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2005年04月14日

NO.250 相模國一之宮寒川神社の美しい建物

 今日は暖かいですねぇ。
 すっかり新緑に覆われたケヤキにも、久々の陽のひかりが、さんさんと降り注いでいます。

 昨日はあいにくの雨降り三日目。電車に乗ってJR相模線の宮山というところに出かけたのですが、霧の様な細かい雨に煙る車窓から、みえる桜はどれも寒そう。ほんとに寒かったのですよ。そして行ったところが寒川神社。

木の建築フォラムの企画で、見学会が催されたのです。
当会会員の竹澤要さんが精魂こめた仕事ですと以前おっしゃっていらしたので。
 
 相模國一之宮寒川神社。初めてお参りしましたが、平成9年に完成した堂々とした社殿をもつ大変立派な神社でした。
 今まで、竹澤さんとは何度もお話していながら、どんな方かあまりよく存じておりませんでした。でも昨日の見学会でもう仰天。

 平成2年から始まった御大典奉祝記念事業としての手水舎、神門、客殿、廻廊、御社殿の設計管理をされたのです。
昭和の初期から角南隆先生、小橋英雄先生と三代にわたりご縁のある神社とのことで、木曽ヒノキの買い付けから検品、木取りなど全部自分で関わったとおっしゃるのです。

 竹澤さんは、鳥取県三朝の生まれ。(三仏寺投入堂あたりは遊び場だったそうで、、)新制中学を卒業して手に職を、と大工に弟子入り。朝3時に起きて飯炊きから始まる毎日だったそうです。でも大工仕事には直接関係ないあらゆることをやっておくことが勉強になるのだと後になってわかったと、ニコニコとしたお顔でおっしゃるのです。

 10年もたったころ、折しも東京の明治神宮の仕事に採用され、そこでみっちり4年半しごかれた後、師である小橋先生に見込まれて弟子入り。御礼奉公の意味合いもあって、そこでも10年務めた後、独立。現在の竹澤古典建築設計事務所を開設されたとのこと。

 感動したのは、御用材の調達に関して。(データが公表されていることにも感動。当会の性格上掲載させていただきます。)
 木曽ヒノキの原木から購入するという方針で、計10回の購入を行ったそうです。
 第一回(平成2年4月)123本/284.216立方米。第二回(平成3年5月)106本/214.104立方米、第三回(平成3年11月)137本/166.657立方米、第四回(平成4年7月)73本/148.769立方米、第五回(平成5年10月)267本/423.674立方米、第六回(平成6年8月)82本/222.656立方米、第七回(平成6年11月)405本/506.410立方米、第八回(平成7年5月)161本/250.929立方米、第九回(平成7年9月)131本/221.171立方米、第十回(平成8年1月)製品/77.188立方米 合計1485本/2514.774立方米

 御用材は購入の都度検品され、寒川神社の刻印が押され管理され、製材された。工事に合わせ加工所に移され、宮大工により刻まれ、工事現場である神社に搬入、組み立てられたとのこと。
 もちろんどれにも竹澤さんは関わられ、木取りが設計よりも大変だったとおっしゃっていました。
 中でも苦労されたのが、外拝殿上の4本の大虹梁の材の確保。長さ12メートル、径目通り1.2メートル、一本取るのに6本切ったとのこと。中にウロがある為で外側からはわからず大変な思いをなさったとか。もちろん全部引き取りうまく木取りしてすべてを使った、とのことでした。

 見学会最後の懇談会の際に、木作り始め(コヅクリハジメ)の儀式のビデオを見せていただきましたが、10人程の方々が直垂(ヒタタレ)を着て(烏帽子は折烏帽子だったか、はて?)横たわる大径の材を前にシャクセイをはかりノコギリできり、カナジャク、センビキ、チョウナ、ヤリガンナなどひとつひとつその作法をおこない、最後に確認すると言うもの。興味ある儀式でした。儀式を何よりも大切にされた先生の教え通り、竹澤さんは装束も自前で全員の分を作り、古式ゆかしく行うのだそうです。

 お話を伺えば伺う程、驚くのですが、彫られた文様や飾り金物の意匠、デザインもすべてご自身で描かれたとのことで原寸図を見せていただきました。本当に精も根も尽き果てる程すべてを出し尽くしました、と言われるその建物は、優しく気持ちよく、そして美しい。竹澤さんのお人柄通りなのでした。

 初めて竹澤さんが設計された建物を見せていただきましたが、久々に気分が高揚するのを感じています。
 それで、今日の事務局日記はまた長くなりましたが、ずらずらと。
おつきあい頂きありがとうございました。ではまた。(あし)