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2008年02月13日

NO.428  気持ちを変えなくっちゃ

 気持ちと言うのは、ちょっとした事で変わるものですね。

 最近、落ち込む事が多かったのです。
 やっと夫が定年退職して自由になった。普通だったらまず手始めに温泉でも行って、美味しいもの食べて、それから海外旅行にも行けたらねぇ、なんて考えるのにね。
 夫が最初にした事は、12月、退職した次の週にはもう実家に。

 もちろん入院中の両親に退職の報告やらお見舞いやらなんだけど、両親を見てくれている妹夫婦からも大歓待された。
 年末から1月の半ば迄もまた実家。
 2月になったらまた実家。
 嘱託に残って、と言われた職場の皆さんにも、両親の介護に実家に戻りますから、と本人なりに一生懸命、偉い。
 でも、ついて行けない奥さんは、ただただ情けなくて落ちこんでる。

 母は相変わらず。
 とにかくそばにいないといけないし、実家に帰りたい帰りたいと言い続け、すぐに機嫌が悪くなる。そんな母の相手をするのはつらい。母の想い続ける実家というのは、両親がいて幸せだったころの元の家、今の叔父一家の住む家ではないのですもの。
 
 入浴も体や髪を洗ってあげても文句ばっかり、夜中のトイレも遊び始めるので付きっきり。

 何より落ち込むのは、「もうあきらめついた?」と言われる姉からの言葉。 私が母の介護をやめたいと言いさえすれば、すぐに施設に入れる手続きするから、って。

そんなぁ、私は自分の自己満足の為にこんなに苦労しているんじゃないのに。
 ただ、誰かが母を守ってあげなきゃ、と言う気持ちが捨てきれないだけなのに、、、

 今迄どんな思いして家族の為に尽くして来たのだろう子育てして来たのだろう。今、一生懸命子育てしている娘の姿と、知らない町で苦労した母の若い時がだぶって見える。
 お金のなかった時代もあった、
 父が仕事で何年も帰ってこなかった時だって、どうやって子ども4人を守って来たのだろう。
 いろいろ思い出していくとねぇ、兄や姉のように簡単に「施設に入れちゃおう」と考えられなくて、それでも一人で看るのはつらいよねぇ。
 毎日毎日揺れているのです。
 

 つい最近、とても立派なお家の、品のいい奥様にお会いしました。75才なのよ、と仰るその方は、体つきからどれほどご苦労してきたのかわかるほど痩せてらした。

 120年経つと言うそのお家は、がっしりと素晴らしい材で建てられていて、座敷の前面に広がる池泉式庭園も手入れが行き届いて美しい。心字形の池には中島もあり優雅に小さな石橋もかかる。築山にはびっしりとツツジの木。形のいい松の古木が二本もあって、池にゆったり枝を伸ばし、大きなコウヤマキがどっしりと立っている。

 お庭の手入れだけでも大変でしょうに、と嘆息したのですが、見せていただいた何部屋も続く座敷の一部屋だけが廊下との境に、障子の外側にガラスの引き戸が出っ張ってる。
 不思議に思ったら、中にはエアコンが入れてあって、「年寄りを看取ったんですわ、最期は家で過ごさせてやりたいし、結局4人も看ましたわ」とさらりと一言。「おむつ変えるとき、すきま風が寒うないようにガラスつけましてねぇ」

 立派な家屋敷をしっかりと守り、子どもを育て年寄りを看取り、、、そう伺っただけで頭が下がる。
 突然、家を見せて欲しいのだけどとお邪魔したにも関わらず、この家はここがすごいんですって、と嬉しそうにあれこれ説明して下さり、初めて会った私にも、けらけらと明るく笑って下さった。
 
 勲章をつけてる、そう思いましたね。あの素敵な御婦人。
 人には絶対見えないけれどね。
 いいものを見せていただきました。
 情けない今の私には、とても大切なもの。