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2005年08月31日
NO.286 長崎・五島(11 )◆ド・ロ神父様(下)
いよいよ8月も最後の一日となりました。
ド・ロ神父様のお話、続けます。
ド・ロ神父記念館の展示品の中で、素敵!と思ったのは、ド・ロ神父様が母国フランスから取り寄せられたというハルモニュウム。今でも美しい響きを奏でるというオルガンです。
この見学会を企画して下さった山田利行さんたちが、前回こられたときはシスターが実際に賛美歌を歌いながら弾いておられたそうで、それはそれは大感激なさったようです。
2005年08月29日
NO.285 花火大会の一夜
また月曜日、一週間の始まりです。朝晩は、少ししのぎ易くなりましたが、お元気ですか?
最近、事務局日記の内容が重いなぁ、と自分でも思いつつ書いていますが、長崎・五島の簡単なご報告のつもりが、ついつい忘れないうちに、と余分なことが加わって長くなっております。お許し下さい。
でも今日は、気分を変えて花火大会での一こまを。
2005年08月26日
NO.284 長崎・五島(10 )◆ド・ロ神父様(中)
昨夜の台風は、結局、雨も風も強まることなく朝を迎えることができました。
朝から、アブラゼミとミンミンゼミがにぎやかに鳴いています。少し蒸し暑いけれど、窓をいっぱいに開けられて嬉しい。
さて、ド・ロ神父様のお話を続けます。
お生まれは貴族。広大な領地をもち、豪壮な家に住み、不自由とか貧しいとかを知らない境遇だったのだそうですが、お父上は厳格な方で、純朴で潔白なカトリック主義教育で育てました。
その上生活に必要なあらゆる技術教育を施し、農業の知識はもちろん、建築や工業の専門的な技術が小さい頃から教え込まれたのです。そして幼少より、父の元を離れチュバンルー神父様のもとで生活。夏休みには時々帰省することを許されたとのことですが、師の影響は大きく、司祭への道を志され神学校に入られました。
2005年08月25日
NO.283 長崎・五島(9 )◆ド・ロ神父様(上)
台風11号が接近しています。
お昼頃から、土砂降りの雨がまっすぐ地面を叩き付ける様に降るかと思うと、突然小やみになったりの中、夕方6時から、一つ隣の駅近くの公民館で別件の会合があり出かけてきました。駅までの道、小康状態、と思って出かけたらとんでもない土砂降りに。
それでも帰る頃は小雨、友人の車に乗せてもらって無事帰ってきました。台風は、まだ伊豆半島の先あたり、、、
NO.283 長崎・五島(9)◆ド・ロ神父様(上)
外海(そとめ)に行ってド・ロ神父様に触れないわけにはいきません。
お恥ずかしいことに、長崎には何度も行ったことがあるのに、今思うと長崎市内の観光だけ。外海に行ったこともなければ、この方の足跡に触れるまで、何をなさった方なのか全く知らなかったのです。
2005年08月24日
NO.282 長崎・五島(8 )◆地域の文化遺産ー枯松神社の大祭
あちこちで集めた盛りだくさんの資料を、帰ってきてから整理し始め、見つけた小さなプリント。興味深い内容でしたのでご紹介します。
心のともしび ( 第551号、04年3月1日発行/B4版1枚です。)より
第4回枯松神社祭 離れた兄弟たちの一致 という題で、水口登美子さんが書かれたもの。何ヶ所か借用させていただくことをお許し下さい。
前回紹介した外海(そとめ)の地は、遠藤周作さんの書かれた小説「沈黙」の舞台になったところでもあり、キリシタン迫害の歴史でも有名なところです。
パイプオルガンの演奏が素敵だった黒崎教会の近く、通称「枯れ松さん」と呼ばれる山の中にこの枯松神社があるのだそうです。
2005年08月23日
NO.281 長崎・五島(7 )◆長崎/外海(そとめ)
長崎の話に戻りますが、7月に参加した見学会というのは、木の建築フォラムの研究集会/長崎・五島 教会建築・歴史と自然環境を生かした島づくり というもの。参加者は建築関係の方々が大半。
木の建築フォラムの会員山田利行さんと理事の松留愼一郎さん(お二人とも当会の会員でもありますが)が、企画し様々な調整や段取りをして下さり実現した見学会でした。凄まじく大変だったことと想像します。なぜかと言うと、現地参加者も入れると107名という大所帯。
当会の見学会、30名〜40名でも手一杯の私には考えられない参加者数。もう尊敬の一語あるのみ。
特に山田さんからは、どうしても連れて行きたい、見せたいと誘われてのこわごわ参加だったけれど、心から感謝しているのです。お誘いには乗ってみるべし!
