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2007年10月22日

NO.414 300年前建立の本堂に900年前の転用材

 最近、母ネタの多い<あし>に、いつも記事を配信して下さるs様から、「おせっかいかもしれませんが」と遠慮がちにメールが送られてきました。

 読むと、昨年5月末に当会の見学会で訪ねた滋賀県大津市葛川明王院の記事。
 9月29日に配信されたというものなのですが、見落としていました。事務局日記に触れないのはおかしい、と言われるs様の気持ちわかります。だって私も興奮しましたもの。

 ちょうどここ何日か巷では比叡山「千日回峰」の話題。
 山中の明王堂(上記の明王院とは別)に9日間籠もる「堂入り」に挑んでいた延暦寺大乗院住職、星野圓道師(32)が21日未明、満行した、というニュースが放映されていましたし、新聞にも出ていました。
 同じ比叡山の修験道場として栄えた明王院の建物も、昔からこうした修行に毎年重要な役目を果たす訳で、余計に興味を感じますね。

 その9-29記事によると、江戸期に明王院の現本堂を建てる時に、平安後期に建てられた前本堂の建築部材の一部がそのまま使われていたというもの。
 部材は転用の際に加工されず、組み立てればそのまま前本堂の軒部や小屋組が再現できるというのですよ。再現すれば、平安後期に建てられた前の建物の規模がわかるし、平安期の建築技法もより明らかになると。
 そしてなによりしびれるのは、その材木が伐採されたのが、1100年頃だというのです。

 何かが発見されると、いろんな事実がわかってくる。
 900年も前に伐採された木が、一度建物の化粧材として使われ、その600年後、新しい本堂が建て替えられる時に、また利用される。そして2007年の今、解体修理されるまで、300年もの間、その建物を支えて来た。

 凄い、と思いましたねぇ。
  建築材料としての「木材そのものの凄さ」を感じるとともに、木材をこれだけ使いこなす知恵とわざ。

 前の本堂を解体して、新しい本堂を建て替えたその時のいきさつがわかったら面白いのにね。
 手狭になって大きくしたのかなー。
 一部の材が痛んで来て、どうせ建て替えるならと一回り大きくしたのかなー。
 でも600年経っていてもまだしっかりとしていた材を、生かそう残そうとした職人の思いと技量。
 どんなメッセージを込めたかったのだろう。

 その残された部材を組み上げたと想定したら、室町期の本堂の絵図面とほぼ合致するという。だから、多分、前の本堂からの転用材なのだろうと推察出来る。そして建築技法から考えて、前の本堂は、平安後期の建立だろう。木の伐採年もそれを裏付ける。

 いろんな資料がいろんな事を教えてくれる。まるで推理小説のよう。
 その為の発掘、文献調査。

 建物の様式の他、向き(方角)や寸法、記号の振り方、木のはつり方やどんな道具を使ったかでも時代が推定出来るし、(6月に当会のシンポジウムで発表された竹中大工道具館の渡邉晶氏の研究は面白かった。)
 木の伐採年を推定するのは、年輪年代学。
 どれもこれも気の遠くなる程たくさんの事例を積み上げて導きだした地道な研究の成果なのですよ。

 古材の年輪を照合することで、木が伐採された年を特定出来る年輪年代学だって、日本で認められるようになったのはごく最近の話。奈良文化財研究所の光谷拓実氏が何十年もの長きにわたって研究してこられた成果です。

  なんてわくわくする面白さに満ちた世界なのでしょうね。

 将来、別の研究法が確立して、また新たな発見があるかもしれない。
 現存する建物だけでなく、遺構も資料も史実もいろんな角度から残してこその文化遺産。
 だからできるだけたくさん、未来に残したいし残すべきなのですよ。。。

 以下は、その京都新聞の配信記事。
 関西の方が、こういう記事が多いような気がするのは私だけかしらん。


http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007092900028&genre=M2&area=S10

Kyoto Shimbun 2007年9月29日(土)
本堂の部材はリサイクル品
大津の明王院 平安期本堂を転用

明王院本堂から見つかった前本堂の建築部材。一部が元の姿に組み上がるという(大津市・明王院)
 明王院本堂(大津市葛川坊村町、重文)は、平安後期に建築された前本堂の部材の一部をリサイクルして建てられていることが28日、滋賀県教委の調査で分かった。部材は転用の際に加工されず、組み立てればそのまま前本堂の軒部や小屋組が再現できるという。県教委は「再び組み上がる形で部材が残るのは極めて珍しい。天台宗の重要な修験道場である明王院の前本堂の規模や平安期の建築技法がより明らかになる」と期待している。

 県教委は、江戸中期である1715年建築の本堂の解体修理と調査を進める中で、建築部材の転用材を発見した。全部で65点あり、元は主に目に見える部分に使っていた化粧材だ。現本堂では小屋組や床組などに使用していた。
 部材を奈良文化財研究所(奈良市)が年輪測定をしたところ、1100年ごろに伐採した、と分かった。部材を組み上げたと想定したときの形が青蓮院(京都市東山区)所蔵の「門葉記」に記された室町期の本堂の絵図面とほぼ合致した。このため前本堂からの転用材と判断した。建築技法から前本堂は平安後期の建立と分かった。

 部材から前本堂は現本堂より1回り小さかったと推定でき、同時に行った発掘調査で11世紀から15世紀ごろの現在より1回り小さい建物遺構を見つけ、裏付けた。
 明王院は平安期に回峰行の祖・相応が開き、天台宗の修験道場として栄えた。室町幕府の将軍足利義政や、義政の妻・日野富子がおこもりした、と伝わる。
 現地説明会は10月14日の午前9時45分と午後2時15分から。問い合わせは県教委文化財保護課TEL077(528)4673。