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2008年01月22日

NO.424  風向計より:経済の「負」の部分に対応を

しばらく留守にしておりました。

 今回、兄弟たちが代わってくれて初めて一週間も長い間、母から離れ休暇をとることができました。
 というわけで、その一週間を主人と奈良から伊勢に行き、残りの日は元の我が家で過ごし、また母と暮らす家に帰って来たところです。

 伊勢では神宮に参拝後、念願だった瀧原宮を詣でる事ができました。
 太古の日本の森林を彷彿とさせる素晴らしい宮域林。大人が四、五人でも抱えられないくらいの大きなスギが何本何本も、鬱蒼とした森の中に厳然と聳えているのです。
 法隆寺や唐招提寺を建てたころの奈良近辺って、多分こんな感じよねと想像し、こういう森が見たかったのよ、と大感激。

 家に戻ってみると、母は、相変わらず寝ぼけて粗相。
 早速、ま夜中のトイレ掃除でありました。さぁて、また頑張らなくては!

当会共同代表のお一人、速水さんのエッセイです。読売新聞「風向計」より。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_k/fukokei/fuko080118.htm

「経済の「負」の部分に対応を」
速水林業代表 速水 亨

 新年の経済の動きは思いのほか、厳しい状態に向かっているように見える。製造業では自動車輸出の拡大などダイナミックな変化が起きているが、底辺を支える産業はなかなか厳しい。そんな中、元旦の新聞は温暖化や環境問題の特集であふれた。
 7月の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)では、環境問題、特に温暖化ガスの削減問題に日本が主導権を取れなければ、国際的な地位が大きく下がると言われている。産業界やその意見を代弁する経産省は、あくまでも自主規制で目標の6%削減の達成を目指そうとしているが、国際的な評価は厳しい。
 先日、バリで開催された国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)でも、日本はどちらかというと、数値規制や強制力の掛かった規制に消極的な対応に終始した。「日本は京都議定書を否定しているのか」とまで言われた。結局、バリ会議でも米国と中国を引き止めるための提案ばかりで、積極的な提案は出なかった。

 国内の経済界は、温暖化問題に対して、企業の国際的な競争力を低下させるような対策に強く反対する。企業の言い分はこうであろう。国内規制を強めれば、企業は規制の緩い国に進出し、国内の空洞化が生じるだけでなく、結局、地球規模での二酸化炭素排出量が増加してしまう。だから国内は自主規制にとどめてもらいたい――。
 確かに、政府が民間経済に様々な規制を行うことは自由主義経済の中で適当でないことも多いが、この議論に個人的には納得できないところがある。
 つまり、国内で強い規制が実行され、規制の緩い海外に進出した結果、二酸化炭素排出が増加するとすれば、それは持ちうる技術を使わないままに海外で生産することになり、本来の企業倫理にもとる。そうした企業倫理では、国内の自主規制による数値目標を達成できるのだろうかと疑いたくなる。

 環境と経済の両立は、既に避けては通れない問題であり、その手法を経済システムの中に早く確立した国が、次の時代をリードすることになるだろう。今のところ、国内では両立が必要だと言いながら、現実的には活発な取り組みはあまり見られないし、政府自体の具体的な動きは遅い。
 経済には本来の経営目的に沿った活動と、それに伴う負の部分、つまりマイナス経済が発生する。二酸化炭素の排出はその最たるものと考えられる。
 現在の企業評価は、マイナス経済を考慮していない。マイナス経済を評価するシステムがあるならば、日常の企業活動の中で、自然にマイナス部分を減らす方向に向かう可能性は高い。
 しかし、今はそうでないから、残念ながら強制的な規制しかないのではないか。私はそれでも、企業が環境関連や社会安定に寄与する事業に対し、本来はマイナス経済を埋め合わせするものとして投資すべきだと考える。たとえそれが収益を押し上げることにならなくても、である。
 企業評価のみならず、経済の考え方にそうした視点を入れていくことが今後重要である。もしそう出来るならば、国土の均等な発展につながる気がする。

(2008年1月18日 読売新聞)
速水亨さん/1979年から三重県紀北町で家業の9代目に。06年から日本林業経営者協会会長。54歳。