスを作れなかったのです。
 でも、今回、茅葺きに使う「ヨシ」の調査に行く方々にお誘いいただき、やっと、まずは仙台〜石巻まで行くことができました。
 北上川の川岸で、そこに生息するヨシの生育状態、津波による影響などの調査風景を眺めておりました。

 場所は、たくさんの子どもたちが流された大川小学校の対岸。

 地元の方々から、「大川小学校に行った?」と聞かれてドキッとしました。
でも次の言葉が、「手を合わせてやってよ」「慰めてあげてよ」、その言葉にびっくりしたのです。
 なぜって、行ってはいけない所と思っていたのです。あの悲惨な光景をテレビで見ていたただけの人間には、立ち入れない場所だと思っていました。
 ご家族にとってみたら、子どもたちの思い出の詰まった大事な大事な場所でしょうに・・・

 だから、地元の方々の言葉に、行っていいんだ、と憑き物が落ちたみたいな気持ちになりました。
 翌日、ずっと鎮魂の祈りを捧げている、と仰る棟梁が、自ら大川小学校に連れて行って下さいました。
 そこは、祈りの場、でした。
 鎮魂の碑の前には、たくさんのお花が供えられ、尽きることのない悲しみに満ちておりました。

 私たちを案内して下さった方が、其の後、是非こちらも見て下さい、と大川小学校の先に車を走らせました。ここにはず〜っと家々があったんですよ、という道の両側は水に覆われ、北上川と同化しておりました。
 しばらく行くと家並みが見えてきて、遠くから見た時は、何の被害もなかったかの様に建ち並ぶ様に見えたのですが、その集落まで近づいてみると、二階建ての屋根は原型をとどめているのに、一階部分はごっそりと流され、どの家も、細い柱だけで、未だに水の中に立ちすくむかのように立っておりました。壁紙がめくれてひらひらと風にはためき、悲鳴が聞こえて来るかのような家々の姿に、鳥肌が立つ思いで通りました。
想像を絶する恐怖や悲しみや絶望が沈み込んでいるようで言葉もありません。

 地元の方々が見せて下さる笑顔の奥にあるものは、あまりにも悲惨すぎて、私にはどうしていいのかわかりませんでした。

 やっぱり、もっと早くに行くべきだったと後悔しましたが、でもそれでもやっと行くことができて良かった、そう思いました。

 被災された皆様の心の悲しみや傷みが少しでも和らぎますように、収まります様に、そんな日が早く訪れます様に、心からお祈りいたします。