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2005年12月21日

NO.308 公慶上人展を拝観しました。

前の事務局日記で、母が具合が悪くなり、後はさんざん、と書きましたが、実は、東京駅から新幹線に乗ってくる母と京都駅で待ち合わせる前に、奈良博に行ったのです。前夜、その為に奈良のホテルを取って準備万端、、、

(先月いつも宿泊するホテルが取れなくて、奈良駅横に11月5日オープンしたばかりのホテルに泊まったのですが、もう営業停止ですって。何でも今、世間を騒がす強度不足の物件だったとのこと。ひと月前行った時にはロビーは「祝開店」の花々があふれていたのに、従業員の方々が可哀想。)

 14日朝は予定通りで、奈良国立博物館に9:30の開館めざして入り、一時間ちょっと公慶上人展を見せていただいたのですよ。
西山さんは出張中とかで、お会いできなかったけれど、至る所に自画自賛されている西山さんの姿が見えるような、、、、、

 まず、入り口。さぁ見るぞ、と意気込んで入ったら、いきなり公慶上人がお出迎えになっておられるのです。
えぇっ?もうお会いできちゃうの?と少し拍子抜け。

 でも、光線の加減が素晴らしい。
 私の思い描く公慶上人のお姿そのままで、まるでお堂の奥まったところにお座りになっていらっしゃるかの様。4本の丸柱と背面に壁を配し、外側上部を華鬘(けまん)で飾られた御座が、結界に守られているかのようで一安心。

 それまでポスターやチラシにくっきりはっきり写る公慶さんの表情に何だか違和感を感じていたので、この伏し目がちに瞑想していらっしゃるようなお姿にほっとしたのです。

 奈良時代に建てられた東大寺。
 治承4年(1180)平氏の焼討ちにあい、その後、鎌倉時代に重源上人によって復興されたのに、永禄10年(1567)三好松永の戦火に焼け落ちてしまった。以来あの大仏様が上屋も無く露座で、しかもお顔は木に銅板を貼って作られてあったのだそうです。

 万治3年(1660)、公慶上人は、東大寺に入寺して初めて露座の大仏を見た時に決意された。たった13才の時。この大仏様を元通りにするのだ、と。
 37才になってやっと大仏復興に向けて動き出した。その時、公慶上人は大仏様が完成するまで横になって寝ないと誓いを立てられた。以来7年間坐ったままでお休みになられた。

 そして大仏様のお像が完成し華々しく行われた落慶法要が終った翌日、元禄5年(1692)4月9日、7年ぶりに横になってお休みになり、そのまま病床に伏してしまわれた。
 ようやく再起された公慶上人は次ぎなる大仏殿再興に向けて突き進まれたのですが志半ばで倒れ、後を遺弟の公盛さんに託されたのです。公盛さんはそのとき17才。

 意志の強い方ですよね。生前のお姿をそっくり写したと伝えられるお像からは、できません、などと申し上げると「どうしてできないのだ。できないということがあるものか。」などと叱責されそう。

 でも今回目の前におられる公慶上人は、もっと静かな雰囲気で、奥の間に一人端座しておられる。
 横顔がものすごく素敵なのです。頭の形と、そぎ取られた様に痩せた風貌、感動するくらい美しいのですよ。
 
 次に感動したのが「二月堂牛玉(ごおう)誓紙」。東大寺修二会(お水取り)の連行衆に19才で初めて参籠した公慶上人のサインがあるのです。今日に至るまで500年以上も書き続けられてきたもの。初めて連行衆になられた方々が必ず署判を加えるもので、公慶上人の署判のあと、31人目に公盛さんの署判も見える。本邦初公開なんですって!
 他にも公慶上人の自筆文書がいっぱい、サインがいっぱいでちょっと興奮気味。

 それと壁に大きく飾られている「京大絵図」にも感動。
 京都の町を、大仏殿再興勧進のため托鉢行脚した道に朱で線をひいたものなのですが、ほとんどの道に朱線が入れられてあるのです。元禄4年(1691)閏8月6日〜9月24日まで京都の大仏講の方々と一緒に町々を勧進しながら歩かれたというもの。日付から類推すると東大寺で何かがあると奈良に戻り、またとんぼ返りで京都に出てくると言うハードスケジュールだったのではないかとのこと。
 1685年にこんな大きな京都の町の地図が刊行されていた、というのも凄いなぁ。

 また井上町中年代記、という奈良市井上町という町の記録にも公慶上人の勧進の記述があるのですよ。資料の提供先が、「井上町自治会」となっていてそれにも感動してしまいました。

 ホントに見応え十分な公慶上人展。一時間ちょっとでは全然足りず、もう一回行かなくては、と後ろ髪惹かれる思いで会場を後にしました。 
 私たちの会の活動にも通じるのですけれど、やっぱり何かを守るって、何かを創り出すって、その思いを如何に強く、如何に長く持続できるか、公慶上人の凄まじさをかいま見て改めて思いました。

 中途半端ですが、取り急ぎご報告までに。次回は先日のシンポジウムのこと書きますね。ではまた。(あし)