2005年08月22日
NO.280 論文集に追加しました。
寝苦しい夜が明けて、目覚めるとすぐに窓を開けるのですが、今朝は外から涼しい風が入ってきてほっとしましたね。
それでも日中はアブラゼミやミンミンゼミの降る様に鳴く声がベランダの窓いっぱいに聞こえています。隣の空き地の数本の木々もまた枝を伸ばし、濃い緑が風に揺れる。暑い、、、、
早く夏が終わって欲しい〜、と毎日思いながら暮らしております。
講演録/姫路城とともに 世界遺産10周年を迎えて を追加しました。
講 師/法隆寺管長 大野 玄妙氏
2005年08月17日
NO.279 長崎・五島(6) ◆明治政府の宗教政策(下)
また明治5年(1872)には、修験道廃止令まで発せられ、神仏習合の中で信仰を担ってきた修験者がその信仰を否定されました。自然を大切に考え、日本古来の神々や仏菩薩を崇める修験道は、絶対神を持たない「後進国日本」の象徴とも見られたらしく、排斥されたのです。
先日修験道の霊場、吉野金峰山寺執行長の田中利典様から、奈良平安時代から続いてきた日本人の信仰は、神と仏を両方受け入れていたと伺い、自分の持つ宗教心に、少し自信が持てる様になりました。
よく、初詣は神社に行って結婚式も神社、なのに葬式は仏教で、などと(おまけにクリスマスにはケーキも食べると)日本人の宗教心を馬鹿にされることが多く、自分でも節操のないことなのだろうかと疑問に思っておりました。
2005年08月16日
NO.278 長崎・五島(5) ◆明治政府の宗教政策(上)
為政者の政策によって宗教が利用されたり否定されたり、その関係がとても気になりますが、明治政府の宗教政策について簡単にみていきたいと思います。
慶応4年(1868)、明治政府は、「神仏分離令」という大変重要な宗教政策を打ち出しました。この祭政一致・神祇官再興の太政官布告により、従来の神仏習合の風が破れたのです。
それまで神社の中には神宮寺や本地堂などの建物が、寺院の中にも地主神社、護法神社、鎮守神社、祠堂などの神道建築がある場合が多かったのですが、それらを明確に分離せよとの命令です。
つまり各地方の神社において、神殿中の仏像、僧像、経巻、法器などは取り除かれ、一方、寺院内の神社関係のものも取り払われました。
廃仏毀釈運動は、これに拍車をかけ、仏像・仏具など焼き捨てられたものも数多く明治以前より存続してきた寺や神社はかなりのダメージを受けています。
2005年08月15日
NO.277 長崎・五島(4) ◆明治になっても続いた迫害
潜伏していたキリシタンの存在が明るみにでてその対応が決まらないうちに、徳川幕府は崩壊してしまいました。
しかし神道国教主義の政治方針で進もうとしている明治政府は、キリシタンを認めず、浦上の住民全員を尾張以西10万石以上の21の藩に総流配したというのが浦上四番崩れ。
許されて村に戻されるまで実に6年以上!「旅」とよばれるその間、流刑地では、飢えと、改宗をせまるはげしい拷問の、言語に絶する悲惨な生活。
移送された村人3394名。そのうち最後まで苦しみに耐えた者1900名。帰村を許された時には613名の殉教者、実に5分の1の村人が命を失ったというのです。(参考:浦上天主堂のHP http://www1.odn.ne.jp/uracathe// より)
2005年08月13日
NO.276 長崎・五島(3) ◆浦上四番崩れ(修正版)
1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教が我が国に伝えられました。
信長、秀吉による天下統一の過程で一時容認された時期もあり、その教えを広めて行きました。1587年秀吉が伴天連追放令を出した後、1596年日本二十六聖人殉教等の苦難の中でも、伝導は続けられ長崎には幾つかの教会も建てられたそうです。
しかし1614年家康によるキリスト教禁止令が発せられ、以来1626年からは踏絵による宗門改めが行われるなど、厳しい迫害は、1873年(明治6年)に解禁されるまで長く続きました。
2005年08月11日
NO.275 長崎・五島(2)
毎日、本当に暑いですね。
長崎で思い出しました。
7月8〜10日の日程で出かけた見学会は、長崎・五島の教会群を見学させていただく,というのが目的でした。普段なら入れていただけないような御堂の中に入れていただきそれだけで感動しました。
どうしてこんな素敵な教会が、人がそれほど住んでいる様には見えない島々に建てられているのか、不思議でした。
でもあちこち巡ってみてお話を伺い合点したのです。何百年も前からの関わりがこのような美しい教会を信者の皆さんに建てさせたのでした。
私は「歴史の必然」という言葉に惹かれますが、まさにこの教会も長いさまざまな歴史を経た後に生まれたものだと思ったのです。
2005年08月09日
NO.274 長崎
今日は長崎に原爆が落とされた日。60年前のことと言いながらもまた新たにこの一年間に原爆の後遺症で亡くなられた方々の名簿が追加されました。被爆した方々の苦悩は今も続いている、なんと恐ろしい爆弾でありましょう。
長崎には、先日伺ったばかり。
2005年08月03日
NO.273 夏は暑いところへ
いやはや長い間出かけておりました。
25日に家を出て、奈良、大阪、滋賀、京都。1日の夜、やっと家に帰り着きました。
「奈良・大和路フリー乗車券」の有効期間を最大限活用しての7泊8日。 これは東京から奈良までのJR乗車券(新幹線特急券は別)と奈良近辺のJRと近鉄や奈良交通バスが乗り降り自由という周遊券(17140円)で奈良近辺を歩き回る時はとても便利。
ちなみに名古屋から来る友人は、京都までの新幹線(こだま・ひかり利用)プラス奈良近辺の近鉄や奈良交通バス乗り降り自由。でも奈良周辺のJRは使えないというチケットの為、奈良市内、同じホテルに宿泊しているのに、法隆寺までの行き方は毎朝別々。