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2005年08月26日

NO.284 長崎・五島(10 )◆ド・ロ神父様(中)

 昨夜の台風は、結局、雨も風も強まることなく朝を迎えることができました。
 朝から、アブラゼミとミンミンゼミがにぎやかに鳴いています。少し蒸し暑いけれど、窓をいっぱいに開けられて嬉しい。

 さて、ド・ロ神父様のお話を続けます。
 お生まれは貴族。広大な領地をもち、豪壮な家に住み、不自由とか貧しいとかを知らない境遇だったのだそうですが、お父上は厳格な方で、純朴で潔白なカトリック主義教育で育てました。

その上生活に必要なあらゆる技術教育を施し、農業の知識はもちろん、建築や工業の専門的な技術が小さい頃から教え込まれたのです。そして幼少より、父の元を離れチュバンルー神父様のもとで生活。夏休みには時々帰省することを許されたとのことですが、師の影響は大きく、司祭への道を志され神学校に入られました。

 まだキリシタン禁制のさなかの1868年来日のきっかけは、、日本に石版印刷の技術を伝えるため選ばれた、とのことですが、これだけではありません。
 ド・ロ神父記念館に一歩足を踏みいれた途端、この方が、どれだけ外海地方の産業・社会福祉・土木・建築・医療・移住開拓・教育文化などに奉仕したか、ただただ驚くのみ。
 氏の偉業・遺徳を顕彰することを目的に、遺品が収められ、ド・ロ神父記念館が設置されたのでありました。
 しかも、この記念館とてド・ロ神父様が、明治18年(1885)にいわし網工場・保育所として用いる為に自ら設計・施工した建物で、平成15年には国の重要文化財に指定されています。

 そして、ド・ロ神父様は、明治16年に授産・福祉施設、「旧出津救助院」を建設しています。私財を投じて、です。
 授産場では、マカロニ・ソーメン製造、染色、搾油作業場、機織工場もあり、また修道女の生活や礼拝の場として使用されていたのだそうです。
 こうした機械器具もすべてド・ロ神父がヨーロッパ諸国から購入したものとか。今も展示品として残っているのです。

 フランスで息子の身を案じるご両親はどんな気持ちだったのでしょうね。神父様が私財を投じて、といってもそれはご実家の援助、ということではないかなぁ、などと私は思いましたが。
 
 ド・ロ神父様もさりながら、遠くフランスから、東洋の、キリシタンを迫害する野蛮な国の民の為につくす息子を支援する両親の想いって・・・キリスト教の博愛のこころなのでしょうか、息子を愛する故の行動なのでしょうか。
 広い、素晴らしく大きな愛が存在したのですね。日本の救いを求める人々のために、、、

 外海町は、昭和53年(1978)、国際親善と平和の促進をはかるため、神父の生地であるフランスのウ゛ォスロール村と姉妹都市提携を行いました。
(この提携は、2005年1月旧外海町との合併に伴い、長崎市に引き継がれました。 2003年3月13日にヴォスロール村議会で承認、 2004年9月24日に長崎市議会で承認) )

 ウ゛ォスロール村の面積は7.6ku、人口は350人。行って見たくなりますね。(あし)


 (以上、ド・ロ神父記念館パンフレット、ド・ロ神父記念館発行のマルコ・マリ・ド・ロ神父小伝、長崎市役所外海行政センターの観光案内、http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kokusai/exchange/vauxsuraure.html長崎市国際課WEBを参考にしています。)