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2008年08月28日

NO.442  高野山見学会ー宗教都市としての町―序章

 今回の高野山見学会。結構自分でも楽しみでした。
 まず、昨年7月下見を兼ねて、また今年の7月に最終打ち合わせ、そして本番、と三回も高野山に。
 同じ宿坊に泊めていただいたお陰で、修行中の若いお坊様のお顔も何となく覚えたし、そんな意味でも楽しかったのです。

 若いお坊様、作務衣できびきびと働いている姿にまずは驚かされます。
 玄関からお部屋まで、軽々と荷物を運んでくれて、それからお茶のお接待、食事の案内、別室での食事のお世話、部屋にはその間に布団が敷いてあって、なんとも気持ちよく過ごせるのですよねー。

 朝は、6時から本堂のお勤めが始まります。
 貴重な体験、と参加してみたら、ご住職を真ん中にして若いお坊樣方が8人も9人も墨染めのころも姿で端然と座りお経を唱えていらっしゃる。
 お勤めも終わりお堂から出てみると、部屋にはすでに布団は無く、待つ程に、作務衣すがたで朝食の案内、支度、給仕まで。
 次に見かけた時は、ただ黙々と廊下を掃いている人、雑巾がけをしてる人。

 何とも小気味いい立ち居振る舞いで、宿坊のたたずまいとともに清々しさまで加わる思い。
 都会の雑踏の中、座り込んだりタバコすったりの若者たちを見慣れている目には、話しかけるのもどぎまぎする程の健気さでした。
 でも三度も泊まって何となく顔も覚えると、少しお話もできるようになりました。
 私は、宿坊の若いお坊様はみなさん、高野山大学の学生さんで、4年の学生生活ののち1年の研修が終ると、郷里のお寺に帰られるのかと思い込んでおりました。

 ですが、朝食のお給仕をしてくれた若い方は、中学を卒業してから高野山に上がり、この宿坊から高野山高校に通ったのだとの事。今年で4年目、後3年と研修1年を終えたら郷里に帰れる、それまで頑張りますとぽつぽつ話してくれました。
 ちなみに実家はお寺ではないのだそうで、この若者を出家への道に駆り立てたものはなんなのだろうと、考えてしまいました。
 別の、少し先輩に見えるお坊様は、「8年目です。」と言ってらした。

 朝5時に起きて、6時から晨朝勤行、それからお客さんの朝のお膳を運んだり給仕をしたり、片付け、掃除などを終えてから9時10時にやっと自分たちの朝ご飯になるのだとのこと。

 すべて修行ですから、と言いながら、頑張っている若者たちの姿を実際に見て、宗教都市としての高野山を再認識したのですが、もう一つビックリしたのは、高野山には畑が無いのだそう。
 というのも、高野山では、僧は修行こそが大切との事で、農耕はしてはいけなかったのだそうです。

 そのかわり、昔から「御番雑事」(おばんぞうじ)という、高野山から少し下った村――高野町杖ヶ薮集落から奥の院へ、集落こぞって野菜を届ける仕組ができていたとの事。傾斜のきつい斜めの畑で、雨が降ればまず根元の土を掻き揚げながら、今も7戸12人の住民が野菜をつくり暮らしていらっしゃるとの事でした。

 また、奥の院の参道を宿坊の副住職様のご案内で歩きました。
両側に、天まで届かんとする程のスギの古木、苔むした大きな墓石や石塔などが延々と続く参道は、歴史の中で活躍された方々の名前が次々と出てくるタイムスリップしたような不思議さに満ち満ちていて、墓地ではあるけれど、遥かいにしえの物語の入り口にいるような気分になります。

 敵も味方も無く、渾然と死後の世界を共有しているような墓石群に、私などは、時の権力者におもねる事無く様々な家の墓を許し与えた高野山と言う教団の偉大さに感服しておりましたが、今回の見学会に参加された方から、「ここにくれば敵も味方もないことを、生きている間にもう少し気が付けば世の中よくなっていたろうに。(宮崎T.Aさん)」という感想をいただきました。

「戦争の愚かさを知ってほしい、人間の歴史を戦争や争いで語らなくなる世になってほしいものです。」と。
そんな気持ちであの参道を歩いていらしたのだなぁ、としみじみ感じ入った次第です。

 死後の世界の安寧を祈って、亡くなられた方をおまつりする、祈りの世界。
 奥の院では、お大師様の霊廟の前で、「南無大師遍昭金剛」と3回唱えて合掌。その傍にお灯明を奉じながら般若心経を一心不乱に唱えている御婦人の姿がありました。
 四国遍路の最後は、この高野山にお参りする、とも聞きました。

 沢山の方々でにぎわう高野山は、まことに、現代に生き続ける魂の大きな拠り所、厳かな信仰の地として、まさに未来にもつながる聖地なのです。


 次回は、高野山の特殊性について、高野町副町長の高橋寛治氏より勉強させていただいたことを、高橋副町長の講演を元に、ご紹介したいと思います。

 ではではまた。  <あし>