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2006年09月25日

NO.341 竹内静子さんのこと

 23日夕方、お茶の水の山の上ホテルで竹内静子さんのお別れ会がありました。

 7月13日、第14回合同委員会があったのですが、その会議が終わりお茶を飲んでいるとき、内山さんが、おっしゃるのです。
 会議中も、何だかお疲れのご様子だなぁ、と思ってみておりましたので、でも次の言葉に驚愕。
「ボクの奥さんが先月亡くなったんです。」
 そこに居合わせた者全員、ただただ絶句。

 それからしばらく日にちが過ぎてから、内輪だけで葬儀は済ませたのだけれど、お別れ会をやってあげて、という声が多くて、と電話をいただきました。

 内山さんとは「NPO法人森づくりフォーラム」で事務局をしていた頃からのおつきあいですが、うわさでは独身の哲学者。でも事務局で時々、代表の内山さんに連絡をつけようと捜し回る時があって、まず携帯に電話して、通じないと仕事場に電話して、それでもいないと上野村のご自宅に。そんな時、時には仕事場、時には上野村で、「内山は今連絡が取れないから、こちらから伝えておきましょう」などとテキパキ処理してくださる女性の声。
 
 あるとき内山さんがリラックスされているとき、私も調子に乗って「いつまでピーターパンを続けられるんですか?」なんて聞いてしまいました。すると内山さんがおっしゃるのです。「皆さん勝手に誤解されてるけど、ぼくにも奥さんはいるんですよ。」ってね。納得納得、あの電話の方ね。

 その奥様が亡くなられたとのこと。
 お別れ会に出させていただいて初めて奥様の人となりを知りました。

 竹内静子さん。
 労働社会学がご専門で大学卒業後、毎日新聞社、エコノミスト編集部にも長く勤務されたとのことで、当時の上司や同僚の方々がよく議論をしたと、思い出を語っておられました。
  著書も沢山あり、そのなかでも1997年に(社)農山漁村文化協会(略して農文協)から、往復書簡『思想としての労働』を内山さんと一緒に書かれた、その方だったのです。
 お別れ会では、その時、編集に携わったAさんが、お二人を前に打合せを何度もしていながら、ご夫婦である事に迂闊にも今の今まで全く気がつきませんでした、と話され皆さん思わず失笑。(こんな場で笑っていいの?っていう感じ)

 職場でも殿方からは畏れられた方らしいけれど、女性からは憧れの的だった、というお話も伺いました。でも誰も結婚の事は知らなかった、とそんなスピーチが相次ぐ不思議なお別れ会。
 
 若き内山さんと知り合って、お二人でどれだけ沢山の議論や思索を積み重ねてきたのでしょう。ご夫婦というよりもまさしく同士と言った方がふさわしいお二人。結婚という形態に安住する事なく縛られる事なく、最後まで尊敬し合っていたのだろうな、と感動してしまいました。
 
 最期の朝、内山さんが「お茶が入ったよ」と声をかけたそのほんの少し前に、眠る様に息をひき取られていたのだそうで、なんと幸せな方なのでしょうとまた感動。

 38年もの間、一度も喧嘩した事がない、軽蔑されたこともないと内山さんが言いきるのですよ。素敵。内山さんからみたら少しだけお姉さん。
 内山ピーターパンに必要だったのは、ティンカーベルじゃなくてウェンディだったのね。
 

 記念の品として、お二人の往復書簡『思想としての労働』(農文協刊)、と内山さんの最新刊『戦争という仕事』をいただきました。
 信濃毎日新聞社刊、宣伝文句が「傍観者たちよ。なぜ私たちの時代は、いまも戦争をつづけるのか?私たちは、どこで何を間違ったのか?」

 内山ワールド。本当に、しびれます。
 内山さんは当会の共同代表のお一人なのですが、代表は他に伊藤延男さん、法隆寺の大野管長、速水亨さん、古橋源六郎さんがいらっしゃいます。理事も魅力的な方ばかり。こうした方々の元で事務局をさせていただけるのを、私はこころから幸せに思っているのです。
 悲しみのさなかにいらっしゃる内山さんには申し訳ないけれど、いろいろ感動する事ばかり。まだ興奮続いているみたいです。ではまた(あし)