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2006年01月28日

NO.313 「ひと」「技術」そして「思い」

信じられないことですが、もうすぐ1月も終ってしまいますねぇ。
少し前に京都のシンポジウムでバタバタしていて、そのあと新年を迎えたばかりだというのに。
23日月曜日は、今年最初の合同委員会がありました。

 当委員会では、昨年暮れに、「中間報告」を発表しました。
 補修用材の品質や長さ大きさ、樹種を検討する委員会と、200年300年先の補修用材確保策を検討する委員会が合同で研究を進めていたもの、現状の問題点や今後に向けてをまとめたものです。
 (このホームペ−ジでも来月半ばごろUPする予定です。)

 というわけで、合同委員会では引き続き、次なるテーマ「文化遺産を核として地域のコミュニティを再構築する」為の検討に入りました。
 内山 節さんを座長として、まずはフリートーキングから。
 実は、二三日前の夜中に、このまとめを一気に長文で書いたのですが、最後の場面でぱっと消えてしまってそのショックたるや、、、今日は気を取り直して再度挑戦しております。

 文化遺産を核にするといっても、その文化遺産とはどういうものか。
 誰の所有になるものか。
 それを守り続けることにどのような意義や意味があるのか。
 守ろうとする主体は誰か、何の為に、その規模は、、

 地震や大雪等の災害で、また過疎になってしまった土地で暮らしも成り立たないと離れていくなか、壊されたり放置されるお堂やお社等の事例は事欠かない昨今、逆の明るい事例を探した方がいいのではないか、となりました。

 阪神淡路大震災や新潟の大地震の被害を受けて壊れた歴史ある建物がどの様に復興されているのだろうか。
 数える程の氏子や檀家しかいないのに、お堂が新しく建て直されたという事例もありました。
 この事務局日記でも取り上げたことのある、彦根のスミス記念堂や、長崎の枯松神社、また徳島の農村舞台の復活などもありますね。

 いろいろな事例を探して行きたいと思っています。

 地域には大小様々な規模や形の文化遺産があると思います。そんな木造建築物を守り続けようとする人たちも多様。その方法や負担の軽重も一概にはとても言えないことだと思うのですけれど。
 
そういった木造の建物が修理修繕される為には、伝統工法を使える大工さんが必要となりますね。もし地域にいなければ他所から来てもらわなければいけないし、宿泊費や交通費等また余分にお金がかかってしまいます。昔はお寺や神社、其の地のお大尽の出入りやお抱えの職人が地域の修理も頼まれていたのでしょうけれど。

 だけど今は、伝統工法で建てる仕事がない、だから地域から大工さんもいなくなる。
それで過疎地の小さな村に突然、都会と同じようなハウスメーカーの家が建ったりするんですって。
 それを悪いとは誰も言えないのだけれど、でもそこから風景が変わり地域の魅力が失われていく。
 歴史を感じとりながら暮らす社会が失われていく。
 
都会の人間がこんなことを言うのは勝手すぎるかとも思うけれど、でもそこに暮らす人たちだってそう思っているんですよ、都会のひと以上にその景観を守りたいと願っているんですよ、ということばを聞いてホッとしました。

 所有者が持ちこたえられなくなった建物をどうやって地域で支援していけるのでしょうか、檀家や氏子の力だって限界だし、檀家のないお寺だってたくさんある。ましてや個人の住宅等どうしたらいいのでしょう。文化財の指定も受けていないけど、でも残したい建物はいっぱいある。

 せめて地域のコミュニティが守られていれば、また新たに作り出すことができたなら、、、そんな願い。 
そこに住む「ひと」「技術」そして「思い」。
そういったものが一緒になって、欲をいえば、地域の林業まで活性化するような、そんな事例が探せたら、と願っているのですけどね。いい事例がありましたら是非お知らせ下さい。

 ではまた(あし)