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2007年02月28日

NO.367 風向計より。ヒノキの大空間に「第三の公」

読売新聞S様から、速水さんの「風向計」最新版が届きました。
速水林業代表 速水 亨さんのコラム(転載)です。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_k/fukokei/fuko070223.htm

 熊野古道は、古くは日本書紀に出てくる熊野信仰の地への参拝道として発達した。紀伊半島に広がる古くからある信仰の霊場は、古道とともに2004年7月に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に指定された。

 熊野信仰は再生を信じる信仰で、広く庶民に開かれ、スサノオノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコトを主神にまつる。仏教が入ってくれば修験の場としての信仰を集めるなど、八百万(やおよろず)の神的な信仰で、今風に言えばアニミズム(精霊信仰)でもある。

 私の住む三重県の南部にも、伊勢神宮から熊野三山につながる熊野古道が、いくつもの峠に残されている。峠は、大台山地が太平洋に一気に落ち込む地形の中、海に面した湾にわずかに残された平地にしがみつくように発達した集落をつないでいる。中には美しい石畳が続く峠もある。
 1936年にやっと自動車道路が開通するまで紀伊半島を一周するまともな道路はなく、古道は地域の生活道でもあった。

 この世界遺産を紹介するために、今月10日に「三重県立熊野古道センター」がオープンした。尾鷲湾を見下ろす山腹に建てられ、目の前に火力発電所の煙突がそびえる景観に賛否両論あるが、それはそれでなかなかの景色である。
 しかし、なんと言っても建物の造りが素晴らしい。当地の尾鷲ヒノキを13・5センチ角にした柱が、6549本も使われている。接着剤は用いず、強度が必要な所は角材を束ねて使い、大空間を作っている。

 日本国内で同一断面の木材でこれだけの空間を作ったのは初めてのことだ。その上、木材一本一本の伐採から納入までの経歴を全て追跡記録していることも国内で最初と思われる。
 中部地方は林業や製材業が盛んであるのに、近代的な大型木造建築がほとんどない。それだけに、熊野古道センターは木材の使われ方の見本としての意義も大きい。
 管理運営は、地域のNPOが県から委託されている。地域の人々が手作りの様々な事業を切れ目なしに行っており、古道を訪れる観光客らも次々と立ち寄っている。NPOの積極的な姿勢もよく、愛される地域施設となっていくと思われる。

 三重県南部は、人口が多く産業基盤がしっかりとした地域とは異なり、公共事業が地域経済を支える比重が大きい。公共の事業であれば、公正で透明性のある事業施行が重要だが、それとともにしっかりとした説明責任が必要となってくるだろう。
 古道センターの建築に関しては、土地の選択は三重県や地元尾鷲市など行政の意向が働いたが、その後の計画立案などは様々な委員会で常に民間の人々が積極的に議論し、決めていった。私も、多くの計画立案、遂行に関わったが、その過程は可能な限り公開され、委員としても責任が持て、安心できる制度であった。

 しかし、行政側は透明性を意識するあまり、よりよい結果をもたらすことが分かっていても、複雑で厳しい説明が必要な時には、積極的に挑戦するより、無難な選択をしようとする姿勢も見られた。
 野呂昭彦・三重県知事が推し進める、行政と民間が協力しながら事を成す「第三の公」を目指していく難しさを味わった建物でもあった。

(2007年2月23日 読売新聞)