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2005年03月22日

NO.243 五十嵐道夫先生が亡くなられた

 五十嵐道夫先生と言ってもすぐにはお分かりにならないでしょうが、当会の会報の表紙はこの五十嵐先生の描かれた絵で毎回飾られておりました。

 東京芸術大学日本画科卒業後、教職につかれましたが、50才になって退職され、後は創作活動に専念されました。3年前小淵沢に、八ヶ岳の見える地に家を建てられ、お好きな山の絵を描かれる充実した毎日をお過ごしでございました。ですが雄大な山の四季折々の美しさをもっともっと描きたい、まことにこれからという時に発病、半年の闘病生活の後 3月15日夜中、帰らぬ方となりました。
 享年69才でございました。

 
  昨年手術後、また今年のお正月明けにも、友人たちと長野の富士見高原病院までお見舞いに伺い、お元気なご様子にすっかり安心しておりましたのに、15日夕方、突然に、あと二三日しか持たないかもしれないとの連絡。何が何でも行かなくちゃ、と翌朝早く家を出てUさんと二人で病院に駆けつけた時には、既に亡くなられたあとでございました。
 どうしてこんなにショックなことがおきるのでしょうか。

 19日は甲府の先の韮崎というところにて告別式でした。
 五十嵐先生は、教職最後の3年間を、私のこどもが通っていた小学校で過ごされました。図工室に手作りおもちゃをたくさん作ってこどもたちを受け入れて下さる大変人気のある先生でしたし、PTAの活動をいろいろ助けてくださる気さくな先生でもありました。そんなことから、学校を辞められてからも、市のP連(PTA連合会)OBでつくる「PTAを楽しむ会」という会にも参加してくださり、まことにいい関係を作ってきました。

 そんな訳で、私たちの会からもUさんご夫妻や我が夫を始め、10人が韮崎まで駆けつけたのです。
 行きも帰りも富士山や八ヶ岳など雪を頂く山々が真っ青な空を背景に凛とそびえておりました。山が大好きだった五十嵐先生が最後のお別れをして下さっている様な気がいたしました。

 そんなこんなで、先週からずっとショックを引きずっております。
 とりあえずの近況報告でございました。