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2006年02月14日

NO.317 毎日続けるということ

 唐突ですが、中学3年生のとき、学生服の下にパジャマを着たまま学校に来ていたクラスメートがいました。
 単に寝坊して慌てて出てきたものなのかどうなのか、今となってはわからないけれど、私には、それがとても羨ましかったのですよ。
 どうして夜になったらまた着なきゃいけないのに、朝着替えなくちゃいけないんだろう、顔を洗ったり歯を磨いたり、なんで毎日毎日同じことの繰り返しを続けていかなくちゃいけないんだろう。なんの意味があるのだろう。
 単にものぐさな中学生だったんだろうけど、、、

 話は唐突に変わりますが、おとといの夕方、光り輝くお月様が山の端から昇ってくるのに遭遇しました。

 うす青い夕暮れに鐘の音が響く時、ふと振り返った空の一角が異常に煌々と明るく光っているのです。
 あれは何?という疑問は、ほんの少し顔を出した一筋の光を見続けているうちに喜びに変わったけれど。

 お月様がこんなに大きいなんて、こんなにまばゆく輝いているなんて。
 いつも見慣れていたはずの、夜になったら空に浮かび、明るくなると見えなくなってしまう日常のものが、時としてこんなにも美しい姿を見せるなんて、そういえばもうすぐ満月。

 対面する山際は沈んだ夕陽の名残の茜色にうっすらと縁取られ、頭上のうすい群青の空には暮色が深まる。
 月が動く、見る間に昇っていく、その天を背景に山門の屋根のシルエットが濃くなっていく様は、その場に居合わせた老若男女二十人程の人たちを釘付けにしていました。
 この冴え冴えとした月を、隣り合った人たちと笑顔で愛で合うことができる、そんな当たり前のことが、嬉しい。

 太陽が沈む、月が昇る。毎日繰り返されることがなんて新鮮に心に響いたことでしょう。最近、毎日、ということばが気になっていたので、余計に反応したのかもしれませんが。

 ある京町家のお宅を見学させていただいたとき、寝る時だけは近くのマンションに帰る、というおばぁちゃんは、毎日仏様のお世話に家に通ってくると言ってらした。
 私の母も、お仏壇に毎朝7時には、一汁二菜のお膳を出すのを日課にしている。そんな母を尊敬するけれど、
 夫の妹は、両親の病院に毎日通ってくれる。そんな妹のお陰で、遠く離れた私たちの暮らしが成り立っている、いつも感謝している。

 太陽や月が出て、沈み、また昇る。
 その毎日改まる「一日」という一つの単位がどれだけ大事なことなのか、一日一日を連続させることの大切さすごさなど最近よく考えるのです。
 夜の闇の中から、太陽が光とともに顔を出しまた一日が始まる。
 朝起きたら顔を洗い歯を磨き衣服を改めて、新しい朝を迎える。なんて素敵なことでしょう。
(あし)