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2008年02月04日

NO.427  日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか

 2月3日(日曜日)の読売新聞の文化欄、本の紹介がたくさん書かれているページに当会共同代表のお一人、内山節さんの書かれた本の紹介文が出ていました。

「ポケットに一冊」
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか 内山節著

 昔はよくあったキツネやタヌキにだまされたという話は、1965年を境に聞かれなくなってしまう。群馬県の山村と東京を行き来しつつ暮らす哲学者は、実体験からそう語る。なぜか。日本人がキツネにだまされる<能力>をそのころ失ってしまったのだ。
 

 古来、日本人は「我」にこだわることなく「自然」に生きる事に無上の価値を見いだしてきた。しかし、そうは生きられない自らを「凡夫」と認識できる存在でもあった。そんな精神世界が生きていた伝統社会は<自然とも、自然の神々とも、死者とも、村の人々とも結ばれることによって・・・個体の生命もあることを、再生産してきた。>
 こうした異次元の世界と結ぶ<裂け目>に思いがけずはまりこむこと、それが、キツネにだまされるということであった。
 裂け目を消滅させてしまった日本社会の変化。本書はこれを、従来の歴史学が、取りこぼしてきた<みえない歴史>ととらえ、歴史哲学の立場から庶民の精神史に迫ろうとしている。(講談社現代新書、720円)(正)

 私からも申し上げますが、この本は、面白いです。実に面白い。
 以前、内山さんの書かれた「戦争という仕事」もぜひ読んで下さい、とこの欄でご紹介したことがありましたけど。
 現代に生きる私たちにとって、この社会の矛盾を理解する為にも「戦争という仕事」は、おすすめの本なのですが、この「キツネ」の本はまた違う。
 というのも、当会研究会でのその時々のお話しが、この「キツネ」の本の中に随所に出てくるのです。
 あの時話されていた事は、こういう事だったのか、こう結びつくのか、と。
 それよりも、日本人がいつからキツネにだまされなくなったのか、などという疑問を持ち、それをずっと検証し続けてきた哲学者の頭の中、覗いてみたいものですよねぇ。

 当会の宣伝文に、「木造文化財などの文化遺産を守ることは、日本的な自然と人間の文化を守ることでもあり、自然と人間の歴史を感じ取りながら暮らす社会をつくることでもあるのです。」という文章を使っていますが、これは内山さんが書いて下さったもの。

 「キツネ〜」の本のあとがきに・・・・・日本の伝統的な自然感や死生観、人間観は、そのすべてが合理的に解き明かされるものではなく、つかみとらなければならないものである。日本の伝統的な精神文化の世界には、言葉にできないものが埋め込まれている。・・・・・と、書かれています。

 歴史とは何か。近代史とは何か。自然と人間の存在とは何か。
 そんなテーマを追い続けて行く内山さんとともに、この会の活動も同時進行。言葉にできないものを、どう表現したら、文化遺産と森林の維持保全に結びつける事ができるのでしょう。

 とりあえずは、4月19日〜20日の見学会
「文化遺産を核として地域のコミュニティを再構築する」をテーマに 
「内山節と歩く、六合村そして、みなかみ」に集中する事にいたします。

 群馬県吾妻郡六合村(くにむら)は、重要伝統的建造物群保存地区。
 詳細が決まり次第、募集を開始します。(近日中)
 興味のある方はぜひご参加下さい。