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2005年08月11日

NO.275 長崎・五島(2)

毎日、本当に暑いですね。

長崎で思い出しました。
7月8〜10日の日程で出かけた見学会は、長崎・五島の教会群を見学させていただく,というのが目的でした。普段なら入れていただけないような御堂の中に入れていただきそれだけで感動しました。
 
 どうしてこんな素敵な教会が、人がそれほど住んでいる様には見えない島々に建てられているのか、不思議でした。
 でもあちこち巡ってみてお話を伺い合点したのです。何百年も前からの関わりがこのような美しい教会を信者の皆さんに建てさせたのでした。
 私は「歴史の必然」という言葉に惹かれますが、まさにこの教会も長いさまざまな歴史を経た後に生まれたものだと思ったのです。

 ですが長崎・五島の続きを書こうとあれこれ本や資料を読み始めたのですが、
 ・・・重いのです。
 教会のことを書こうと思うと、キリシタン殉教の歴史に触れなければならず、それはあまりに悲惨過ぎて、迫害した方もされた方も、改宗させられた方も、殉教した方も、みんな同じ日本人かと思うとやりきれなくなるのです。

 ただ言えることは、7代250年もの間ずっとずっと隠れキリシタンとして人目をはばかり、仏教者のふりをしながら生きてきた人々、凄まじい迫害の中でも改宗せず、後に信仰の自由を勝ち取った人たちが、どれほどの喜びを込めて教会を建てたであろうかということ。

 もともとお金があるわけじゃない。貧しい暮らしの中から絞り出す様に献金し、何年もかかって自分たちの天主堂を建てた、そのほとばしるような嬉しさを行く先々の建物から感じるのです。
 誰に憚ることなく隠れることなく、皆で賛美歌を歌い、声を合わせて神を称えることのできる幸せ。
 その祈りの場を手に入れることができたのですもの。どれほどの満足感と喜びに充ち満ちていたことでしょう。

 しばらく長崎・五島続きます。明日はその迫害の歴史を。  (あし)