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2007年06月03日

NO.385 母がパトカーに

31日は理事会がありました。19年度の活動計画を皆さんで検討。
また今年度も魅力的な活動が続きそうです。。。

 翌1日は、朝6時過ぎに家を出て木曽福島へ。
 9日10日に上松(あげまつ)で開催される、見学会&シンポジウム、木取りの講習会の打ち合わせの為。来週に迫ったイベントですが、現地の方々が熱心に取り組んで下さる様子に、感銘を受けながら帰ってきました。

 
 家に着いたのが、11時半近く。
 母の面倒を頼んでいた姉も(午後から半休とって来てくれて)とっくに帰ってしまって、家は深閑としておりました。
 母の寝息を確認して、今日も無事に1日が終わることを感謝。

 とこうして書けば何事もなく、平穏に毎日が過ぎているように見えますが、まぁ色々あるものです。

 実は、31日の理事会のまっ最中に、携帯に母から電話が入りました。
 私が出かけて淋しくなると、しょっちゅうこうして電話が入るのですが、出るに出られず会議に集中しておりました。

 家に帰り着き、しばらくしてから、夕食を頼んでおいた兄が、母と一緒に帰ってきました。

 いや、今日は大変だったんだ。

 母は、私が出かけた後、急に兄の家に行こうと思い立って山を下り、(歩いて行けるところではないのです!)
ビックリする程遠くまで行ったけれど、途中でどうにも歩けなくなり倒れそうになって歩道橋にしがみついているところを、通りがかった若いお母さんが心配して声をかけてくれ、パトカーを呼んで下さったという顛末。

 ヒャア〜。
 理事会中に電話をくれたのは、パトカーのおまわりさんだったのですよ〜。
電話に出ていたら理事会どころじゃなかったのでありました。
 母の持つ携帯の短縮に入れてある番号は、私の次が兄。
 出張中の兄が出て、兄から義姉に電話が行き、結局義姉が母を迎えに行ってくれたのでありました。

 それにしてもパトカーがこんなに親切にして下さるなんてビックリしました。だって母を家の前まで連れて来てくれたのですよ。
 それからは、パトカーが停まってビックリしたご近所の方が、へとへとで動けなくなっている母を心配して、そこのお宅で面倒を見て下さっていたのでした。

 ほんとうにたくさんの方々にお世話になってしまいました。
 有り難いことですね。こんなに周りに親切な人たちがいるなんて今まで考えても見なかった。ご近所の方も、お顔も名前も母はすっかり忘れてしまっていたけれど、35年の近所付き合いは生きていたのですよね。
 なんだか感動した晩でありました。

 だけれども、昨日までできていたことが、今日はできなくなることを、突然突きつけられてうろたえています。
 しんどいな、と小さくため息つくのみでありますが。
 でも、ま、なんとかなるでしょう、と楽観的な<あし>でした。ではでは、、、