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2008年12月20日

NO.446  12月7日8日無事終了しました。

 皆様に早くご報告を,と思いながら、あっという間に2週間近くの日が経ちました。
 無事に7 日のシンポジウム、及び翌日の東本願寺、奥谷組資料館の見学も終了いたしました。

京都新聞にも12月8日朝刊に写真入りで掲載されました。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008120700121&genre=M2&area=K00

また、会員の佐々木健氏のホームページでも紹介されましたので、皆様にお知らせいたします。
 佐々木様は、2年前、このホームページをご覧になって会員になって下さった方。事務局にとっては大変嬉しいことでした。
 なんでも佐々木様のおじいさまは、4代目佐々木嘉平と仰って、正福寺地蔵堂(国宝)の昭和の大修理の棟梁だったのだそう。何か文化財がらみのご縁があったのでしょうね。

 ちなみに正福寺地蔵堂というのは、東京都内にあるたった一つの国宝の建物。なんとこの会の事務所のある東村山市にあるのですよ。(自慢! 東村山が有名なのは、志村けんだけではないのです!!)
 毎年1月26日の、「文化財防火デー」に時々ニュースなどに映りますので、ご覧になった方も多いのでは、、、
 東京都には国宝の木造建造物はこの正福寺(室町中期)だけしかなくて、まことに淋しい限りであります。

 佐々木様のブログはこちら↓
 2日目の東本願寺見学の際の写真や7日感謝状の贈呈後の記念写真も掲載されています。 
http://vanguard-web.typepad.jp/blog/


佐々木健 氏のブログより


東本願寺御影堂の修復
 シンポジウムの翌日は東本願寺御影堂の修復現場を見学させていただいた。設計の総合監修をされている伊藤延男先生(文化功労者、東京文化財研究所名誉研究員)の曾祖父が宮大工棟梁として明治25(1892)年に建てた現存する世界最大の木造建築(2891.98平米、高さは東大寺大仏殿が高い)だそうだ。

 100年の時を超えて、先祖の方が建てた建物を次の100年間も使えるようにと屋根材の葺き替えを中心とした修復工事を曾孫である伊藤先生が設計監修されるという事実、そしてそこには長い時を超えた先祖と多くの対話があったであろうと想像し、感動で胸がいっぱいになった。
 

 今回は合わせて痛んだ材の一部を交換するにあたり京大防災研究所で強度試験を行い確認するなど、現代の技術をも結集された。これはおそらく寺院への敬意と共に、伊藤先生の宮大工への敬意と真心で成就したものと思われる。
 
 一方、御影堂前の山門の造営工事では私の祖父、4代目佐々木嘉平が10代の時に、他の若衆10人と共に3代目嘉平から多くを学んだようで、この時に大鉋で天井を仕上げたとの記録が残っている。この鉋はその後、広隆寺(職人の守り本尊として職人に信仰されている寺院、国宝の弥勒菩薩で有名)の改修工事でも使用され、広隆寺に奉納され現在も軒下奉額に掛けられている。
 3代目嘉平と言えば私の曾祖父だけに、何か強いご縁を感じた京都の小旅行だった。
現在、伊藤先生にご指導いただいている研究を早くまとめなくては。。。


「文化材」創造プロジェクト表彰式
 12月7日(日)の午後は「文化遺産を未来につなぐ森づくりの為の有識者会議」主催のシンポジウムが龍谷大学大宮学舍で行われ、メンバーの一員として参加させていただいた。

 会が2002年5月に発足してから7年目にしてようやく、22の林業家や企業の方が、国宝や重要文化財などの建物の改修に使われる大径木を育てる森づくりの会の主旨に賛同され、山の一部を登録し、文化財のための材料、すなわち「文化材」が長期間、残されることとなった。
 

 この大きな一歩に貢献された方には、税制上の優遇など特別のメリットはないだけに、表彰状には想いが込められた。この表彰状は京都仏教会理事長の有馬(相国寺)管長が筆をふるわれ、表彰式では有馬管長と、法隆寺の大野管長が表彰をされた。これがきっかけとなり、文化としての森が日本の多くの山で継承されることを期待している。