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2005年10月10日

NO.296  草木塔をご存知ですか?

情報交換欄のページを皆さんにぜひご紹介したかったので、少し長いですが事務局日記でも取り上げさせていただきました。重複お許し下さい。

 草木塔(そうもくとう)のことをご存知でしょうか。
と雪うさぎさんが情報交換欄に書いて下さいました。(原文のまま)

 
「草木塔」または「草木供養塔」などの文字が刻まれた石塔のことで、この地方独特のもののようです。中には「材木供養塔」と刻まれたものもあります。(小さい頃は、どこにでもあるものと思っていました。)
 百基を数える石塔の三分の一は江戸時代のもので、その多くは草に埋もれるように道の傍らにひっそりと立っています。これらの塔が建てられるようになった理由については、これまでもさまざまな説や言い伝えがあり、今も特定されていません。

 でも石塔を見ていると、草や木にも人間と同じ命が宿ることを信じて、自分たちが生きるためにいただいた草木の命を、家族と同じように供養してやりたいと願った昔の人々の気持ちが伝わってくるような気がするのです。
 寛政9年8月13日の銘のある草木塔には「一仏成道観見法界草木国土悉皆成仏」と経文の一部が刻まれています。

 草木塔はその分布を見ると、かつて「木流し」がさかんに行われた川の流域に多く残されていました。
 伐り出した木材を筏に組んで下流の町場に流す木流しの仕事は、危険が多く、命を落とす人も多かったことでしょう。
 だから、こうした山仕事に携わって生きてきた人々の安全を祈る気持ちや感謝の思いも、草木塔には託されていたのだと思います。

 都の真ん中に国家の巨大な力で造営された大寺院にも、鄙びた田舎の路傍に建てられた粗末な石塔にも、
 「人は自然の中で生かされるもの」という敬虔な祈りがこめられているのを感じて、お伝えしたくなりました。

以下は、あしの返信です。(すこし変えています)

 草木塔のお話。初めて伺いました。
 そして当時の山の様子を想像してしまいました。

 多分、鬱蒼とした天然林があったはず。あたりを睥睨する様に枝を広げるスギやヒノキやヒバなどの大木もあったことでしょう。そんな大きな木に近づく時、人は畏敬の念に打たれて立ち尽くしたのではないでしょうか。

 今年木曽では20年に一度の伊勢神宮の御遷宮に必要な用材を木曽から伐り出す為に、「御杣始祭(みそまはじめさい)」が執り行われました。
 選ばれた二本の御神木をそれぞれ三方から斧で伐り倒す儀式。「三紐伐り(みつひもぎり)」という、三箇所ツルを残して倒す古来からの伐り方です。

 その儀式に立会った方から伺ったのですが、ヒノキの大木が倒れる最期の時、まるで悲鳴のような声を出すというのです。
 そしてあたりには芳しいヒノキの香りが立ちこめ、木の泣く声とドドゥッと地面を揺るがせて倒れるその地響きに胸が締め付けられる思いがした、と。その方は20年前お父さんに連れられて初めてその儀式に臨み、以来、木曽ヒノキを扱う仕事を継ぐことを決心されたと伺いました。

 江戸屋敷の焼失や大火事で町が焼け緊急に大量の材木が必要となり、見事な森をむざむざと伐らなければならなかった痛恨の思いが草木塔を建てさせたきっかけとも言われているようですね。
過酷な自然の中で、木々も苦しみながら大きくなったのに、と自然とともに生きてきた人たちの心、草木に寄せる鎮魂の想いが伝わってくるように思いました。

 いいお話をご紹介いただきありがとうございました。
 今、経済的な事情や使い勝手などいろいろな理由で、国産材は使われず、日本国内には外材があふれていますけれど、(木材消費量の8割以上が外材とか)外国から運ばれてきた木に、草木塔を建てる程、精神的なものを感じられるのかどうか。

 単なる部材としてしか木材を見なくなってしまった。
 昔の方が感じていた木の精神性、霊性とでも言うのでしょうか、そんなものは全く無視され単なる素材として切り刻まれ使い捨てられる。

 草木塔のお話は、林業や製材、建築に関わる方々、そして木を消費する私たちみんなに、もう一度思い起こして欲しい大事なものを示唆してくれます。日本文化を木の文化と言い換えることができるならば、その基となる大事な「こころ」を教えてくれます。

 「食」の世界には、肉さかなの他にも野菜などの「いのち」をいただく、という考えがありますが、木の「いのち」をいただいて家を建て家具や道具を作る、という考えも思い出すべきなのでしょう。

 雪うさぎさんも書いて下さったけれど、「動植ことごとく栄えむとす」と願った聖武天皇、「ノミもシラミも仏になれ」と記され釈迦如来像に納められた文書。図書紹介欄「仏教発見!」の一文なのですが、草木塔のお話とともに心を揺さぶるのはなぜなのでしょうね。

(あし)