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2006年02月21日

NO.319 節分の豆まき

 昨日は冷たい雨が気持ちを萎えさせる淋しい一日でした。知人にご不幸があり、お葬式に出かけて来たのでよけいに寒さがつのりました。今日もどんより曇り空。

 さて、節分の日を不動寺で迎えたことを以前この欄で紹介しましたが、その続編。

 あの何日かあとTさんとお話することがあったのですが、話題が節分の豆の話になりました。

 というのも、不動寺の護摩供修法のあとお豆をいただいたのです。
 護摩焚きの際、山伏姿の行者さんが何やらおさんぼうを捧げ持ち、少し火勢の衰えた白い煙にあてていたのを見ていたのですが、どうやらお供物らしいけど。

 その後で、「福豆 太神山不動寺」、と印刷された8×10cmくらいのピンクの小袋をいただいたのですよ。あぁこれだったのね、と納得。ご利益ありそうと、大喜びで押し頂いて帰りました。

 家に帰って思い出し、「そうだ、お豆食べよ。今年も一年無病息災であります様に。」と念じながら袋を開けたら、中に、キティちゃんのキャンデイが二つ。もちろん、お豆も16〜7粒入ってはいましたが。

「あの豆食べた?」とTさんに聞かれて、「目がテンになった」、と答えた私。

 でもふっと思い出したのですが、私の子ども時代、我が家の節分というと、キャラメルやチョコレートを一升枡に豆と一緒に入れて、各部屋でがらりと戸を開けては、「おにわぁそと」(お庭は外に決まっているのに、と小さい頃ずっと思ってた、、、)「ふくわぁうち」と各部屋に豆を(お菓子を)撒いてまわったのですよ。撒くのは父。(京都市内の出身です。)

 父の後から、キャラメルやチョコレートをキャーキャーいいながら拾ってまわるのは、主に妹と私。普段から何かにつけて争奪戦を繰りかえす仲でしたので、収穫したお菓子の多い少ないでもめたことももちろんあり。多分姉が間に入って上手に調整したのだと思うけど、小学校のいつごろまでこの行事が続いたのかは覚えていないのですよ。

 豆まきが終わったあと、年の数だけお豆を食べて、また年の数に一つ足した数の豆を半紙にひねってくるみ、頭の先から足の先まで、「頭が良くなります様に、目が悪くなりません様に、歯が痛くなりません様に、、、」とおまじないのようにブツブツ言いながらそこをなで、最後は前を向いたまま後に向かってポーンと投げる。振り返ってはいけません。

 今思い出しても、不思議な節分の日の記憶なのですけれど、だから関西では豆にお菓子を入れるのは変じゃないのではないか、と主張する私に、Tさんは変な家だと大爆笑。(・・・そんなに笑わなくてもいいのにねぇ・・・)

 という訳で節分も済み、雪うさぎさんからも春の兆しのお便りが届きました。
 こちらは近所を歩いていても、まだ梅も固いつぼみのままなのですが、でも春はそこまできているのでしょうね。待ち遠しい今日この頃です。(あし)