« NO.401 便利堂とコロタイプ(2)―職人技の印刷工房― | メイン | NO.403 「風向計」より ーー分收育林と参院選が示す課題 »

2007年08月25日

NO.402 便利堂とコロタイプ(3)―願うことが原動力ー

 それにしても、様々な工程を見れば見る程、一民間企業だけで、これだけの技術を継承していくのは大変だろうなぁ、と気が重くなってきたのです。
 でも相国寺に会場が移り、有馬様のお話しを伺っていくうちに気持ちが変っていきました。

 『命の輝きを描いた若冲の動植綵絵を、相国寺に残る釈迦三尊像と合わせてまた、33幅全て掲げて祈りたい。』
 今の、「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」の活動と同じ。
「願うこと」が物事全ての原動力。
 願いを持った人がいて、初めて人もものも動くのよね。

複製に関する考察:続けます。
 その日の相国寺にての研究会の第2講が、東京藝術大学の佐藤道信氏のお話で、テーマは、「オリジナルと複製―機械と人間」。興味深い内容でした。

 コロタイプは「オリジナル」か「複製」か、という論点では、「限りなくオリジナルに近い複製、限りなく手作業に近い機械印刷」という言い方をされていました。そして、もっと興味をもったのは、
「複製にアウラ(オーラ)はあるか(魂は宿るか、拝めるか)」という問いかけでした。

 この何日か後、高野山に行ったのです。
 そこで、ずっと考えていたこの疑問をついお聞きしてみました。曼荼羅を前に毎日祈りを捧げておられるお坊様が仰った言葉、「たとえ模写だとしても私たちが祈っているものが本物です。というより本物偽物の区別はないですけどね。」

 多分そうなのだと思うのですよ。
 オーラがあるから祈る。もちろん思わず手を合わせてしまう、という対象はたくさんありますが、でもそれが素晴らしいから祈るという行為以上に、祈り続けることが素晴らしいことなのだと、そう思えるのです。

 便利堂の工房では、職人さんたちの手が入れば入る程、オーラが生じていく。「わざ」と一緒に「心」も込められるから。
 数えきれないくらい多くの工程を次々にクリアーしていく過程には、少しのミスも許されない。
 前工程が完璧だったからこそ自分も腕を振るえるし、後工程に送ることができる。

 螺旋階段を上るように、一つ一つが積み上げられて最後の完成品にまで繋がっていく。
 そんな作業工程を見学させていただいて、これは単なる模写、模造品ではあり得ないぞ、また別の価値を持った作品ではないのか、と思ったのですよ。

 それでも単なる模写だろう、と言う方がいらしたら、ほかにどう反論していいかはわからないのですけれど、どこにどんな価値を見いだすべきなのか、それは受け手の感性の問題かもしれないと、ぼんやりと思うのみ。

 でも、少なくとも、若冲の釈迦三尊像と動植綵絵の世界を再現した空間、それは、みんな一緒だからね、一緒に今を共有しようね、素直にそう思える世界に違いない。
 そして高く低く響きわたる声明に身をゆだねることができるならば、なおさらこのざわついたこころが静まり、平安に満たされるかもしれない。

 いつか目の見えるうちに見てみたいもの、感じたいもの、そう強く思ったことでした。私にとっても、本物じゃなくても、もう十分満足出来る気がするのです。

 伊藤若冲と相国寺、動植綵絵とコロタイプでの複製製作に関する思いなど、長々と書きました。
 動植綵絵30幅複製製作の発注は、またコロタイプに必要な技術や資材を継承させうる大きな光になることでしょう。その間にコロタイプの存続活動の輪がもっともっと広がり大きくなることを祈ります。数百年先までも、つながりますように。
 そして、世の中の人、みんなが未来に目を向ける社会になりますようにと祈ります。

 次回からはそんなこんなの雑感と、最高の技術、に関して思ったことなどまた書いてみようと思います。
 相変わらずの拙文を、延々とお読みいただきありがとうございました。(あし)