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2007年06月22日

NO.388 この5年間

 総会そして5周年記念シンポジウムが無事終了しました。
念願のあの弥生講堂を満杯に、は無理だったけれど、でも「充実した内容でしたね」、と何人もの方から感想メールをいただきほっとしています。
 こんな地味なシンポジウムにご参加下さいました皆様、本当にありがとうございました。

 発足以来、5年間というのはあっという間でした。

 そして最近、自分の中でわかり始めたことがあります。
 今まで、私は、当会の二本柱「補修用材を確保する為の活動」と、「文化遺産を核として地域のコミュニティを再構築する活動」とは、別々の柱だと思っておりました。

 でも最近は、新しい価値観の創設の為に(結局これは過去に大切だったあれこれの再認識なのですけれども)文化遺産、つまり祈りの場だったり自分たちの誇りを確認する場だったり、が大切となるのであって、その文化遺産を維持保全する為に将来の補修用材も確保する必要があるのではないか、という考えに変ってきました。

 そして、その新しい考え、というのがまさに日本古来からの、自然とともにある考えなのではないか、という認識に至りました。
 仏教が伝わる以前から日本というこの特殊な地域に根ざした、祈りや信仰、考えなど。
 それが今日の修験道に伝わっていると伺い、今回、聖護院門跡52代門主・本山修験宗管長の宮城泰年様にご講演をいただきました。

 よく日本人は節操がない。子どもが生まれたらお宮参りで神社に行くのに、葬式は仏教だと。結婚式だって神前、、、と外国の人から笑われることに腑に落ちないものを感じていました。

 でもそれは日本という国では当たり前のことで、家の中にも地域にもたくさんの神様がいらして、日が昇れば拝み、お天道様に顔向け出来ないことはするなと育てられ、神棚や仏壇に手を合わせる暮らしが普通でした。
 神と言っても、日本古来の神様は、キリスト教やイスラム教のような絶対神とは違うもの。
 
 さかのぼれば、明治の時代に神仏分離令、修験道廃止令なるものが発令され、それから一般庶民の家々にまでその影響が出始めたのが、この四五十年といわれています。
 実際に家々から神棚や仏壇が無くなってきた(つまり家々で育まれて来た信仰心も薄れてきた)この四五十年程の間の価値観の変遷。その四五十年の間に失われたものをそのままにしていいのだろうか。

 文化遺産を守り継ぐ為には、その価値観の復活から考えなければいけないのではないだろうか。
 結局、それが木の復権とも結びつくのではないだろうか。
 といったような思いを抱えながらさまよっているのですが、でもこの5年の間、委員会での討論を伺っているうちに、随分と整理がついて来たように思います。

何よりも、当会共同代表のお一人の内山節さんの書かれた、「戦争という仕事」を読んで、その論理は、鮮明に私の頭に入ってきました。 この四五十年間の価値観の変遷に大きく影響を与えて来たのがアメリカ型資本主義の考え方、、、
(長くなるので、一度切ります。)