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2005年08月24日

NO.282 長崎・五島(8 )◆地域の文化遺産ー枯松神社の大祭

 あちこちで集めた盛りだくさんの資料を、帰ってきてから整理し始め、見つけた小さなプリント。興味深い内容でしたのでご紹介します。

 心のともしび ( 第551号、04年3月1日発行/B4版1枚です。)より
 第4回枯松神社祭 離れた兄弟たちの一致 という題で、水口登美子さんが書かれたもの。何ヶ所か借用させていただくことをお許し下さい。
 
 前回紹介した外海(そとめ)の地は、遠藤周作さんの書かれた小説「沈黙」の舞台になったところでもあり、キリシタン迫害の歴史でも有名なところです。
 パイプオルガンの演奏が素敵だった黒崎教会の近く、通称「枯れ松さん」と呼ばれる山の中にこの枯松神社があるのだそうです。

  水口さんの文章をお借りすると、
「そこに「サン・ジワンさま」が祀られていてキリシタン神社と呼ばれ、外海町の文化財に指定されています。(中略)
 明治維新でやっと信仰の自由が認められた時、この外海の町にも、教会の美しいアンジェラスの鐘が響き渡ったのでした。
 しかし、すべての人々がカトリック教会へ戻ったのではありませんでした。フランス人宣教師の指導のもとに、半分はカトリック教会へ、その半分の人々は、二派に別れ、教会にもお寺にも属さず、弾圧時代に先祖たちが残してくれた信仰を守り、自らを旧キリシタンと名乗るグループとそのまま仏教徒として檀家に残ったグループと、この三者の特殊なグループの形態で存続し、今日に至っているのです。」

(中略、黒崎教会に赴任し、枯松神社祭を始めた野下千年神父様のお話として続きます。)
 「キリストご生誕二千年にあたり、教皇様が救いの歴史の中で『同じキリスト教を信じながら、袂を分けた兄弟との一致』を呼びかけられたこともあって、離れた兄弟たちと一緒に先祖の供養をしようと思いついたんです。

 ところが、離れた兄弟たちの融合は、そう簡単にはいかなかったようです。しかし、一昨年、第3回枯松神社祭が終った時、約70年前に建てられた枯松神社の老朽化が激しくなり、神社が姿を消すかもしれないと心配し、また、祖先たちの信仰の証を後世に伝えなければならないと思い、三者合同で全面改築に取り組むことを呼びかけたのでした。(中略)

 「皆の共通の恩師である『サン・ジワンさま』をお祀りし、また、わたしたち共通の先祖の信仰の証である枯松神社改築を一緒にやりましょう、とカトリック信者、旧キリシタンの人々、そして、枯松神社の世話をしていた檀家たちにも声をかけたんです。もっとも大変だと思っていた3グループの人々が抵抗なく賛成してくれました。そして3グループの方々や、枯松神社を文化財として指定する外海町からも助成金が公布され。それは3ヶ月のうちに予算額達成、全面改築が可能になりました。」(後略)

 そして03年11月3日、第4回枯松神社祭が、高見三明大司教様司式のもと旧神社を忠実に復原された枯松神社(広さ15平方メートル)の祝別式、慰霊ミサが、約400人の人々が集まる中、盛大に行われたのだそうです。
 このお話を読んで、当会の内山代表が提唱される「文化遺産を核として、地域のコミュニティーを再構築する」が、脳裏に浮かびました。まさにそんな活動がここにもあるのだと思いました。
 
 日本的な自然と人間の文化を守ること。自然と人間の歴史を感じ取りながら暮らす社会を作る為に、そう、私たちの文化遺産はあるのだと思いたい・・・

補足:ちなみに、ここに出てくる旧キリシタンのことを、「隠れキリシタン」といい、弾圧時代250年間のキリシタンのことは「潜伏キリシタン」、と分けて表現することもあるようです。(あし)