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2011年11月25日

NO.472 宮城・石巻市白浜地区復興住宅の入村式

宮城・石巻市白浜地区復興住宅で入村式が行われました。

http://www.kogakuin.ac.jp/news/201107/1302.pdf
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111123-00000067-mai-soci
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111123/t10014155011000.html
http://www.yomiuri.co.jp/adv/enterprises/release/detail/00027147.htm

 昨日の読売新聞朝刊には紹介されていましたが、石巻市の追波湾を見下ろす高台に、伝統工法で建てられた木造の洒落た住宅が11棟、建築中です。昨23日その入村式があったと報道されていました。(詳細は、上記のアドレスでご覧下さい)

 21-22日に私たちもその建築現場を見学させていただきました。

入村式前々日と前日の大忙しの時にお邪魔してしまい黒澤棟梁にも大変お世話になりましたが、7寸角の大黒柱が使われている建物もあって、ここなら気持ちも広々と暮らせるでしょうね、と思いました。主に津波ですべてを流された白浜地区に住まわれていた漁業に関わる方々が入居されコミュニティを保ちながら暮らして行ける様に配慮されたものとか。

 被災された方々は、現在、あちこちの仮設住宅に暮らされていますけれど、二年経ってそこを出ないといけなくなったら、こんな木の香りのするお家に住んでいただきたいな、と心から思いました。

 これは、東京・新宿にある工学院大学が、来年設立125周年になるのだそうで、その「工学院大学 125周年記念の募金事業による」もので、設計は工学院大学。地元の建築会社も巻き込んで、みんなの気持ちが一つになって、これから各地で建てられるであろう復興住宅のモデルケースになればいい、と建てたもの。
 復興住宅のある高台からは、青空の下、追波湾(おっぱわん)のさざ波がきらきらとひかり輝くいておりました。


 よく、こんなに素晴らしい企画が実現できたこと、と感動するのですが、それを実現に近づけたのが工学院大学の後藤治先生。当会理事のお一人でもあります。
 この現場事務所で頑張っている首藤裕太さん、また、初日、私たちをヨシの調査場所などあちこち案内して下さった田揚裕子さん(熊谷産業で研修中)も後藤先生の教え子だそうで、
後藤先生の人を引っ張って行く熱い思いに感動しました。

 そして、この復興住宅案を考え人一倍尽力されたのが、地元の茅葺きやスレート等を扱う屋根会社・熊谷産業の熊谷秋雄さん。当会の会員でもあります。
 今の仮設住宅は、建設に一戸400万円かかり、2年後の取り壊しにも100万円かかるのだそう。
 だったら最初から恒久的な家を建てた方が良いのでは、と後藤先生に相談されたのだそうです。
 土地取得にはいろいろあったらしいけれど、海の見える高台にやっと取得できた由。

 熊谷さんは、家も職場もすべて津波に流されたけど、従業員の方々は「間一髪無事だった」、のだそうで、被災後いち早く小さなプレハブ小屋の事務所を建てて頑張っておられました。
 この方に、まんまるの目で「大川小学校行ってあげてよ、手を合わせてあげてよ」と言っていただいた。

 昨日書き忘れましたが、大川小学校って、避難が遅れて108名の児童のうち、74名もの子が津波の犠牲になってしまったのです。教職員10名も。
 現地に行ってみると、地震の後、すぐに裏の山に逃げていれば、、、と思わずにはいられない、余計に辛さ悲しみがこみ上げて来る祭壇でした。
 もし石巻に行かれることがあったら、行って手を合わせてあげてね、と私もみんなに伝えたい。そんな思いが後から後から湧いて来ます。
 今、祈ることしか出来ないけれど、でも私も何かしなくては。